序章


 ――弱者は死ね。
 ――強者は生きろ。
 今、この場にいる五人の少年達はその理念――いや、狂った信念と言える想いを胸中に、殺人行為を継続していた。鳴り止まない銃声。止まない悲鳴と断末魔の叫び。その、人を殺すためだけに造形された武器の引き金を引く音によって、数多の死が体現されていく。
 ただ引き金を引くだけ。それだけの行為で無関係の人間が死んでいく。
 入り乱れる鮮血は静まることを知らない。少年達の視界は一時間ほど前から赤という色彩ばかり映っている。
 血液は命の一部だ。人間として生命を働かせるための機能だ。それを大量に損失した者は、容赦なく魂の存在ではなく命の不在へと堕ちていく。
 ただ引き金を引くだけ。そんな些細なことで理不尽に人間は死んでいく。
『閉鎖街(へいさがい)』とはそういう場所だ。自己の存在を厭でも認めさせるために弱者を殺し、勝利の悦に泥酔する。そのような小さな達成感と引き換えに、女も、子供も、理不尽に死して逝く。
 それは弱者にしてみればただの残虐行為であり、
 強者にとっては存在を証明するための快感行為。
 それが閉鎖街での日常。外界では決して起こりえない非日常ではなく、ただの日常であった。

「殺せ殺せぇえええええ!」
「殺し尽くせやぁああああああッ!」
 閉鎖街、エリア四の町に奇襲を仕掛けた、見かけ十代後半ほどの五人の少年達は、拳銃やマシンガンを手に握り、猛獣の如く雄叫びを上げる。彼らの表情はクスリをヤッたように狂人的な貌をしていた。
 ――血が足りない。
 ――もっと死を。
 ――俺達が強者である証を。
 先ほど大広場で二十人ほどの殺害を行ったというのに、彼らはまだ満足しきれていなかった。
 彼ら五人は今日、この閉鎖街に行き着いたばかりだ。
 そして、東区の門で偶然出会った彼らは、閉鎖街内部においての掟を知っていた。
 漂流するかのように、浮浪するかのように――『裏家系』から追放された彼らが行き着いたのが、この日本の関東地方における最大の無法地帯――閉鎖街だった。
 そして、門の近辺に散乱していた血痕塗れの拳銃を武器に、同じ境遇を受け、自然と意気投合し、意見が合致した彼らは――閉鎖街の東区の門を潜った。
 
『――弱者は死ね。強者は生きろ――』

 それが閉鎖街の掟。強者に成りたければ、弱者であることを捨てたいのならば――自己の存在を証明したければ強者となれ。
 彼ら五人は生まれ育った一族で不要と判断され、『裏家系』から追放された劣等者だ。血統による能力を開花することができず、容赦なく一族に捨てられた屑だ。
 しかしこの閉鎖街は違う。何の能力も開花できず、一族の中で弱者だった過去があっても、ここでは自分達の力を証明し、力を誇示することができる。
 落ちこぼれが更生する新しい生き様。
 無能者が浸れる強者という名の悦。
 それが、今の彼を構築している存在概念だ。そして、その証――功績とも言えるだろう――を次々と残してきている。
 ――最高だ。五人の中の一人が歓喜に叫んだ。
 もう自分達を弱者だなんて言わせない。無能者だなんて罵倒させない。
 確かに、彼らはこの閉鎖街に辿り着き、わずか一時間弱でエリア四に住む二十数人の一般人を殺した。生まれた場所ではどの能力においても一族全員に劣り、何事においても勝てなかった自分達が、二十数人を殺せたのだ。
 それは彼らの確かな功績であり、この閉鎖街における完璧な存在証明、生き様といえた。
 その快感、達成感、証明感が彼らの脳をさらに侵していく。すでに彼らの理性は外れ、本能のままに行動している。
『強者になれた』という感覚がさらなる殺戮を望み、行動へと移行させる。
「裏路地に回れ! 誰でもいいから殺せ! もう無能者なんて言わせねえ! 俺達は強者なんだ!」
 少年達のリーダーがそう叫ぶと、残り四人は同調するように力の限り咆えた。

 少年達は大広場から多少離れ、高い建造物の外壁に左右を囲まれた裏路地へと侵入した。高い外壁によって陽光は射さず、昼間の二時でも光が遮断されている。
 薄暗い路地裏には誰もいなかった。確か、大広場で逃がした子供数人がこの路地裏に逃げ込んだものだと思っていたが、見間違いだったのだろうか。
「――ちっ。誰もいないじゃねえか。おい、お前ら他の場所を――」
 と、先頭を走っていたリーダーの男が振り返り、後方にいる四人に指示を出そうとした。
 
 だが。

 いつの間にか、四人全員が視界から消えていた。目の前の暗い路には誰もいない。
 そして、その認識が誤りだと気づいたのは、ただの一拍遅れた後。
「あ、あれ……?」
 一人残されたリーダーだった少年は、その違和感に気づいた。
 何かがおかしい。何かが違う。何かを忘失している気がする。
 今、自分は何でそんなことを口にしたんだ?
 そう、なぜ。
「お前らって、誰のことだ……?」
 自分の言った言葉の意味が理解できなかった。
 いや、それ以前に、自分は一人で閉鎖街に来たはずではなかっただろうか?
 拳銃を握り、一人で東区の門を潜ったのではなかっただろうか?
 一人で二十数人を殺したはずではなかっただろうか?
 そうだ。自分は――一人で閉鎖街に入ったはずだった……。

「封殺完了」

 不意に前方の闇から届いた声は、氷のように冷たく、少年の暴走しかかった思考を断絶させた。
 途端、背中に無数の虫が這うような感覚に襲われる。
 寒気、悪寒、怖気、その、人間として感じる嫌悪感の感覚全てを感じながらも、それらが違うとリーダーだった少年は思った。
 
 これは、死の予感だ。
 
 歯がガチガチと音を立てる。
 背中を這う虫の数が増える。
「人間の持つ記憶の四大機能――『記銘』、『保存』、『再生』、『再認』。この内の一つ、記銘という機能から観測者(おぼえているもの)の記録を消去することにより、記憶の損失が発生する。この上位概念技巧を、裏世界では『存在の因』の抹消――封殺という」
 昏い影から姿を現した男は、淡々とした口調で言う。
 その男は、真夏の季節だというのに黒色のロングコートを羽織り、足には灰色のロングブーツを履いていた。それでも顔には汗ひとつ掻いていない。涼しげな――いや、何の感情も抱かせない無表情で、自分を静かに見据えている。
 年齢は自分と同じく十代後半ほどか。腰まで届く長い漆黒の髪を後ろで結った男は、コートのポケットに片手を突っ込んだまま除々に自分との間合いを縮めていく。
「『存在の因』が消滅した者は、この世界においての究極的な抹消に至る。観測者に在った記録が無くなるんだ。『消滅の果』を辿ることはなく、その存在を憶えている人間は誰もいなくなる」
「……い、意味分かんねえこと言ってんじゃねーぞ、テメェッ!」
 リーダーだった少年は、右手に握った拳銃を男に向けた。
 しかし、男は表情一つ変えず、静かに目を細め、
「無能者から抜け出せたと思っていたのか?」
「な、なんだ、と――」
 突然、自分の境遇を知っているかのような、的を射た問いを投げてきた。
「四人共、同じ感情を抱いていたらしいな。この町で弱者を殺すことによって、強者になることができる。閉鎖街に来たばかりの人間は皆同じだ。強者へと成立させたい感情を持てても、それは強者だと錯覚していることに気づけない」
「……黙れ」
「世界的に俯瞰したら、俺達が無能者であることに変わりはない。この町で存在を誇示、証明できても、それはこの町だけの話だ」
 ――それ以上、古傷を抉るな。それ以上、俺という存在を侮辱するな。
 そう胸中で思っても、男の言葉はただ的確で、言い返すことさえできなかった。
「お前はこの町で強者になれたと思っているだろうが、それは間違いだ。――俺達は、ただの弱者だ」
「黙れって言ってんだろうがぁああああああああッ!」
 叫び、少年は瞬間的にトリガーを引いた。
 乾いた銃声が鳴り響く。
 しかしその前に。
 男はトリガーを引く少年の動作よりも疾く、掌を前に翳していた。
 男の掌から放出されたレーザーに近似した黄金色の光は、銃口から発射された弾丸をあっけなく呑み込む。
 弾丸は直後、地面に落ちた。
「あ――」
 ドシュッ、と。
 黄金色の光が、そのまま少年の額を貫通した。
 だというのに、少年の額から出血は生じず、額を穿った痕跡すら残っていなかった。
 しかし、それは突然すぎた。
 少年の体が影のように揺らいでいく。
 少年という存在が曖昧になっていく。
 それは、強者になることができた少年の終末。
 それが、弱者から抜け出せた少年の最後。
 ――最終的に。少年という影は大気に混合するように消え去った。
 一時間二十三分。
 これが、強者と成った五人の少年達がこの閉鎖街で生きられた時間。
 彼らという存在を究極的に抹消した男――真桐零(しんどうれい)は、冷然とそこに佇んでいた。
 その貌はただ酷薄。この世から彼らという存在記録を消滅させたにも拘らず、彼の感情には微塵の変化も起こらない。
 そう、これが閉鎖街の『日常』だ。
 ――死ぬ。
 ――殺す。
 全ての不義、理不尽、不条理が収束し、無へと帰す場所。
 故に、こうして存在が消滅しても、それは『ただの日常』という言葉で事が足りる。
 いや、それ以前に。
 
 エリア四を統括する『絶対者』に目を付けられた少年達が不運だというだけの話だった。


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