1Cr Drudgery―白黒徒花―

04.#A757A8 Th群咲の魔女―Verse 1

 現在時刻は二一四八――セシウに聞いたので間違いない――作戦開始時刻は二二〇七。

 少しばかり余裕を持って開始地点に着くことができた。

 俺達が来ていたのは村の端、この村を取り囲む柵のすぐ側だった。

 周囲に人はおらず、この辺には家も少ない。お陰で俺達は堂々とその場に立ち尽くしていることができた。

 もう大分、日が暮れてきている。今頃酒場ではおっさんどもがたむろしているかもしれねぇな。それ以外の連中が家に入っているだろう。

「ねぇ、ガンマ?」

 傍らに立つセシウがふと俺の顔を覗き込んでくる。今はクロームとプラナがいない。二人は別の場所で待機している。

 そういや、二人一組になる時はいつもこの組み合わせだな。

「なんだよ?」

「魔導陣を破壊するって言ってたけど、周囲の小さい魔導陣を壊しても意味ないんだよね?」

「ん? ああ、そうだな。大魔導陣だけでも時間はかかるが、魔術は発動する」

 何を今更そんなことを……。

「で、その大魔王人――」

「大魔導陣な」

 どんな人種だ。

「――ダイマドウジンは私達に見えないんでしょ? 小さい方はいいとして、どうやってそっちを壊すの?」

 ……こいつは、さっき一体何を聞いていたんだ?

 何も聞いてなかったんだろうな。聞いていたとしても理解できてないか忘れているかのどっちかだったんだろうな。

 バカめ。

「あのな、意識結界は補助魔導陣が張ってんの。だから、補助魔導陣を壊せば、大魔導陣も自然と俺達に見えるようになる。それを壊せばいいだけの話だ」

「あー、なるほど。そういうことか」

 納得して満足気に微笑むセシウ。んー、これだからこいつは……。

 まあ、話の腰を折らないためにあの時はあえて疑問を口にしなかったんだろう。そういうところでは気が回るんだよ、こいつ。

 つまるところ、プラナの提示した作戦はそういうものだ。まずプラナが、構築したアンチプログラムを組み込んだ魔術を発動させ、魔導陣に張られた意識結界と罠を無効化する。

 さすがのプラナでも大魔導陣を最初から裸にしたり、魔導陣そのものを無力化するようなプログラムを組み上げるには時間が足りなかったようだ。

 それでも意識結界と罠がなくなれば随分と攻略は楽になる。

 実際、こんな短時間であの膨大な譜面に対するアンチプログラムを組み込めるだけでも、十分すごいことなのだ。

 本来なら二日三日かかってもおかしいものでさえある。

 プラナだからこそできたことだ。何も文句は言えない。

 俺は魔導陣の破壊用に与えられたスローイングナイフを一本、腰のベルトのホルスターから引き抜く。プラナが用意した特別製だ。物自体はそこそこ簡単に手に入るが、プラナの魔術が施されているため魔導陣に対しては圧倒的な威力を発揮してくれる。

 銃じゃ、さすがに銃声で目立ちすぎるからな。その辺のことも考えてくれたプラナには感謝せねばなるまい。

 まだ同様の術を施した銃弾も一応渡されているが、これはできれば使いたくないところである。セシウの革製のグローブにも同様の魔術が施されている。

 短時間でこれだけのものを用意したプラナはやっぱり天才だ。

「ねぇ、ガンマ?」

「なんだよ」

 また何かくだらないことでも聞かれるのかと予想しつつ、俺は隣のセシウへと顔を向ける。どうせまた能天気な笑顔でも浮かべて――

「…………」

 セシウは――俯き、下唇をぎゅっと噛んでいた。その目は今にも泣き出しそうなほどに弱々しく、揺れているようにさえ思えた。いや、思えたんじゃない。今、確かにセシウの薄い肩は震えていた。

 じっと爪先を見下ろし、拳を握り締めたセシウ。予想だにしていなかった見知らぬその表情に、俺は一瞬言葉を失ってしまう。

「…………」

「ど、どうしたんだ、お前?」

「ガンマ……。私達、村の人達……救える、よね?」

 ゆっくりとセシウが俺の顔へと視線を向ける。顔は地面に向けられたまま、目だけで窺うように……。

 今にも泣き出してしまいそうで、その危うさがどうしようもなく不安定で、俺は近付くことも離れることもできず、いつもそうであったはずの距離感をそれでよかったのか、と疑ってしまう。

 この距離感は果たして適切なのか。近付けば泣き出してしまいそうで、離れても泣き出してしまいそうで、後ろにも前にも動けない。

「……あのね、ガンマ……私さ……今まで、いろいろ誰かを救うためにやってきたけどさ……これが失敗したら誰かが死ぬ、なんてことは初めてなんだよね……情けない話だけど……」

 そうか……そういやこいつはヒュドラの身辺警護が本来の仕事。それ以外の場所に駆り出される時はあってもその時は戦場ばかりだっただろう。確かに戦場でも自分の行動一つで味方の生死が決まってしまうことはある。だけどそれは死さえも覚悟した戦場での殺し合いの果てにあることであって、避けては通れない道としてそれなりの納得に落ち着かせることができるし、最善を尽くしたのならば責められる奴だっていない。

 でも、今は違う。

 俺達はたった四人でこの村の人々全員の命を守らなければならない。村人達は戦場に立つ兵士などではなく、誰も死の覚悟なんてできていないし、ただ穏やかに生きているだけだ。

 全ての責任は俺達が背負わなければならない。もしここで救えなかったら、それは全部俺達のせいになってしまう。納得させることだって難しい。

 四人だ。たった四つの身体だ。ただそれだけの心で背負わなければならない。

 それはきっととても辛いことで、またどうしようもないくらいに逃げ場がないのであろう。

 卑屈になって閉じこもることだってできるだろうが、きっとセシウはそれをよしとしないんだろう。

 人を救うという行為の尊さとその重圧。最初から何もしなければ、成功した先の栄光も得られないが、そんな責め苦を受けることだってない。

 何もしなければ楽に決まってる。でも、それはできない。

 なんせ、勇者の仲間だからな……。

「不安、なのか?」

「そりゃ……そうだよ。だって、私達が失敗したら、村のみんなは……」

 込み上げてくるものを堪えるように、セシウは唇を噛み目を僅かに細める。視線を俺から逸らし、また爪先へと落とされた。

 今、こいつの脳裡には村の人々の笑顔が去来しているんだろう。

 なんで分かるかって? 俺もそうだからだ。

 看板娘や、俺達に花環をくれた少女、酒場の親父――みんな屈託のない笑顔を浮かべてていて、ちょっと抜けてるところはあるけど真っ直ぐで、みんな温かくて。

 喪うわけにはいかない。

 でも、その命全てが今自分達に委ねられている、なんていう現状は確かに重すぎるものもある。

 そうは言っても、やれるのは俺達しかいないのが事実。

「不安に決まってるじゃん……。だって全部私達にかかってるんだよ……? この村のみんなの未来を……私達が背負ってるんだよ? 不安じゃない、わけ……ないよ……」

 掠れた声で呟くようにセシウは零す。

 なるほどな。こいつなりに、いろいろ考えてたわけか。

 いつもバカバカ言っちまってるけど、こいつはそこまでバカなわけでもない。むしろしっかりと自分で考えて行動のすることができる奴だ。

 ちょっと俺達が小難しい話しすぎるせいで、バカっぽくなっちまうけどよ。

 別に頭が悪いわけじゃあねぇ。

 まあ、バカバカ言うのをやめるつもりはないが。

 それに今更、表面上の評価を変えるわけにもいかねぇだろう。恥ずかしすぎる。

 俯いたままのセシウの横顔は湿り気を帯びていて、頬にかかる長い髪に、ああ、こいつも女だったんだなぁなんて的外れの感想さえ浮かんでしまう。

 女なら、放っておけねぇよな。

 困った女性には優しくしてやるのが男として生まれた者の義務だと俺は思っている。

 なら、こうしてここで俯いている奴が例え野蛮な幼馴染みだとしても、そいつが女の顔をしているのであれば優しくしてやらねばなるまい。

 大義名分は揃ってる。

 俺は努めて温かさを感じられるかもしれない微かな笑顔をセシウに向ける。

「なぁにらしくもねぇこと言ってんだよ。お前はお前だ。お前のできる限りのことをすりゃいいんだよ」

 語調もなるべくきついものにならないように気を払う。セシウを落ち着かせるよう、穏やかにゆっくりと言葉を紡ぐ。

「でも……もし失敗したら……」

 未だに踏ん切りがつかないセシウに俺は頭を掻く。根が他人想いだからな。絶対に守りたいからこそ、失敗した時のことが怖いか。

 俺は俯いたままのセシウの前へと立ち、腰を少し曲げてセシウの両肩に手を置く。目の高さを同じにし、伏せられた瞳をじっと見つめる。

 両手を置いた肩は今も震えていて、こいつはまだまだ未熟だったことを思い出す。

 妹のような存在だ。小さいころからずっと側にいた。

 こいつはあの頃からそう変わってはいないんだろう。どんなに強気に振る舞っていても、心はずっと繊細だ。

 先程、この作戦が終わったら宴をしたいと言っていたが、あれも不安を払拭するための提案だったのかもしれない。

 こいつは、こいつなりに頑張ってるんだよな。

「そんなこと考えてどうすんだよ。クロームが言ってたろ? できるはず、じゃなくて必ずやり遂げるんだ。失敗なんか考える必要はねぇ。俺達は必ずやり遂げられるはずだ。もしもを考えてたら、成功するもんも成功しねぇよ」

 セシウが僅かに目を上げる。顔は未だに下を向いているため、自然と上目遣いをするような形になり、濡れた瞳も相俟って、その仕草はどうにも愛らしくて……。

 うぐっ……落ち着け俺。こいつはただの幼馴染み。家族みたいなもんだ。妹に欲情する兄がどこにいるっつぅんだ。

「ガンマ……分かってるよ……でも、さ」

「でも、じゃねぇよ。俺達がやらずに誰がやるっていうんだ? それとも見殺しにしろっていうのか? それはお前が一番嫌なことなんじゃねぇのか?」

 セシウはまた目を伏せてしまう。

 いかん。ついついいつもの調子で言葉に棘ができてしまう。抑えろ抑えろ。

「お前が、この村の人々を救いたい、と強く思ってることは分かってるよ。長い付き合いだ。分からねぇわけがねぇ。大丈夫だ。お前は村人達のために尽くせる限りの全力を尽くせばいい」

 どの道、俺達はそうするしかないのだ。

 たった四人の人間にできることなんて全力を尽くすこと以外、何もない。俺達が多少特別な力を持っていたとしても、だ。

 結局は人間でしかないんだから、大いなる流れの前に抗うには、ただがむしゃらに頑張り続けるしかない。

 少なくとも俺達は全力を尽くすべき方向を見つけられた。一縷の希望が見えたならば、そこに縋るべきだろう。

 抗える手段があるだけ幸いだ。

「その結果がどうであれ、そこにいちゃもんを付けたり、お前を責めたりするような奴がいた時は、俺がそいつを絶対に赦さねぇよ」

 俺の説得に、セシウは弾かれたように顔を上げる。目を大きく見開き、俺の顔を直視してくる。

「え……? 今、なんて言ったの?」

「だから、お前を責める奴がいたら、俺はそいつを絶対に赦さねぇっつったの。お前はただ全力を尽くしてくれればいい。誰にもお前を責めさせやしない」

 セシウの瞳が僅かに揺れる。俺から逃げるようにそっぽを向くけど、この状況じゃどうやっても横顔が丸見えだった。

 さっきまで泣きそうだったせいか、なんか頬が紅いような。あれ、泣きそうで頬って紅くなるもんだっけ。

「ど、どうして……そこまで……」

「ん? いや、そりゃ、お前が大事な家族だからだろうが。絶対にお前を守ってやるよ」

 何を今更。

 妹も守らない兄はいないだろう。こんなに悩んでたら。それはまあ、家族として当然の義務だ。

 俺の答えに、何がおかしいのかセシウはぷっと吹き出した。

 ……わ、笑われた……!

「私より弱いくせに」

 顔を上げたセシウは少し充血した目で、俺を上目遣いに見てくる。先程までの弱々しさなんかなく、悪戯気な笑みまで備えてある。

「う、うるせぇな」

 気恥ずかしくなって。俺は震えているセシウの肩から手を放す。今も震えているのはきっと込み上げてくる笑いを抑え込んでいるからなんだろう。

 その心遣いは一体なんだ。

「頼りないのに、言うことだけは立派なんだから」

「わ、悪かったな」

 今度は俺が顔を逸らす番だった。

 そりゃ俺なんて大した実力もねぇよ。セシウと比べれば本当に身体能力は劣っている。

 それでも家族一人くらいは守るくらいの格好はつけたいじゃねぇか。

 俺の中にある数少ない譲れないものであった。

 痛いところを指摘されてとぎまぎとする俺にセシウはにっこりと笑ってみせる。

「でも、少し元気出たかも。ありがとね、ガンマ」

 それは本当に穏やかな声音で、俺はどうしてかその笑顔にほっとしてしまう。

 こういう感覚は慣れんな、どうにも……。

「う、うーっし、作戦決行の時間も近い。気を引き締めて行くぞ」

 俺は湧き出てくる感情を振り払うようにセシウへ背を向け、腰に両手を当てて目標の魔導陣があるであろう方向を見つめる。

 背中にはどうにもちりちりとした感触があって落ち着かないけど、一度背を向けてしまった以上振り返る勇気もなかった。

 今は、ただ、これから始まることに集中しよう。こいつのためにも悪い結果にはしたくない。

 もし誰かがこいつを責めても俺は大した支えになれやしないんだから、せめて今この時に全力を尽くしそうなることを未然に防ごう。

 俺にできるのはそれくらいのことだ。