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 黒いスーツを身に纏ったその男を、私はなぜか普通の人間ではないと直感してしまった。
 街灯の点滅する灯に照らされているその男は、どこか不遜な……それでいて不敵な笑みを浮かべながら再び歩を進めた。
 男は私に歩み寄る。
 正気を取り戻した私は、なぜかこの男に敵意を抱いていた。いつの間にかこの男を強く睨みつけてしまっている辺り、その敵意は本物と言えた。
「――俺に敵意を定めるか。だが、その感情の方向性は誤りといえるぞ、桐生穿理」
「……なぜ、私の名前を知っているの?」
「ほう。会話に成功している辺り、存在としての支障(バグ)は治療されたようだな。ますます興味が湧いてきた」
 私の投げた問いに応じず、男は胸に風穴の空いた死体の前で足を止めた。
「――この死体の負極侵蝕率は軽度なものだ。二〇%といったところか。しかし、ただそれだけの残滓でお前を魅了したということは……ふむ。第三者の治療も完全ではなかったということか」
 横目で死体を見据えながら、平静とした顔で言う。
 ……この男、何で人間の死体を目の前にして普通でいられるんだ。
「――お前、何?」
 気づけば、私はそう口にしていた。
 この男は、あいつと同類な気がする。普通という類から外れ、常識という範疇すらも外れたあいつと。
 男はくく、と愉快気に笑いを噛み殺す。
「誰ではなく何、ときたか。確かに、この状況での尋ね事としては実に適している」
 何が面白いのか、男は口元に笑みを刻んだままだ。
「俺は鷹塔祭だ。お前の言う『何』という問いに応えるなら魔術師の類といったところだな」
「魔術、師……?」
 問い返すように呟くと、男――鷹塔はあぁ、と首肯しながら内ポケットに手を突っ込む。
「今回、お前との接触を図ったのは俺自身の目で確かめたかったからだ。日本の裏家系において第一位の座に君臨し続けていた【桐生家】。その若き姫君の現状をな」
 シガーケースから煙草を取り出し、口に咥えながら鷹塔はそんな理解不能な事を言う。
 事実、私は鷹塔の話を頭で理解できずにいた。
 自分の家が裏家系と言われるのは初めての事だし、魔術師なんて名乗られてそれを信じるのは普通じゃない。
 ……いや、違う。
『桐生穿理は普通の人間だから、信じることなんてできない』。
 その固定概念が今の私を象っているのだとしたら、私はなぜ、鷹塔を普通ではないと敵意を抱いたのだろう?
「『普通』の人間は『普通』であるが故、『異常』という人種を見分けられない」
 鷹塔はライターを取り出し、煙草に着火しながら静かな口調で言った。
「まあ、異常者にも二つの種類が在るんだがな。『自身から異常であると外的に意識させる異常者』と、『異常である事を隠蔽し、外的意識を妨げることのできる異常者』だ。俺は後者に当て嵌まる」
「……何が言いたいの?」
「簡単なことだ。お前が俺という存在を『何』という言葉で当て嵌めた。それは、俺が妨げていた『異常という外的意識を感じ取った』ということだ。お前は自分を普通だと思い込んでいるようだが、実際、普通に成りきれていない。逃げてないで自覚したらどうだ? お前は俺と同じ、異常であることを隠蔽し続けている異常者だということにな」
「……ッ!」
 私は再びを鷹塔を睨みつけた。
 なぜ、赤の他人にそんなことを言われなければならない。
 私は異常なんかじゃない。
 正常なんだ。
 普通の人間なんだ。
 こうして鷹塔と会話が成立している時点で、一年前の私とは違うと証明されているのだ。
 呪縛も束縛も、私を縛り付けていた鎖はとうに外れている。
 私は普通に成れたんだ。だから、こんなわけの分からない男に忠告なんてされる筋合いはない。
 でも――それなら、何で憤慨する必要があるのだろう?
 自分が普通であると確固たる意思を持っているのなら、軽く聞き流す程度の素振りで終始する。
 でも、私は鷹塔が発する一言一言に苛立って仕方がない。鷹塔の言葉が私の脳髄を洗脳していくような、そんな感覚さえ覚えてしまう。
 なら、私、は――
「――邂逅初日から長話になってしまったな」
 黙りこむ私に、鷹塔はつまらなそうに煙草を落とし、靴底で踏んで火を消した。
「人払いの結界を張り続けるのも面倒になってきた。今日はこの辺りで失礼する。桐生穿理、自分が普通で在り続けたいのなら、夜に街をうろつくのは控えておけ。今のお前では、敵うことすらできずに死ぬぞ」
「――どういう意味よ」
 尋ねると、鷹塔は踵を翻しながらこう答えた。
「今回の事件を起こしている犯人は、お前を狙っている可能性があるということだ」
 そう言い残して、鷹塔はこの場から去って行った。
 私は……その場に立ち尽くしたままだった。
 ――あぁ。きっと鷹塔の言う通りだ。私は自分を普通だと思い込んでいただけで、普通に成りきれていないのだろう。
 鷹塔が異常者だと見抜けてしまったことで、それが証明された。
 いや、それ以前に。

 眼前に在る死体を直視して、悲鳴を上げなかった時点でそれに気づくべきだったのかもしれない。

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