1Cr Drudgery―白黒徒花―

03.Hopes Similar to Cm―希望は美女に似ている―Verse 1

「ふぅ……」

 酒場の入り口近くで俺は一息つく。酒が随分回ってきたので、静かな場所で一人のんびりしようと思い、外に出てきたのである。賑やかな場所に長時間いるのは好きじゃない。

 一人の時間が必要な人間なのだ、俺は。

 なんせ繊細だからな。

 というわけで酒場の喧噪からできるだけ遠離ろうと、俺は特に目的もなく夜の村を散策し始める。村には外灯なんていう上等なモンあるはずもなく、散在する民家から零れる温かい家庭の灯りだけが、慰め程度に地面を照らしている程度だ。

 もう日はとっくり沈み、空には満天の星々、そして満月だけがあった。

 空気が澄んでいるためか、星がよく見える。いい眺めだ。まるで宝石箱をひっくり返してしまったよう惜しげもない星空だ。鏤められた星の瞬きには、心惹かれるものがある。

 柔らかな月光は澄み切った空気に浸透するように仄かで、ぼんやりと下界を照らしてくれている。

 ホント、ここはいい場所だな。

 民家から漂う、美味しそうな夕食の匂いに鼻腔を刺激されながらそんなことを思う。ビールを何杯か入れたためどうにも空きっ腹で、その匂いは本当に沁みる。

 家庭の匂い。今となってはもう二度と俺が辿り着けない場所の残り香に、感傷的になってしまいそうでさえある。

 振り払うように視線を足下に落とし、ため息を吐き出す。

 ここは穏やかすぎる。ありふれた幸せばかりが目に付く。俺がかつて持っていたであろう物ばかりが幻覚となって俺を取り囲む。

 あー、忘れよう忘れよう。

 頭の裏の方に思考のリセットボタンがあればいいのにねぇ。

 俺は逃げるように、いつの間にか村を取り囲む柵の付近まで来てしまっていた。ただでさえ点々としか建物がない村の中でも、特段民家が少ない場所だ。

 無意識的にこんな場所まで逃避できる自分がつくづく嫌になるね、うん。

 俺はポケットから携帯灰皿を取り出し、柵に腰を預ける。柵自体の背が低いため、背中を預けきることはできないし、壊してしまうようなことも避けたいので体重もほとんどかけてはいない。

 俺は胸ポケットから取り出した煙草を咥え、その先端を火で炙ろうとして――

「動くな」

 ――背後から聞こえた女性の声に動きを止めた。硬質な声は冷たく、少しでも動けば何らかのよろしくアクションを取ってくるのは確実だ。

 ライターの火を熾そうとした状態のまま静止した俺の背中には温かい人肌の感触。きっと相手の背中が触れているのだろう。

「あー、すまない。手は下ろしてもらって構わない。疲れるだろう」

「そりゃお気遣いどうも。なんなら煙草を吸うことくらい許してもらえね――」

 腕を下ろしながら、そんな冗談を言ってみると、途端に鼻先で何かが燃える音。煙草の先端で燻る煙で、煙草の火をつけてもらったことはすぐに分かった。

 なるほど。魔術師か。

「ど、どうも」

「うむ、気にするな」

 どこか親しげさえ感じる声音で女は気さくに応じる。俺の背中に心地よい重量。どうやら完全に背中を預けてきているらしい。

 なんだろう。最初の冷たい声音とは相反する気安い態度は。

 まるで友達同士のようじゃねぇか。

「煙草の灰を落とすくらいなら許そう。申し訳ないんだが振り向くようなことはしないでくれ給え。あまり姿を見られるわけにはいかないのでな」

 なんとも対等な立場からのお願いであった。注意や警告などというものではない。本当に友達に頼み事をするような言い方だ。

 そんな彼女のどうも釣り合わない言葉を聴きながら、俺は綺麗な声だな、なんていうこれまた場違いな感想を抱いていた。

 全体的に声の通りがいい。芯が通っているというか、落ち着いていながらも力強い声だ。もともとの声質も耳に残るものである。

 穏やかで親しみやすく、女性らしいたおやかさも感じられた。

 女性にしては少し低い部類に入る音程だな。それも力強さを感じさせる一因なのかもしれない。

 どうにも聞いていて落ち着く声だ。ずっと聞いていたいとさえ思えてしまう。

 とまあ、ここまで声について分析してるのは、それ以外に相手の情報が一切見えないからなんだけど。

「まあ、そりゃ分かった。何もしなけりゃ命を奪うようなことはしねぇと信じていいんだな?」

 そんな問いに何の意味があるのかは俺にも分からない。背後を取られた時点で、俺の生殺与奪は全て彼女に握られている。例え彼女が俺を殺さないと言っても、その気になればいつでも殺せるわけだ。

 くっそ、油断していた。最低でも二人一組で行動するように徹底していたというのに、油断してしまった。

 ついつい気が緩んだ……。

 四人全員、アルコールでまともな思考なんてできていなかったんだろう。本来だったら誰かしらが諫めるはずなのだ。

 まあ、そんなことをとやかく考えても仕方ねぇな。

 しっかし……提案し、徹底するように呼びかけていた本人が忘れて、こんなことになるなんて。笑える話だ。

「ふふふ、何もせんよ。別に獲って食うようなこともせん。安心していい」

 やっぱり、どうにも語調が親しげだな。こういう性格なのか?

 余裕たっぷりの悠然とした口調は、知性と教養を感じさせた。

「今はその言葉を信じておくよ。で、あんたの名前は? 女性を三人称で呼ぶのは趣味じゃねぇんだ」

 俺の冗句に、相手も軽口で応じてくれるものだと思っていたのだが、返答がなかなかこない。しばしの沈黙。

 気分を害したか?

 後ろから何か重いため息が聞こえてくる。思い詰めるような、何か諦観に満ち溢れた湿っぽく重い息。聞き慣れたものだ。常日頃から俺がそんな感じのため息を吐いてる。

「おい? なんか悪いこと言ったか? あー、俺から名乗るべきか?」

「いや、いい。お前の名前は知ってるんだ、創世種(エレメンツ)第二十五位――付加の元素(エレメント)ガンマであろう?」

「……へぇ。そこまで知ってるわけか」

 俺達の二つ名は基本的に一般人には開示されていないはずなんだけど。あくまでも俺達四人が所属する組織である《始原の箱庭(アペイロン)》内で使われるだけのものだ。外部にも知る者はいるが、それは本当にごく一部。

 その情報を知ってる奴となると、ある程度相手の素性も見えてくるもんである。

「まあ、お前ほどの頭なら察しは付いているだろうが、私も礼節を踏まえて名乗ろう。初見となる。私は《魔族(アクチノイド)》第八位――言霊の魔術師、キュリー。謂わばお前達の相対者(テキ)だ」

 やっぱりそうだよな。

 これは厄介な相手に絡まれたかもしれない……。

 俺一人じゃ《魔族(アクチノイド)》をどうこうすることなんてできるはずもねぇ。相手は幾星霜の間、世界を敵に回しながら生き延びてきた化け物集団だ。

 勝てるわけがない。

 また逃げられるわけもない。

「《魔族(アクチノイド)》が俺に何の用だ? 勇者なら酒場で他の奴らと飲み会中だ。アルコールが回ってるから、楽に倒せるんじゃないか? 俺を見逃してくれるなら案内してやるよ」

「ふふふ、迷いもなく仲間を売るとは。相変わらず気持ちの良い奴だな、お前は。どうせ、酒場に私が入った瞬間、後ろから君がずどん、ずどん、ずどん、あとは酒場の三人からの波状攻撃で私を倒すつもりなのだろう?」

 チッ、読まれてたか……。

 小手先の小細工が通用する相手じゃねぇようだな……。

 さすがは《魔族(アクチノイド)》っていったところか。簡単には騙されてくんねぇな。

「まあ、用件とは言っても、先程も言ったように獲って食うつもりなどはない。ただ、少し助言をしに、な」

「《魔族(アクチノイド)》が助言? どういうことだ?」

 クソ、さっきからこいつの真意が全然読めん。考えが見えない相手は苦手だ。

 俺は煙草の灰を灰皿に落とし、紫煙を吐き出す。

 落ち着け。焦るな。考えろ。思考を止めるな……。

「この村に魔導陣が仕掛けられていることは知っているな?」

「……貴様らがやったことだろうが」

「まあな。とはいえ私は一枚噛んでる程度なんだが。協力を乞われて、やむを得なくといったところだ。私は大量殺戮なんてのは趣味じゃない」

 やっぱりあの魔導陣はそういう代物なんだな。

 プラナの目に間違いはなかった。僅かでも疑った俺の方が愚かだったというわけだ。

 まあ、これで何の迷いもなしに信じていいということなのかもしれない。

「《魔族(アクチノイド)》にも大量殺戮が嫌いな奴がいるとはねぇ。じゃあ、趣味は奴隷を侍らせることなのか?」

「ふふふ、お前の冗句は相変わらず冴えないなぁ、ガンマよ。私は、それほど人間に興味がないだけさ」

 ……一番危険な嗜好の持ち主じゃねぇか。

 他者に興味がない奴は一見不干渉と思えるが、実態はそれに対して何をするもしないも一切の感慨を示さない奴だ。殺すなら殺すし、殺さないなら殺さない。ただそれだけの単純な動機で、どんなことでもやってのける。

 素直に殺戮が好きな奴の方がまだ説得の余地がある。

「それでだ、私も片棒を担がされてはいるわけだが、あいつのやり口はあまり美しくない。おそらくこれから起こるであろう阿鼻叫喚の惨劇にも情緒や芸術性が欠けることだろう。本音を言うなら、面白味がない」

 ……つまり、その条件を満たしてれば何の躊躇いもなく協力していたかもしれないというわけか。

 やりづらい相手だ。何を考えているか分からない奴は、何をしでかすかも分からん。悪党は悪いことしかしねぇから楽なんだけど。

「それで俺達に情報をリーク、か?」

「そういうことだ。私も一応《魔族(アクチノイド)》の一人。あからさまな叛逆行為は慎まなければいけない。なので、お前達にヒントを与えて、その可能性に賭けてみようと思ったわけだ」

 ふふふ、とまたキュリーが艶然と笑う。

 くそ……さっきから分析を試みているが、こいつの性格が全く読めない。真意が見えてこない。

 遊ばれているのか? いや、しかし、それだけならここまでする必要はなにもなく……。

 誤った情報を与えて混乱させるつもりか?

 それとも本当に助言を?

 分からねぇ。読み取れねぇ。

「なるほどな。お気遣いは有り難いわけだが、話す相手を間違えたな。勇者様が出てくるまでもう少し待つことだ。俺に話したところで――」

「いや、私はお前がいいのだよ」

「は?」

 俺でいいのではなく俺がいい?

 俺が出てくるのを待っていたっていうのか?

「キュリー、お前は案外見る目がないんじゃねぇのか? 俺は、あのメンバーの中で一番の雑魚だぜ? その上発言力もねぇ。俺に言ったところで何も変わらんぜ?」

「ふふふ、本当にお前は小さく纏まるのが好きなのだな。私からすれば、お前が適任だよ。それに考えてもみろ? クロームの前に私が現れた場合を、さ。その瞬間、私は十六寸に切り刻まれるだろう?」

「……確かに、な」

 あいつは敵に対して容赦がねぇもんな。

 例えキュリーが何かを嘯いたところで、クロームは何の躊躇いもなく剣を抜き、徹底抗戦することだろう。キュリーにその気がなくても。

 おおよそ話にならない。

 プラナもまた同様であろう。敵には案外、冷たいのがプラナだ。屋敷でのトリエラとの舌戦を鑑みれば、分かることだろう。

 セシウは……馬鹿だからなぁ。

「お前が一番中立的な立場で物を見れる、と私は思っている。それに頭の回転も速い。そこそこに善人で、そこそこに悪人なお前なら、私の情報が有益だと思えば、それを参考にすることもできよう?」

 ……こいつは、どこから俺達を、俺を見ていた?

 いつからだ?

 こいつは俺達の多くを把握している。

 分析できている。その上で俺が適任だと判断している。普段は馬鹿やって、頭を使ってるような素振りは見せないようにしているというのに、どうして気付けた?

「だから、それでも俺に発言権はねぇんだよ」

「お前は本当に脚光を浴びるのが苦手だな、ガンマよ。お前は勇者一行の頭脳(ブレイン)だろう? 貴様はその軽薄な口振りと、ふざけたような演技で、常に勇者達を自分の望む方向へ誘導しているではないか。なあ?」

「何の話かさっぱり分からねぇな。俺は小狡さに定評はあんだが、そんなすげぇ能力は持ってねぇよ。ま、相手を呆れさせることに関しては自信があるぜ?」

「変わらんなぁ、お前は」

 どこか慈しむように、ぽつりと独白のようにキュリーが述懐を零す。まるで遠い過去に想いを馳せるような口振りだ。

 ……こいつは今、何を見ているんだ?

「さて、お前はどうしても話を逸らす傾向があるな。毎度毎度困ったものだ。歓談を楽しんでしまう。本題に移っても構わぬか?」

「おっと、そりゃすまねぇな。入ってくれて構わねぇ」

 言いながら、俺は煙草を灰皿に押しつけて火を揉み消す。

 今となってはすっかり緊張感が途切れている。肩の力が抜け、すっかり友人と話している気分だ。

「煙草はもういいのか? なんなら火を貸そう」

「いや、今はいい。本題に入ってくれ」

「そうか。ではそうさせてもらおう」

 ふぅと一息ついて、キュリーは話し始める。

「魔導陣の起動は、予定通りだと明晩、一九〇〇(ヒトキュウマルマル)。時間に猶予はないだろう。本当なら魔導陣のプログラミングコードの詳細を与えてもいいのだが、それは少し難しいだろう?」

 そらそうだ。

 それがあればプラナは簡単に魔導陣を無力化するプログラムを構築できるだろう。ただ、そのコードの詳細を俺が持っていることをどう説明する?

《魔族(アクチノイド)》の手を借りたなんて言って、あのクロームがそれを快く思うわけがない。最悪、キュリーから得た全てを使わない道を選びかねない。それは遠回りすぎる。

「じゃあ、どうすんだ?」

「そのための計画について話し合いたい。とはいえ、お前が長時間戻らなければ、勇者達が不審に思うはず。それも避けたい。今は一度、酒場に戻った方がいい。宿屋に戻った後、一号室に来てくれ。そこで待っている。いつでもいいが、なるべく怪しくない形が好ましい。不審に思われないなら時間がかかっても問題ない」

 宿屋の一号室? 随分と近場じゃねぇか。

 そういや一号室は、よく看板娘が出入りしていたな。今日も俺が出かける時に一号室で何かしていたっぽいし。

「バレないようにとは言うが、そうなると全員が寝静まった後になるぞ? クロームとセシウは放っておくといつまでも飲み続けるから、帰ってくるのさえ遅くなる」

「相変わらずレディへの気遣いはできるようだな。気にすることはないさ、待つのは――嫌いじゃないんだ」

 どこか優しい声音でキュリーは答える。

 なんなんだろう。こいつがたまに発する、懐かしむような声は。

 遙か過去に思いを馳せているようだ。

「もし、話に乗らないのであれば、部屋に来なければいい。その時はその時、仕方のないこと、だよ」

「行くから安心しろ。ここまで聞いて、尻込みできる人間でもねぇ。だから、遅くなるかもしれねぇが待っててくれ」

「ああ」

 なんとなく背後でキュリーがゆっくりと頷く気配を感じた。

 敵、なんだよな、こいつは。そんなことまで考えてしまう。どうにもこいつを敵と思えていない俺がいる。

 おかしな感覚だ。

「あー、それと、宿屋の三号室にある机の抽斗に俺の本が入ってる。多分帰るまでしばらくかかるだろうし、暇なら持っていって読んじまってもいいぞ? 本は好きか」

「ふふ、ああ、大好きだよ。借りるとしよう」

 ……何気遣いしてんだ、俺は……。

 三人に知られたら軽蔑されること間違いなしだな。敵勢力と仲良くご歓談だなんて。

「では、今は一旦別れよう。私は先に去る。それまで決して振り向いてはいけない。面倒だが、すまんな」

「そうかい。じゃあ、また後でな」

「ああ、また、いずれ。ふふ、まるで逢い引きでもするようだな」

 そんな悪い気はしない冗句を言って、キュリーは俺から背中を離す。心地よい重みと温もりが背中から消えて、なんだか物悲しささえ感じている自分がいた。

 この感情は何だろう? 無性に焦れったい。

 キュリーの足音が聞こえなくなるまで待って、俺もまた酒場への道を進み始めた。

 考えなければならない。

 キュリーの真意が何なのか、彼女と話して俺は如何なる行動を取るべきなのか。

 それを見誤れば、全てがダメになってしまう。

 考えよう。俺にはそれしかないのだから。