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 閉鎖街は、日本の関東地方にある神奈川県の南東、海沿い付近にある完全無法地帯だ。
 県の五分の一の面積を占めているにも拘らず、現代の日本の地図上において、閉鎖街という町は掲載すらされていない。
 元々、この閉鎖街は『イカれた科学者』が建築の立役者となり作られた町であり、建築当初は日本政府が資金援助を担っていたらしい。日本において、東京に次ぐ『第二の都』を思想として建築された町なのだが、二十五年前のある事件をきっかけに、現在では立ち入る者も限りなく減少している。
 遥か上空から俯瞰すると、閉鎖街は綺麗な円を象っており、円周に沿って二十メートルにも及ぶ巨大な漆黒の壁が設置されてある。
 門と称されている、事実上の入り口は東西南北を合わせて四つ。
 町には九つのエリアが存在し、各エリアには『統括者』――代表者とも言う――がおり、実質的に、彼らがエリアにおける秩序を守っている(例外も存在するが)。
 そして今日、昼間から一般人を二十三人もの無差別殺人を犯した少年達を罰した真桐零は、大広場で部下の少年達に死体の処理を命じていた。

「零さん、昼間から死体の片付けなんて勘弁してくださいよ……」
 部下の少年の一人がため息混じりに愚痴を溢す。女性の死体を担ぎ上げ、大広場の隅、高さ五メートルはある大型の『焼却炉』に移動させる。
「つーか、お前ら誰も止めなかったのかよ。零さんが全員始末したらしいけど、一人くらい気づいても良かったんじゃねーのか? 拳銃とかマシンガンぶっ放してたんだろ? 普通、銃声で気づくだろ」
「悪い、俺普通に寝てた。というか銃声なんかで目を覚ますかよ。そんなの閉鎖街じゃ日常茶飯事だろうが」
「俺が起きてたら、そいつら全員斬り殺してしてやったのになぁ。出番なしかよ〜」
「まあ、零さんに封殺されたヤツらも、こいつらも運が悪かったな。……よっし。二十三人、全員焼却炉に収容完了。零さん。終わったっすよー」
 零よりも一回り体の大きな少年は、全員分の確認を終えて焼却炉から振り返り、そう呼びかける。
 大広場の中心――噴水場に座り、腕を組んで静かに瞳を閉じていた零は、ゆっくりと立ち上がった。
「分かった。慶太、やってくれ」
 部下の一人である小柄な髪の短い少年――慶太に端的な指示を出す零。
 慶太はいつのもことではあるが「またっすかー!?」と本気で厭そうな顔をして、がっくりと肩を落とした。
「というか、俺の出番っていつもこんなのばかりっすね……。零さんやってくださいよ〜」
 ブツブツと愚痴を漏らす慶太に、零は眉をひそめた。
「このエリアに存在する発火能力者はお前だけだろ。それに、俺の封殺は生きている人間にしか効力は発揮しない。魂魄が不在した者に使用しても無意味だ」
「はあ……分かりましたよ。じゃあ、近場にある『電磁波』、ちょっと吸収しますね」
 大きくため息を吐きながら、慶太は緩慢な足取りで焼却炉の一メートル前に佇んだ。
 一拍後。慶太は意識を集中させ、この閉鎖街に蔓延している『電磁波』を曳き付け、吸収し、自身の脳を活性化させていく。
 ここで言う脳の活性化というのは、彼らのような『血統能力者』の内に眠っている能力の発現を意味する。
 外界では自身が全く開花できなかった能力。その能力が発現し、行使を可能にできる『特殊な電磁波』がこの閉鎖街には満ち溢れているのだ。
「じゃあ、やりますよ」
 慶太はそう呟き、焼却炉に収容した二十三人の死体を視界に収める。そして、活性化した脳に、両眼で収めた情報を命令として伝達させる。
 ――燃えろ。
 命じた心象が現実化する。
 瞬間、轟! と焼却炉の中に在った全ての死体が一瞬にして紅蓮の炎に包まれた。腐敗していく肉。灰へと昇華する骨。
 焼却炉から発生する異臭が鼻腔を突き、近辺にいた彼らは顔を歪ませながら指で鼻を塞いだ。
 ……零は、その光景を確かに心に刻み込み、彼らの死を受け入れながら見つめ続けた。

 部下の少年達と別れた零は、単調な足取りで頽廃した町を歩いていた。
 昼間の二時過ぎ。エリア四の町に人影は少ない。元々、他のエリアと違い滞在している者が少数であることもあるが、つい先ほど勃発した、閉鎖街に訪れたばかりの少年達による残虐行為が原因といえる。
 しかし、このエリアを統括する零は、こんなことは二度と起こらないでほしいと切実に願い続けていた。
 ――そんな幻想を抱いても、いとも簡単に破壊されてしまうのは目に見えているというのに。
 だけど、想わずにはいられなかった。
 皆が平和に暮らせるのが一番だと。
(莫迦野郎……)
 過去を思い出し、零は自身を罵倒する。
 ここに来たばかりの頃は、そんな思考を用いていなかった。
 そう。この閉鎖街に訪れた頃は、あの残虐行為を行った少年達と全く同一の思考を持っていたのだ。
 弱者が強者に成れる場所。
 自分という存在を誇示できる場所。
 それが日本の裏家系――『真桐家』において血統による能力すら開花できずに一族から追放された零を変化させた要因だ。
 あのような実験まで行ったのに開花できなかった弱者を変えた要因だ。
 なのに、その酔いはすぐに冷めていった。
 強者になれたという高揚感も、興奮も、感情の昂りも、すぐに萎えていった。
 それは、その事実を識ってしまったが故。
 ――そう。閉鎖街の外に出れば、自分達が弱者に戻ることに変わりはない。
 だけど、それでも、自分達が生きられる場所はこの閉鎖街でしかない。
 矛盾した考えだった。どうしようもなく馬鹿げた考えだった。
 しかし、このエリア四で出会った仲間達は自分にとってかけがえのない存在であり、生涯を共に生きたいと思える連中ばかりだ。
 だから、守り抜かなければならない。
 それが結果的に、この命を犠牲にすることになったとしても。


 エリア四の中枢地区から一キロほど離れた場所にある崩壊寸前のボロアパートが零の暮らす家だ。外壁は幾多の亀裂が生じており、元々茶色で装飾されていたペンキは見事なまでに剥がれ落ちている。しかし間取りはアパートと考えれば広く、六畳の部屋が三つに、キッチンとリビングを兼用した八畳の部屋が一つというそれなりの広さだ。だが、水道管はおろか、ガス管も通っていない。
 この閉鎖街では自給自足がモットーとなっている。彼らは閉鎖街の外界――東区の門を抜けてすぐそこにある海岸通りで食料となる魚介類を調達している。
 零はアパートの三階にある玄関の扉を開け、三時間ぶりに自分の家に帰宅した。
「あ、お帰り。零」
 玄関から二メートルもない廊下を歩んでリビングに足を踏み入れると、キッチンに立って手馴れた動作で鮮魚を切り下ろしている同居人――美島恋歌(みしまれんか)がいた。
 長く、色素の薄い流麗な髪は零と同じく腰まで届くほど。年齢も零と同じ十七歳だが、彼女の身長は百四十センチにも満たない。さらには子供ながらの幼さが残る面立ち。しかしそのことを口にすると激怒を超えて包丁を振り回すほどの狂乱ぶりを発揮する。
 今は昼食の調理中なのでエプロンを付けているが、普段の主な服装は純白のワンピースだ。零はその姿を今まで何度も見てきたが、身長、顔立ちと比べ合わせると妙に似合っているから不思議である。
「お昼ご飯はもうちょっと待ってね。さっさとさばいて刺身にするから」
「……お前、よくもまあ毎日刺身食べて飽きないな」
 恋歌が作る料理は決まって刺身の盛り合わせだ。いや、それだけしか作れないというわけではなく、ただ単に彼女が刺身を愛食しているからである。
 零のぼやきに対し、恋歌はむっと、怒ったように少しだけ純白の頬を膨らませる。
「刺身以外に何を作れっていうのよ。外界に出て近くで調達できるのは魚介類だけなんだからしょうがないでしょ」
「……まあ、それはそうだが」
 人差し指で頬をポリポリと掻きながら曖昧な返答をする零。
 恋歌は目前にある昼食の準備を再開させるが――不意に、包丁で魚をさばく音が止まった。
「――そういえば今日、大広場近くで二十人近くの人達が死んでたんだってね」
 顔も向けずに恋歌は言った。
 零はリビングの中央にある、中の素材が剥き出しになっている古ぼけたソファーに座り「あぁ」と端的に返した。
「……その、皆が死んだのに、そのことを誰も憶えていないのは、零が――」
「封殺した」
「――そう」
 零の一言に、恋歌は再び包丁を動かし始め、どこか悲哀を感じさせる淡い笑みを浮かべた。
 それは五人の少年達に対するものか。
 それとも、零の行いに対するものか。
 判別のつかない、見る者を不安にさせる笑み。しかし、零は後姿だけしか見えていないのに、そのような淡い笑みを浮かべていると直感で分かった。
「それで、零はいつも通り、封殺した人達の記憶を保持してるの?」
 恋歌は零の異能――封殺の本質を知っていた。二年も一緒に暮らしていると、二人の間に隠し事など一切なかった。
「――そうだな」
「封殺した人達を憶えている人はいなくなるけど、零だけがその人達の生前の記憶を憶えていられる。自分だけが消滅した存在を憶えてる。それって、凄く悲しいことじゃない?」
 恋歌は首だけを振り向かせ、ソファーに座っている零に視線を向ける。
 しかし、彼は少し目を伏せて黙り込むだけだった。
「二年前、零がこの閉鎖街に来た時もそう。何百人もの人達を封殺して、皆から記憶を消して――一人で記憶を保持して。悲しいって思わないの?」
「――俺は、この町に来るべきじゃなかったのかもしれないな」
 言って、零は自嘲するような笑みを刻む。
 そう。こんな化物じみた異能を発現すべきじゃなかったのかもしれない。
 無能者と罵られ、一族から追放されても。一般人として外界で普通に暮らせばよかったのかもしれない。
「でも――」
 でも、それはもう無理だ。なぜなら――
「お前と出会ったから、俺は外界には戻らない」
 零は、はっきりとした自己の意思を述べた。
 そう。――二年前、封殺という異能を発現して数多の人間を消滅させてきた自分を救ってくれたのは紛れもない恋歌だから。
 だから、自分は閉鎖街から去るつもりは毛頭ない。
「お前を守るって言っただろ。二年前、俺はそう、自分に誓ったんだ」
「――そっか」
 恋歌は少しばかり頬を赤らめながら、にっこりと笑った。
 それは彼女の純心を表現した、天使のような笑顔だった。


 閉鎖街、エリア三とエリア四の境界線。
 その境界線に足を踏み入れようとしている男がいた。
 黒い皮製のジャケットに、所々に穴の開いたジーパン。ボサボサの総髪は赤色。身長は百七十センチ後半といったところか。
 両手をジャケットのポケットに突っ込んだまま、男は一歩、足を進めた。
 途端、古い建造物の物陰に隠れていた三人の少年が姿を現す。
「おーおー、エリアの防衛管理はちゃんとやってんじゃねーか。あいつのことだから、普通にサボってると思ってたぜ」
 唇の両端を吊り上げながら、男は軽薄な口調で言う。
 エリア四の防衛管理を務めていた少年達の一人は、男に対して警告の言葉を口にする。
「お前、エリア三の人間か。こちら側に来るなら敵と判断するぞ」
「なーに言っちゃってんの。大体さぁ、境界線って名づけるくらいならデカい壁でも設置しとくべきじゃねーの? ってなわけで、これは君達の不注意。はい、どいたどいた」
 少年のような笑みを浮かべながら、悠然とした足取りで境界線の奥へと足を踏み入れた男に、少年達は服の内に隠し持っていた銃を瞬間的に抜きクイックドロウを――

 と。

 それよりも疾く。
 男は冗談のような疾さで三人の少年達の首を斬り飛ばしていた。
 ゴトン、と地面から生理的嫌悪感を抱かせる鈍く、重い音が響いた。
 一拍遅れ、三人の首から赤い液体が噴出した。
 男の左手には何の装飾もない刃が剥き出しナイフ。しかしその八センチほどの刀身には濃厚な紅色が付着していた。
「あー、だから言ったでしょ? 君達の不注意だって。獲物を狩る時間は0・五秒以内。これ、殺し合いの鉄則ね」
 男は無邪気に笑った。
 その笑みに残忍、冷徹、非情という言葉は不適切だ。
 彼はただ、自分の道を阻む者がいたから殺しただけ。それだけだった。
 彼はナイフをジーパンの裏に挟んで仕舞い、今度こそエリア四の内部に足を踏み入れた。
「さて、と。じゃあ、あいつに会いに行きますか」
 そうして、彼――真桐景(しんどうけい)は同族の元へと歩みを進めた。


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