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「――守りたい女の子がいる?」
 葵の吐露した言葉に、鷹塔は少し眉を顰めた。
 鷹塔は当初、事件を解決したいと申し出たことをあの人の息子であるからだと思い込んでいたのだ。しかし、いざこうして聞いてみると全く想定していなかった言葉が出てきた。
 故に、鷹塔は多少の困惑を隠せずにいた。人差し指でデスクをトントンと小突きながら、彼の放った言葉の意味を考える。
「その女の子とやらは、今回の事件に関係しているのか?」
 しかし、結果的に一人思考を走らせても結論は見出せなかった。鷹塔は端的にそう尋ねる。
 葵は少々視線を落としながら、「確証はありません」と返答した。
「そんなことはないだろう。ほんの一%でもありえると思ったからこそ、君はここに来たんだろう? 今の君の様子を窺えば、その女の子が少なからず事件との関連性を持っていると理解できるぞ。話してみてくれ」
 鷹塔の問い詰めに、葵は数秒間沈思し、顔を上げた。
「あの、こんな話をしても信じてもらえるか分かりませんが、聞いてもらえますか?」
「それは話の内容によるな。まあ、できるだけ信じられるよう努めてみよう」
 了承を得た葵は、それを話し始めた。
 桐生穿理という少女が一年前に宿していた人格性と人間性。そして――高校卒業間際に起きていた連続殺人事件との関わりを。

 ◇

 桐生穿理は、普通の範疇に収まらない少女だった。
 月宮葵が彼女と出会ったのは高校三年生に進級が決定し、同じクラスになってからである。それまでにも『桐生穿理』という少女の存在は学園内でも有名なものとなっていた。
 葵もその噂を断片的に耳にしていたが、初めての会話となったのが三年生に昇級し、四日が経った頃だった。
 葵はその人柄の良さと人望の厚さで知れ渡った人物だった。絵に描いたお人好しとも呼ばれ、クラス内では学級委員長も務めていた。
 対照的に、桐生穿理はたったの四日でクラス内において浮いた存在となっていた。
 なぜか。
 
 彼女は、満足に会話ができなかったのだ。

 三年生になり、新しい友人を作ろうと桐生穿理に話しかけた女子は、こう質問をしたそうだ。
「桐生さんって、凄く美人だし肌が綺麗だよね。お肌の手入れとかどうやってるの?」と。
 同性の中での会話とすれば、それはごく普通の会話だった。おそらく、話しかけた女子もその問いに対する答えが返ってくると思っていたのだろう。
 しかし、彼女は笑いながら、こう返答をしたのだ。
「私に肌のことを訊いて何を企んでるの? 殺すわよ」
 それは、誰もが予想しなかった答えだった。
 沈黙が訪れ、それほど心が強くなかったその女子は、その場で泣きそうになってしまった。
 その様子を、葵はしかと見ていた。最初は桐生穿理が悪意を持って放った言葉だと思い、彼は注意を行うために駆け寄ろうとした。
 しかし、それは違っているようだった。
 何とか泣き出しそうな衝動を抑え、その女子は愛想笑いを振りまいてその場から立ち去ったのだが、肝心の桐生穿理の様子がおかしかったのだ。
 その横顔だけで、葵は理解した。
 本当に泣き出しそうだったのは、桐生穿理の方だったのだと。
 顔は絶望に歪んでいた。目尻には大粒の涙が溜まっていた。唇は震え、とんでもない事を言ってしまったと後悔の感情を表していた。
 そうして、彼女は消えそうな声でこう呟いた。
 ――ごめんなさい、と。
 その直後、月宮葵は桐生穿理に話しかけた。
 桐生さん、泣きそうな顔になってるぞ、と。
 その日から、葵は穿理に接し始めた。
 
 夏になっても、桐生穿理のコミュニケーション能力に変化は生じなかった。
 授業中、穿理に教科書の音読や回答を求める教師はいなくなり、彼女と接する生徒は学園でも少数の人間だけとなっていた。
 葵と穿理の会話には、相変わらず齟齬が生じていた。
「この頃楽しいことはあったか?」と葵が尋ねると、
「その質問の裏では何を考えてるの? 刃物で体を切り刻まれたいの?」などと穿理が物騒な言葉を放つ始末だった。
 しかし夏の本番、七月の中旬に至るまでに、穿理の言葉遣いや会話の齟齬には慣れてしまっていた。耐性がついてしまったのだろう。
 いや――それ以上に、そんな成り立たない会話を自分達なりのコミュニケーションだと思い込んでいたのかもしれない。
 葵が気楽に問いを投げると、
 穿理が会話に沿っていない応じ方する。
 しかし彼女自身、少なからず自分の対応に自己嫌悪している節があったように葵は思えた。
 彼女は葵との別れ際、いつもこう呟くのだ。
 ごめんなさい、と。
 
 そして、季節は冬に差し掛かり、その事件は勃発した。
 連続猟奇事件。そのような装飾を施された事件の概要は、確かに事件性の理に適っているものだった。
 被害者は全員、首から上を失くした状態で発見された。それは刃物による切断ではなく、まるで首根っこを掴まれて千切られたような犯行だった。
 そして、その事件が起こり始め、変化が生じたのは街の様子だけではなかった。
 桐生穿理が不登校になり始めたのだ。
 彼女のことが気になった葵は、担任から住所を聞いて彼女の自宅に訪ねたのだが、穿理の父親は「五日前の夜から帰ってない」と事情を話した。
 五日前。それは連続猟奇事件の最初の犠牲者が出た日である。
 だからこそ、葵の焦心は本物だった。
 そして、行方不明となっていた桐生穿理をようやく見つけたあの日。
 葵はその出来事に巻き込まれ。
 ――連続猟奇事件の犯人を知ってしまったのだ。

 ◇

「その後、穿理は一週間眠ったままでした。去り際に残した犯人の言葉が本当なら、俺はその人のことを警察に通報するわけにはいかなかった」
 一通り話し終えると、鷹塔は「……ふむ」と顎に手を添えて思案するように険しい顔になった。
「――『桐生』という姓にコミュニケーション能力の欠如……なるほど、【負極(ふきょく)連動者(れんどうしゃ)】か。こいつは驚いたな」
「負極、連動者……?」
「葵くん。この話はまた後日にしよう。君の話を整合するのに少し時間が掛かる。そうだな……二日後の午前十時は空いているか?」
「はい、その時間なら」
 葵が首肯しながら答えると、「よし、なら今日は解散だ」と鷹塔はチェアから立ち上がった。

 月宮葵を見送った後、鷹塔は事務所に戻り、窓際の位置に佇んで彼の去り姿を俯瞰する。
 ゾクリ、と背筋に這い上がったのは悪寒か。それとも歓喜ゆえの快感か。
「さて、接触時間はいつにするか――」
 内ポケットから煙草を取り出し、口に咥えようとする。が、手が震えていたためか床に落としてしまう。
「――――」
 鷹塔は煙草を拾おうとはせず、靴底でそれを踏み潰した。
「まさか、こんな近くに貴方達がいるとは思っていませんでしたよ」
 呟きは誰に聞こえるまでもなく、小さな余韻を残し消え去った。

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