1Cr Drudgery―白黒徒花―
02.Cr of Messiah―救世の剣―Verse 5
「それで終わりか? 宿に帰るまでが仕事だ、とか言い出さないよな?」
俺の冗談交じりの問いに、剣を納めたクロームは小さくため息を吐き出した。
「一先ず終わり、といったところか。魔導陣はこれだけではない。一つ一つにこれほどの防衛機能があるとするのであれば、少しばかり手間がかかりそうだな」
あー、そういやこれ一つじゃないんだもんな。
いちいちこんなもんを解かなければならんとなると、手分けして壊すこともできないな。理想型は二人一組で壊して回ることなんだけど、これだとちょっと四人で一つずつ壊した方がよさそうだ。
効率は悪いが、そっちの方が堅実である。
「プラナ? 残りの魔導陣はあとどんぐらいあんのさ?」
「んー……私もしっかり調査したわけではないので、正確な総数は分かりませんが、おそらく二十前後ではないでしょうか?」
うげぇ……めんどくせぇ……。
クロームが安請け合いした森の魔物の退治だってあるんだぞ? その上で村人に気付かれないように、こんな厄介なもんを全部壊して回らなきゃならねぇのかよ。
「なんかものすんごーぉく気が遠くなるような作業を、ものすんごーぉく効率の悪いやり方でやってない私達?」
セシウがうんざりとした声で、俺達全員が抱いていたであろう感想を口にする。今回は俺もセシウに同調せざるを得ない。
このやり方では、いつ終わるのかさえ分からない。確かに人々の安寧秩序を守るのも勇者の役目である。ただ、本来の目的は世界全体を救うことであって、こんな小さな村に長期間滞在している場合ではない。これを瑣末なこととして切り捨てようというわけではないが、本来の目的を蔑ろにするべきでもない。
……どうする? どうするのが得策なんだ?
「ガンマよ」
思い詰める俺に、クロームがため息混じりに声をかけてくる。
「あんだよ?」
考えが行き詰まり、苛立ち始めている俺は、どうにも返答が喧嘩腰になってしまう。
「お前が今、何を考えているのかなんとなく分かるぞ。いいか、そのような考えが貴様の口から放たれることさえ俺は認めない。我々は我々の手で、この村を守る。見放すようなことはしない」
付き合いが長いと言い出しづらいことも勝手に伝わってしまうようになるんだろうか? だとしたらなんて有り難迷惑。
俺だって別に村人を見殺しにするつもりなわけじゃない。あいつらを助けるために次善の策を模索しているだけだ。俺は俺で必死なんだ。
それを言う前から否定されちゃ堪ったもんじゃねぇ。俺なりに勇者様の意志を尊重し村人を救える手立てを考え、かつ本来の目的に支障が出ないように頭を捻っているというのに。
フラストレーションが大分溜まっている。
俺は後頭部を掻き毟りため息を吐き出す。
「あのな、勇者さんよ。俺は俺なりに考えてんだよ。いろいろとさ。一番巧くお前の要求と本来の目的の兼ね合いができる方法をさ……」
「貴様の小狡い知恵など必要ない。今は村人の命が最優先だ」
「んなこと言って、本来の目的が達成できなきゃ何万人死ぬと思ってんだよ?」
苛立ちに言葉が棘を帯びていく。今でも必死に湧き上がる感情を抑え込んでいるところだ。
クロームは涼しい顔で壁に背を預け、いつもにように瞑目する。ただ組んだ腕の先で指先は忙しなく二の腕を叩いていた。
こいつはこいつで苛立っているのかもしれない。そんなこと知ったこっちゃねぇ。
「人類のためには人々を切り捨てる、か。実にお前のような小狡い人間らしい発想だ。全体を救えれば、少数の犠牲は隠れるのだからな。そうやって後ろ暗いものは全て隠蔽するつもりなのだろう?」
「く、クローム……それは少し言い過ぎでは――」
クロームの冷たい物言いにプラナが宥めに入ろうとする。しかし、そんな気遣いじゃ感情の振り幅が抑えられそうにない俺はプラナの言葉を遮るように口を開く。
「うっせぇな。今は俺の人間性にあれこれ言ってる場合じゃねぇだろ? そりゃ勇者様には分からねぇだろうさ。世界を救う力があって、人々を救うことだけを考えられて、富も名声も要求しねぇお前みたいな人格者には分かるわけがねぇよ。全く、素晴らしい勇者様だよ。凡庸な人間の巧く生きるための知恵さえ理解できないほどに高尚だもんなぁ、勇者様は?」
「ちょ……ガンマ! あんたも言い過ぎ!」
今度はセシウが俺を止めようとする。俺達の間に割り入ってくるセシウの背後で、侮辱するようにクロームは鼻を鳴らす。
「口を閉じろ。程度が知れるぞ」
短くも明らかに喧嘩腰の文句に俺の抑制は限界を迎えた。いいや、臨界点ならとっくの前に来ていた。ここまで何とか誤魔化し誤魔化し抑えていたにすぎない。
俺はセシウの肩に手をやって押し退け、クロームへと力任せの足取りで迫った。
「俺の程度なんて端っからこんなもんだよ。あーあー、いいよな、お前は何でもかんでも全部上手く行くさ。誰も彼もがお前についていく。羨ましいよ。随分と生きるのが楽そうでよぉ。俺達の生きるための知恵なんて、お前にとってはどれもくだらなくて小狡いんだろうなぁ。じゃあよ、そんな小狡い人間を救ってるお前は一体何だってんだよ? 神か? 救世主か?」
一度堰を切って溢れ出した感情はもう止まらない。怒りは熱量となって滾り、俺の身体の芯に火を灯す。溜まりに溜まった苛立ちを燃焼し、火勢は強まる一方である。
確かにこいつは崇高だ。また欲深くもなく、本当に人々を助けたいと思い戦っていることも知っている。善人無欲を絵に描いたような奴で、古今東西の叙事詩で語り継がれる実在虚構を全て含めたどんな英雄よりもよくできた人間だってことも重々承知の上だ。
ただ、俺のように何もかもが人並み止まりの人間にだって言いたいことはある。俺は俺なりに頭使って考えている。それしかできないからこそ、思考に関してだけは手を抜いたことが一度もないとだって言い切れるだろう。
その俺の考えを真っ向から、言い切る前に否定されちゃ俺だって怒りもする。
間近に迫ったクロームの端整な顔に感情の乱れはない。いや違う。もともと仏頂面だから分からないだけで、こいつの神経質に動く指先がこいつの抱いている感情を表していた。
銀の瞳が真っ向から俺を睨んでくる。俺もたじろぐことなくクロームを睨み返した。
「人々の生きるための策を俺は愚弄した覚えなどない。それは人が生きるために必要なことだ。分かっている。俺は、貴様のその、小を切り捨て大を得ようとする方法を、無辜の民の尊い命にも当て嵌めていることが気に食わない」
「誰も見捨てるなんて言ってるわけじゃねぇだろうが! この村は隔絶されている! それなら前の貿易街に戻るなり、この先の大きな都市に行くなりして、ヒュドラとの連絡手段を得て、この村に適任を寄越してもらった方がいいってことを俺は言いたいんだよっ! 考えてみろ? ここで足止めを喰らってる場合か? 全世界の人命背負ってることくらい、てめぇが一番分かってんだろうが!」
俺は怒りに任せて、すぐ側の家の壁に拳を打ち付ける。俺達を囲むように立ちながら、仲裁に入ることもできずにいるセシウとプラナの肩がびくりと震えた。
脅かせてしまったことに少しばかり罪悪感も覚えたが、今は謝っている余裕なんてなかった。
「この村を放置して去れと? 貴様はそれでいいのか? いつ起動するかも分からない危険物を残したまま? 馬鹿馬鹿しいにも程があるぞ」
組んでいた腕を解き、クロームは呆れたように両手を広げてみせる。顎は少し上を向き、明らかに俺を見下していた。
その余裕が気に障る。
「そんなに手柄を独り占めにしてぇのか?」
俺のささやかな反論にクロームの眉がぴくりと跳ねた。銀色の双眸が細められ、ぎらぎらとした剣呑な光を宿す。
今までのこいつの睥睨なんてまだまだ序の口なんだと気付かされた。今、俺はこいつの剣よりも鋭い銀眼に射られ、背筋を氷塊が滑り落ちたよう感覚さえ覚えている。
まるで刺し貫かれたような――
致命傷を負わされたような――
すでに殺されているような――
そんな感覚。生き存えようと抗う権利さえ剥奪されるような恐怖。
しばしの間を置き、クロームは堅く閉ざされた唇をゆっくりと動かす。
「貴様は、今、何と言った?」
「何って……」
「答えろっ!」
裂帛の怒声が響き渡り、気付いた時俺は胸倉を締め上げられていた。まさに一瞬。俺が気付いた時、クロームの顔は吐息が感じられるほど近くにあり、首には鋭い痛みがあった。
一体どんな動きをしたのか、全く分からない。身体を持ち上げられ、半ば爪先立ちになっている俺にクロームはさらに迫ってくる。爪先立ちの状態な上に、もともとの力の差もあってから、押し合いになることもなく俺の背中は壁へと叩きつけられた。
「貴様は……人の命を富と名声を得るための要素とでも思っているのか!? 貴様にとって人命は手柄などというものに換算できるものなのか!? ふざけるなよ? 人々の意見を代弁するように言葉を吐いた民衆代表気取り様が、今度は人命を己がために利用するか? 人々の尊い命を愚弄することは例え誰であろうと許しはしないぞ!」
口を挟む間も与えず、クロームは俺へさらに詰め寄り、怒濤の説教を浴びせてきた。クロームにしてはよく喋る。それだけこいつの逆鱗に触れたということなんだろう。
怒る理由さえも勇者らしいな。
俺は辟易としながら両手を挙げ、クロームの怒りを鎮めようとする。このままじゃ議論になりゃしない。
「待て待て、落ち着け……。別にそういうつもりで言ったわけじゃねぇ……」
「じゃあ、どういうつもりなのか、説明してもらおうじゃあないか?」
「いいか、俺達だけでこの問題を解決するには時間も労力も足りていない。なら、多少解決に向けて遠回りすることにはなるが、ヒュドラと連絡を取り合い、適任を派遣してもらう方がずっと効率的だ。少なくとも、ここでちまちま魔導陣を壊していくよりもずっと確実だ」
「確実? 何が確実だ? 貴様は今こうしている一時間後一分後一秒後にこの魔導陣が起動しないという確証があるのか?」
「い……いや、そりゃ、ねぇけどよ……」
「それのどこが確実だ? もしこのままこの村を出たとして、確実に守れるのは俺達の命だけではないか。所詮、どれだけ言い繕おうと自己保身の塊か」
言いながら、クロームはさらに胸倉を締め上げる力を強める。締まるっていうか絞まる。
気道を半ば潰され、息がしづらい。
しかし、俺もここまで来て折れるわけにはいかない。俺には俺なりに村人を確実に救う手立てというものがあるわけなのだから。
「じゃあ、そのいつ起動するか分からない状況下で魔導陣を無力化していくとしよう。で、もし最中に起動したらどうなる? 俺達の命がどうなるのかさえ分からないぞ? 少なくとも村人は間違いなく死ぬ。その時俺達が生き残ったとしてお前はどうするんだ? 村人を一生懸命救おうとしたけどダメでした、じゃ許されねぇんだよ」
クロームは何か反論しようとして、しかしすぐに口を閉じてしまう。責任というものを最も念頭に置いているクロームに反論できるはずがないのだ。
「さらに言うなら仮にもし、お前が死んだらどうすんだ? 勇者様は小さな村の人々を救うために戦って死んでいきました。なんて素晴らしい美談だろうな。で? その後は? 誰が世界を救うんだ? おい?」
俺はクロームに胸倉を掴まれ詰め寄られている状況であっても、まだ口を動かすのを止めない。ここで口まで止めてしまったら、それは俺が徹底的に負けたことになる。
俺にはこいつに勝るだけの気概も力もねぇ。俺の武器は高が一般普及した特に魔術的な細工もされていない拳銃一丁で、後は言論だけなのだ。論理によって成り立つ理論と理論に裏付けされた論理、そしてほんの少しの倫理によって構築した言論で太刀打ちするしかない。
俺には金属と言葉の弾丸で戦う以外の術がない。だからこそ、ここで負けるわけにはいかなかった。
「いいか。俺にとっても人命は尊いもんだ。じゃなきゃ、こんな旅にゃ参加すらしてねぇ。一文の得にもなりゃしねぇからな。だから、俺だってこの村の人々を見捨てるつもりはねぇ。だけどな、それ以上にお前の命を優先する必要があんだよ。テメェが死んだら、元も子もねぇだろ。世界を救えるのはお前だけだと俺は思ってるから、俺はお前を死なせるわけにはいかねぇんだよ」
それは俺の思考の根底に常にあるものだ。勇者が死ねば、この世界は希望を失い再び混迷するだろう。百年に一度訪れる厄災から逃れる術もなく、恐慌へと堕ちていくはずだ。
それは何としても避けなければいけない事態である。俺にとっての最優先項目は勇者の生存だ。変えるわけにはいかない。
クロームは何も言葉を発しない。ただ黙したまま、俺を睨み付けている。いや、睨んでるのか? 普段から眼がキツいからよく分からん。
顔に感情が出ない奴は、説得が効いているのかいないのかよく分からなくて面倒くせぇな。
まあ、いい。反論がないのなら続けさせてもらうとする。
「いい案がある。まず始めにあと一つ魔導陣の防衛機能を停止させる。その後、真っ裸になった魔導陣を破壊するんじゃなく、凍結させる。そしたらその魔導陣を保存し、プラナに解析してもらう。これである程度のタイムリミットは読み取れるかもしれない。その解析結果が出た後、俺とお前、どちらの案を採用するのか決めよう。猶予がないなら、お前ので行く。それでどうだ?」
俺もできる限りの譲歩をした。
クロームは僅かに瞳を逸らし、やがて顔をプラナへと向ける。
「プラナ、解析はどれほどかかる?」
空気が重苦しかったせいか、名前を呼ばれたプラナはびくんっと肩を跳ねさせる。怯えきったその様はまさに小動物だ。
「暫定ではありますが……おそらく一日あれば十分かと……」
おどおどとしたプラナの答えを受け、クロームが再び俺の方を向く。先程よりは目元が和らいでいる気がする。あくまで相対的な感想だが。
「時間がもったいねぇか? だが一つ解析しちまえば、同系統の魔導陣への対応はある程度できるんじゃねぇのか? 遠回りには思えるかもしれねぇがどっちにしろそっちの方が効率的だろ?」
それ専用の対策プログラムも幾分時間はかかるかもしれないがプラナなら組めるだろう。それがあれば今よりもずっと楽に魔導陣を破壊できることだろう。
結局、どっちに転ぶとしても重要な要素になるはずだ。
俺なりにできる限り考えた。これでダメだったというのなら、もう俺が折れるしかない。
クロームの視線が彷徨っている。俺を射貫くように睨みながらも、たまに逸らされているのを俺はしっかり観測していた。
こいつはこいつで迷っているんだろう。
これ以上俺が何かを言ったところで意味はない。あとはただ、こいつの導き出す答えを待つだけだ。
暫しの沈黙。クロームの背後にいるプラナやセシウも動かず、緊張した面持ちでクロームを見つめている。
永遠にも思える数秒。或いは一瞬とも思えた数分。張り詰めた空気は時間の概念を気化させる。
どれほどそうしていたのか、俺には分からない。
やがて、ふんと嫌味っぽく鼻を鳴らしたクロームは、胸倉から手を離し、俺達の視線を振り切るように身を翻して背を向けた。
「頭と舌だけはよく回る男だ。魔導陣を回収するぞ。時間はない。急ぐぞ」
そう吐き捨てて、クロームは毅然とした足取りで進み始める。その背中は大きく、何よりも堅牢で力強いように思えた。
こいつは本当に背中で語る男なんだと、ふと実感してしまう。不器用な男だ。
とりあえず、俺の案は採用されたようだ。そう思っていいのだろう。
しばし状況を把握できずにいた俺達三人は呆然とその背中を見つめていたが、一番頭の回転の速いプラナが急いでクロームを追い始めた辺りで、俺とセシウも我に返った。
お互いに顔を見合い、クロームとそれを追いかけるプラナの背中を一瞥し、またお互いの顔を見る。セシウは嵐が過ぎ去って一安心したのか口をぽかんと開けて間抜け面だ。多分俺もそんなもんかもしれない。
「つまり……どういうことだ?」
「クロームがあんたを認めたってことでしょ」
苦笑まじりにセシウがぺしりと俺の腕をはたく。いつものセシウからは考えられないほど痛みがなく、また優しいはたき方だった。
心なしか苦笑も柔らかいものに思える。
「てことでいいのか?」
「いいに決まってんでしょ。すごいじゃん、あの頑固なクロームを説得するなんてさ」
くすくすとセシウが穏やかに微笑む。先程まで引き締まっていた空気が突然弛緩したためか、どうにもセシウの言動に棘がないように思える。
きっと思い違いだろう。
だとすると、どうにも落ち着かないので早く俺の日常の感覚戻ってこい。
「ま、これからはああいう無茶はしない方がいいかもね。クロームの手、ずっと剣にかかってたんだよ?」
「は!? 何それ!? 俺殺される寸前じゃん!?」
そこまで気が回らなかった。あの場でも冷静でいるつもりだったけど、結構気が動転していたのかもしれない。
危ないところだったな……。
「まあ、もしもの時は私も止めに入ろうとは思ってたけどさ。よかったよ、何事もなくて」
朗らかに笑って、セシウは跳ねるような足取りで歩き始める。後ろで手を組んで、今にもお花畑が周囲に広がりそうである。ゴリムスである点を除けば完璧である。
「あ、それとさ」
数歩進んで、セシウはくるりと踊るように爪先を軸に回って振り向いた。歩き出そうとしていた俺は思わず足を止める。
セシウは相変わらず満面の笑み。本当に無邪気に笑う。
幼馴染みとしては見飽きた顔だが、こういう笑顔ができる点はこいつのいいところだと思っている。
「さっきのガンマはちょっと熱血で暑苦しかったぞ」
「ぐっ……悪かったな……」
今思えば確かにさっきの俺は熱すぎた。あれは俺の思想に反していたな。俺の理想は常にクゥルアァンドゥエェロトィック。
おっと、発音がネイティヴすぎて分かりづらいだろうか。分かりやすく言うと、クールアンドエロティック。
さっきの俺はそれとは真逆だったわな……。常日頃の俺が理想通りの振る舞いができているのか、自分自身からしても甚だ疑問ではあるわけなのだが。
そもそもそんな理想があったのかどうかさえ定かじゃない。人の心って難しいねー、ハーハーハー。
「あはは、いつものガンマよりはカッコよかったんじゃないかな」
「……は?」
今……なんて言った?
危機的状況から脱したことに安堵するあまり幻聴でも聞こえたのか?
俺は思わずセシウの顔を見るが、いつの間にかセシウは俺に背中を向け、いつも通りの足取りで歩き始めていた。スキップもしていないし、後ろで手を組み合わせたりもしていない。
どっからが幻!? ていうかどこまで幻!?
セシウはちらりと俺を見ると、くすりと控えめに笑って革手袋を嵌めた手をひらひらと振った。
「なんでもないよ。ほら、早くしないとクローム達に置いて行かれちゃうよ」
「お、おう……」
……俺は本当に幻でも見ていたんだろうか? さっきまでのセシウと今のセシウが全く噛み合わない。つぅかこっちのセシウの方が普段通りだ。
やっぱり先程までのセシウの方がずっとおかしい。あの荒唐無稽さは幻としか思えない。
俺、本当に大丈夫か?
いささか自分の頭に不安を覚えながらも、俺は渋々とセシウの後に続きクロームを追い始める。
追うとは言っても足取りはのんびりとしているけれど。
まあ、セシウの後ついて行っていればなんとかなるだろう。そんなことをぼんやり思いながら、建物と建物に挟まれた、狭い出口を目指す。向かう先からは太陽の光が射し込んでいるため眩しく、その向こう側がよく見えない。白光に包み込まれるようにして、俺は逆光に翳るセシウの背中を目指し――
――武装した野郎どもに取り囲まれた。
「は?」
隙間から抜けた先には、十数人の鍛え上げられた男達。全員が剣や槍などの武器を携えている。
俺と男どもの間にはクローム、セシウ、プラナの三名。全員が渋い顔で両手を挙げていた。
……意味が分からなかった。
遅れてやってきた俺に気付いた男達のうち数人が今度は俺に切っ先を向けてくる。
男達の顔は険しく、明らかに敵意を剥き出しにしていた。
「動くな! 武器を捨てて手を挙げろ!」
吠えるような凄みのある声。よく見ると、クロームの剣が鞘に収められたまま足下に転がっていた。プラナの杖はすでにエーテルへと分解されているため捨てようがなく、セシウもまた武器は拳のみなので捨てられるわけがない。
……こんな連中、クローム達の相手ではない。ただ一般市民を傷つけるわけにもいかず、仕方なく命令に従っているのだろう。
……俺が行動を起こすのもおかしな話だ。
従った方が賢明なんだろう。
俺はヒップホルスターを外し、素直に足下に投げ捨てる。別に一般普及している特に思い入れもない武器である。粗雑に扱ったところで何の問題もない。壊れたら買い換える。その程度のもんでしかない。
もったいないけど。
俺に命令をした、おそらくリーダーと思われる男が仲間の一人に目配せをすると、そいつはおどおどとした動きで俺達に数歩歩み寄り、まず俺の銃を足で払った。地面を滑って遠くに言ってしまう俺のヒップホルスター……。べ、別にな、なんとも思って、ない。
次に男はまたおどおどとした足取りでクロームの前に向かい、鞘に収められたままの伝説の聖剣を足で蹴っ飛ばした。俺の銃同様、地面を滑って男達の足下へと行ってしまうクロームの愛剣。
あれはクロームにとってかなり大事なものである。実際、クロームの顔には明らかな苛立ちが見えた。歯を食い縛り、必死に感情を抑え込んでいるんだろう。
相手がクロームでよかったな、こいつら。そうじゃなかったら、今頃ぶち殺されてる。
クロームならこれくらいの人数、素手でも殺せるはずだ。
「不審な煙が上がっていると通報されて来てみれば、余所者の仕業かっ! 貴様ら、ここで何をしていた!」
リーダーと思しき男が俺達に怒鳴る。
何をしていた、と聞かれても素直に答えられるはずがない。魔導陣のことに関して村人に気付かれるわけにはいかないのだ。
しかしこいつらは一体なんだ? 自警団か? いや自警団だったら、俺達が何者なのかすでに知っているはずだ。
こんな扱いをされるのはおかしい。
「答えられないのか!」
「あー……あんたら、ここにいる仏頂面の、俺の次にナイスガイなこいつが誰だか分かってる?」
「お前はナイスガイじゃない。黙っていろ、この三枚目」
「うっせぇな。寡黙なイケメンキャラが人気な時代はとっくに終わってんだよ。鼻を鳴らせば決まるとでも思ってんのか?」
「お前こそ、眼鏡を押し上げれば決まるとでも思っているのか? 今まで言わないようにしていたが全然似合っていないぞ」
「必要なこと以外喋るな!」
緊張感もなく嫌味を投げ合う俺とクロームに、リーダーだと予想される男がまた怒声を上げる。すでに顔は真っ赤である。よほどお怒りのようだ。
先程、クロームに本気で睨まれたばかりの俺からすればぜぇんぜん怖くない。
「貴様らが誰かなどどうでもいいことだ! ここで何をしていたのか答えろ!」
「答えたら、どうすんのよ? リコリス菓子でもくれんのか?」
「事と次第によっては罰するのみだ! 尤も答えられないようなことをしていたということは、罰せられる以外にないのかもしれんがな」
取り囲む男の一人がぐいっと剣の切っ先をクロームへと近づける。クロームは一切動じない。
セシウもプラナも手は挙げているが動揺や怯えなどは見られない。全員剛毅なものである。
俺でさえビビらないのだから当然と言えば当然か。
「たく……個性のない台詞ばっかだなぁ、おい。もう少しジョークをかませよ。ユーモアは円滑な人間関係に必要なもんだぜ?」
「貴様らと良好な関係を築くつもりはない。それならばまだネズミどもと食糧の分配について話し合った方が建設的だ!」
「……語感は悪くて冴えねぇけど悪くねぇな、今の」
思わずそんな感想を述べてしまう。分かりやすく変化を付けてきたな、こいつ。もしかして人からの印象を気にするタイプか?
「今の発言のどこに悪くない要素があった? 最低だ。お前の普段のジョークの方がまだ聖書に載せられる」
前方のクロームが振り返らずに俺へ文句を言ってくる。
あれ? 今の最低だった? 俺のセンスが悪いの?
「ガンマの冗談はいつも最高にサムいもんね……。夏場でさえ有り難みがないくらい……」
セシウまで乗っかってきやがった。いつも白い眼で見られているので、こんぐらい痛くも痒くもない。目頭が熱くなるだけである。
「いいか、お前ら、今のあのおっさんの奴はな、実はすごく高度なことなんだぜ? 食糧を食い荒らすと言っておきながら、そのネズミと食糧の分配について話し合う。つまりネズミと歩み寄ることで、食糧の減少を一定に抑えようとしているわけだ。発想自体は悪くないが、相手は所詮ネズミ。頭を使って説得したところで無意味な相手だ。そんな奴らと話す方が、俺達みたいな社会的生物であり同類である人間と話すよりマシっていうんだから、俺達と頭を使って会話をする方が――って、俺達ネズミ以下なのか! つぅか、これサムッ! つまんね!」
「お前の今の前振りの長い話の方がつまらなかった」
「うん、つまらなかった」
「今のはちょっと……冗長ですね」
クロームの冷ややかな感想にセシウとプラナが続く。プラナにまで言われたとなると、今のは本当につまらなかったらしい。
最終防衛ラインのプラナから批判的な言葉が飛んだ時は、考えを改めるようにしている。
「なるほどなるほど。しかし、道理でお前と俺の関係が良好ではないわけだ。お前のジョークはサムい。だから円滑にならないのだな」
「ユーモア成分が一切ねぇお前には言われたくねぇ。少なくとも俺の方があのおっちゃんより捻りがあんだろ?」
「ガンマの言うユーモアはなんかすごく面倒臭い。あと話がまともに進まない。今現在も話がまともに進んでない」
セシウに言われて、ようやく今の状況を再認識する。そういえば包囲されていたのである。
リーダーと勝手に断定したおっさんは、自分の発言をさんざんネタにされて怒り心頭である。それとさんざんつまらないつまらない言われ、羞恥のあまり耳まで真っ赤。
ここまで来ると哀れである。
「貴様ら……! いい気になりおって! 領主様に突き出してやるっ!」
「ハァ!?」
予想外の言葉に俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「え!?」
「そんな!?」
手を挙げたまま、セシウとプラナも驚きの声を上げる。ただ一人、先頭に立つクロームだけが眉一つ動かさず、ゆっくりと取り囲む男達を見回し、ふんと鼻を鳴らした。
だから、なんでお前はそんなに余裕なんだよ……。
斯くして勇者一行は悪ふざけがすぎたあまり下手人へとクラスチェンジすることになってしまった。
なんとも馬鹿げた話である。
伝説の勇者が聞いて呆れるというものだ。