1Cr Drudgery―白黒徒花―

02.Cr of Messiah―救世の剣―Verse 7

 その後、幾分かの言葉を交わし、屋敷を後にした俺達はその足で昼食を摂った酒場へと向かっていた。昼時宴会を開いていたおっさん達はすでに別の店へ移ったらしく、店内にはほとんど人がいなかった。ただ、店主のおっさんだけがカウンターで雑誌を読んでいた。

「お、勇者様じゃねぇか。今はもう酒場になってんだが――」

「ラムコーク」

「バーボン、ロックで」

「純米酒」

「焼酎、牛乳割りで」

 おっさんが話している中、どかどかと乱暴にカウンター席へと腰を下ろした俺達は、次々に注文を入れていく。

 ちなみに注文は俺、セシウ、クローム、プラナの順である。

 俺達は四人とも顰めっ面で纏っている空気も平穏なものではなかった。店主は少し物怖じしながらも注文を受けて、動き始める。

 ……お察しの通り、かなり苛立ってた。

「あの女、絶対に許さない。絶対に。真相を暴いて、晒し首にしてやる……」

 一番端に座ったプラナがぶつぶつと何か危ないことを呟いている。少しばかり被り方が浅くなったフードの向こうに見える赤い眼は据わっていて恐ろしい。

 言っていることも当然恐ろしい。プラナにしては珍しい怒り方だ。

 まあ、そもそもプラナは怒ることが少ないからな。その分、プラナは怒ると根に持つので恐ろしい。

「なんなんだよ、あいつら。マジムカつく! 超ムカつく! ありえない! ホンットッにありえない! マジ殴りたい!」

 がんがんとカウンターに拳を叩きつけるセシウ。叩き割らないようにと力は加減しているが、それでも十分すぎるほど力強い。

 そりゃもう、俺だってこいつらの苛立つ気持ちはよく分かっている。

 一般市民に関して寛大なクロームだって、今回ばっかりは怒り心頭のご様子で、腕を組み背凭れにどっかりと背中を預けている。基本的に座っている時に背中がぴんとしてないクロームは感情が大きく動いていると思っていい。

「ま、まあ、二人とも落ち着けって……」

 そんな二人に俺は頼りない笑顔を貼り付けながら、やんわり宥めようと試みてみる。が、言った瞬間、女性陣二名にきっと睨まれた。

「これが落ち着いていられるか!」

「これが落ち着いていられますか!」

 同時に怒鳴られる。まあ、心中はお察し致します。

「ガンマは何とも思わないの!? あいつら超ムカつくじゃん! マジありえない! もし許されるなら、二人揃って骨を二桁くらい複雑骨折させてやりたい!」

「二桁なのか」

「うん! 九十九箇所だけど!」

 ならいっそのこと三桁にしてやれよ。

 その微妙な優しさはもう優しさに入らねぇよ。

「聞いたぞ? おっさんの私兵に引っ張られたんだってな」

 酒を持ってきたマスターが、俺達の前に酒を渡しながら言う。

「なんだ? 話が早いじゃねぇか」

 カクテルグラスを受け取りながら、俺は苦笑する。小さい村だもんな、話も出回るか。

「珍しいこったからな。あの豚野郎の私兵なんざ、滅多に動きやしねぇし」

 むすっとした顔でマスターはぶっきらぼうに言う。そういやこのおんちゃんは、俺達に対してもほとんどこんな態度だな。この村では珍しい普通に接してくれる人だ。

 悪い気はしない。

「そうなのか?」

「ああ。俺達がどんなに困って助け呼んでも普段は知らん顔だ。災難だったな、勇者様達もよ」

「ホントだよ! 何なのあいつら!」

 バーボンを一気に口に流し込んだセシウがドンとまたカウンターを叩いた。完全にヤケ酒である

「あいつら最初っから高圧的でさ! あたし達の話なんて聞きやしねぇ! ふざけんじゃねぇっつぅの! こっちは天下のセシウ様だぞ! あー! 思い出したら腹立ってきたぁ!」

 うおーっと吠え、セシウはバーボンを飲み干す。

 ゴリムス、ただの二口でグラスを空けるの巻。

 こりゃ相当キてる。

 セシウの向こう側のクロームもいい飲みっぷりだ。その向こう側のプラナもちびちびと飲んではいるが、あいつにしては飲むペースが速い。

 こりゃ明日は悲惨なことになりそうである。

「しっかし、あいつらが動くなんて、お前さん方、一体何やったんだ?」

「ちょっと野暮用でな」

 正直に答えるわけにはいかず、俺は言葉を濁す。

「ふぅん、まあ、詳しくは聞かねぇけどよ」

 さすがは酒場のマスター。濁された話題には深く入ってこねぇな。

 都合がいい。

「あの豚野郎にも困ったもんだぜ。自分は何もしねぇで、ただ俺達から食糧ばっかり持っていきやがる。流通も途絶えてるっつぅのによ。お陰様で俺達の食う分はどんどん減っていきやがるぜ」

 やっぱそういうことだったか。どの場所にも腐った奴ってのはいるもんだ。

「じゃあ、森に棲み着いた魔物にもノータッチってわけか?」

「ああ、お前達の森なのだからお前達でなんとかしろだとよ」

「仮にも領主だろ?」

「仮だったらどんだけよかったことかね」

 吐き捨てるようにぽつりと言いながら、マスターは俺の前に灰皿を出してくれる。

「ども。まあ、所詮は終末龍(シュウマツリュウ)によって乱れた世界を統率するための区画整理として派遣されただけだからな、領主なんて。当時は生き残りも少なかったし」

 煙草を胸ポケットから取り出し、慣れた動作で咥えてオイルライターで火を点ける。昨夜、オイルを入れ直したばかりなので、火の付きがよろしい。

 手のスナップだけでライターの蓋を閉じ、煙草の箱と一緒に重ねてカウンターの上に置いておく。

「終末龍……プルトニウスとかって言ったか? あいつが現れるだけで、地形が変わるって話だかんな。そりゃホントなのかい?」

「ホントホント。俺も実際には見たことねぇが、ハーヴェスターシャが実際に何度も目の当たりにしてるから、話は聞いてるよ。なんでも地面が盛り上がって山になって、あいつの力で山は平地になって、あいつが歩むことで盆地が生まれ、また海は荒れ狂い大地を飲み込んでいくらしい。お陰で千年前とは海の位置が全然違うだとかなんとか。気候なんかも狂って、終末龍が現れるまでは四季があったはずの場所が、通った後には熱帯と化した、なんていう話も珍しくはねぇ」

 ハーヴェスターシャ、所謂選定の聖女。クロームを勇者として選定した人物である。

 アカシャの生み出した最初の人類とも呼ばれ、またアカシャとの間に多くの人類を生み出した全人類の母とも呼ばれる女性。

 世界創造の時より今に至るまでを生きているとされる始まりの生命。

 真偽は定かではないが、あいつの語る情報に間違いはないだろう。

「とんでもねぇ話だな。まあ、五百年前はここも雪国で、周囲を海に囲まれた大規模な都市だったらしいから、それも納得は行くか」

 全然違うんだな、やっぱり。

 紫煙を吐き出しながら、そんなことを思う。

 終末龍(プルトニウス)が通るだけで地形も気候も人類の分布図も多きく変わる。

 なんせ歩くだけで谷を作るような奴だ。周囲の元素を狂わせ、気候を変えることまでできる。そいつがいるだけで、どれほどの人が死んでいくことか。

 人々の生存数も分からず、地図も全く役に立たない状態、終末龍が去った後には、荒れ果てた大地で途方に暮れる人々の姿しかない。

 家も、町もなくなり、一切の書物は消え失せ、気候も地形も変わり果てた場所から、百年かけて人々はここまで復興した。

 そんなことばかりを繰り返してきている。

 結局、そういった混迷をいち早く統率するためには、生き残った王室の人間が貴族を各地に派遣するしかない。領主がいなければ、統率なんてことは無理なのだから。

 生き残りを寄せ集めたあり合わせの貴族で何とかするわけだから、領主としての能力には若干の難もあるわけだが。

「まあ、この村も、先祖代々頑張ってここまで盛り返してきたんだ。今は多少の難もあっけども、できりゃこのままこの村が続いてほしいもんなんだがね。終末龍はあと何年で出るんだ?」

「んー、多少の誤差はあるけど、ハーヴェスターシャが言うには二年後だな」

 およそ百年周期で現れる終末龍。そいつが現れちまえば、今の生活も世界も一変することだろう。

 それは何としても避けなければならない。

 そのために――

「そのために俺達はいるんです」

 俺の思っていた言葉を、クロームがぽつりと呟く。

 純米酒を呷り、クロームは目を伏せる。グラス片手に考え込むような、悩ましい目元。その横顔だけで大抵の女はイチコロだろう。

「終末龍の再来は俺達が防ぎます。今の生活は、必ず俺達が守ります」

 静かながらも強い口調。そこにクロームの揺るがぬ決心を再確認する。

 やっぱこいつは根っからの勇者なんだよな。

「私も、もちろんそのつもりだよ」

 すでに四杯目のバーボンを呑んでいたセシウが笑み、グラスを掲げる。琥珀色の液体の中、氷が揺れて透き通った音を鳴らした。

「私も必ずや、終末龍の再来を防ぐことを誓います」

 普段は一杯だけで終わらすプラナにしては珍しい二杯目のグラスを、セシウと同じようにクロームの前へと掲げてみせる。グラスの中には乳白色の液体。プラナの頬はすでに上気しており、ほんのりと白い頬が桃色になっていた。

 三人の視線が俺に向く。煙草をのんびり呑んでいた俺は、煙草を灰皿に押しつけて火を揉み消し、グラスを手にとって立ち上がった。

 ラムコークを一口飲み、その甘い味わいを堪能しながら、クロームの後ろ側からグラスを差し出す。

「俺も、ま、大して役に立ちやしねぇが、その気持ちだけはあるぜ」

 自虐的なことを言いつつも、悪い気はしなかった。

 世界のためにここまで揺るぎない決心ができる仲間がいるっていうのは存外幸せなものである。

 思えてしまう。こいつらとなら、世界を救えるんじゃないかって。

 俺の前に立つクロームも僅かに唇の端を吊り上げ微かに笑っていた。穏やかに、どこか呆れまじりに。

「揃いも揃って馬鹿ばかりだ。最後まで付き合ってもらうぞ」

 誰も拒みなんてしなかった。俺も含めて、みんなが微笑みを湛えていた。

「では、勇者一行の大願成就を願って、かんぱーい!」

 セシウの音頭に合わせて、俺達はグラス同士をぶつけ合わせる。

 心地よい乾杯の音。耳に優しい透き通った音色。

 波打ち、僅かに零れるお酒も今は大して気にならなかった。

「マスター。終末龍の再来を防ぎ、俺達はまたここに来ます。その時まで、できればこの酒場があることを」

 グラスの中の純米酒を喉に流し込み、クロームは柔らかい微笑みを湛えて、マスターに語りかける。その願いにマスターはどこかシニカルに唇の片端だけを引き上げて笑った。

「あったりめぇよ。この村が俺達の故郷で墓だってんだ。例え何があろうと、俺はこの酒場にいるぜ。もし死んでも化けて出てやんよ」

 殺しても死ななそうなおっさんのその台詞に、俺はなんだかほっとした気がした。

 本当に、世界を救うことができたら、ここで村人全員と祝杯を挙げたいものだ。

 心の底から、そう思えた。

 らしくない感情だ。