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「――ふむ。視たところ心界の種類は【忘我(ぼうが)】だな。なるほど、今の君を形作っているのは二つの心。つまり『自我』と『童心』か。【忘我】という心界はすでに覚醒を終え、そして『童心』に【負極の種】を植えつけられていると見える。『童心』は拡大した【負極の種】で塗り潰され、殺人という行為に背徳感を抱かない。それも『童心』がまだ消滅していないが故、か」
 御堂彼方は鷹塔の言っていることが全く理解できなかった。
 それもその筈である。今の御堂彼方を形作っているのは自我を負の感情で圧迫を続けている『童心』のみである。彼の内界にある『自我』は『忘我』という対極の心界によってすでに消滅していた。
 つまり、童心という純粋な心が負の感情と同化してしまい、『正』しい事と『悪』いことの区別がつかなくなっている状態だった。故に殺人という行為を誤った行為だと認識できず、結果、自我に頼って行動を起こすしかできなくなる。
 しかしその自我さえ【忘我】の覚醒を施されたが故、消滅してしまった。
 そして、残ったものは負極の種と同化した童心のみ。それだけが今の御堂彼方の在り様だ。
 つまり、自我もなく、童心さえも負の感情によって支配された今、彼には正常な思考――世間一般的な考えは通じず、異常者の分類に分類(カテゴリ)されたということだ。
「そして、【負極の種】は内界的な存在としての記録の書き換えか。なるほど、君が願いは動物と話したいわけでも、動物の心が知りたいわけでもなく、動物になりたいということだったのか。異常者にありがちな正常思考の欠落だな」
 鷹塔の指摘は正しく、しかし御堂彼方はその指摘さえ理解することができずにいた。
「……何、言ってるんだ、あんた? あんたの言ってることがこれっぽっちも理解できない」
「当然だ。君はすでに正常な人格を喪失している。今、君が一個体の生命として存在を永らえていられるのは負極の種があるからだ。尋ねる。君の心界を完全に覚醒させ、負極の種を植えつけたのは誰だ?」
 鷹塔は強い口調で問うた。
「鷹塔、これは一体どういうこと?」
 しかし、その直後に穿理が会話に割って入る。
「何で街に誰もいないの? この男は何で私を狙――」
 しかし、穿理は最後まで言葉にできず、びくん、と大きく身体を痙攣させた。
「あ――あ、ぁ」
 両眼を見開いた先に、夜空が見える。
(始まったか)
 鷹塔は覚醒の前準備を、しかとこの目で見ていた。
 御堂彼方の変態した腕が、桐生穿理の右脚の皮膚を穿った。その瞬間から負極の侵蝕は始まっていたのだ。
 そして、御堂彼方も同時に。
「う……うぅ、ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
 負極の支配権を桐生穿理に略奪されたが故、残っていた『童心という名の自我』が崩壊を開始する。
 そう。
 御堂彼方がどれだけ負極の種を拡大させ、同化率を上昇させていたとしても。

 桐生穿理という負極を体現した存在に支配権を奪われるのは当然の結果と言えた。

「――――」
 穿理の身体の周囲に、黒色の『何か』が霧散している。
 それは、彼女の体内に内包されていた負極という粒子。彼女が覚醒した今、負極は体内のみでは抑制を不可能とされ、身体から散発を始めたのだ。
 いつの間にか、穿理の両眼は禍々しい赤色に変質していた。
「――外界に出た気分はどうだ、負極連動者?」
 薄い笑みを刻みながら鷹塔はそう問うた。
 しかし、内心では感情が昂ぶっている。高揚感が治まらない。
 そうだ。なぜなら今、自分は。

 この世界を創った創造者の子供と会話をしているのだから。

「――貴方は、魔術師ね。桐生穿理の脳髄には鷹塔祭と記録されているわ」
 静かな、それでいて柔らかな声音でそれは言う。
「……そうね。貴方の問いに応じるなら、本当は外界になんて出たくはなかった」
 それは、完全に壊れてしまった異常者、御堂彼方に冷たい視線を向け、言ノ葉を紡ぐ。
「でも、あの醜い生命が私の子供である以上、冥土に葬送する役目は私にあるわ」
 完全に壊れてしまった御堂彼方は、ただの動物となっていた。最後の記録が肉食動物だったのか、四肢を巧みに扱い、神速の疾走を以ってそれを喰わんとする。
「魔術師さん。何か武器はあるかしら?」
「桐生穿理は琴を習っていたらしいな。それもいつか来る実戦の為の訓練だと俺は推測していた。これでも使え」
 鷹塔は魔術を起動させた。形成魔術としては下位の術だが、この存在ならば容易く扱い切るだろう。
 そして、それの右手の五指に五つの金糸が具現化した。

「では、貴方を束縛していた理を穿ちましょう」

 後は全てが容易かった。
 御堂彼方だった者が攻撃範囲に入った瞬間、負極連動者は身体の反転を行う。
 夜の世界で舞うように、鮮やかさと雅さを残留させながら、五つの金糸を振るった。
 御堂彼方の身体は五つに解体され、絶命の道を辿った。
 一秒以上、三秒未満の一刻。
 ――それが、連続殺人事件の犯人の末路だった。

 ◇

 ……あれから何時間が経っただろう。
 鷹塔さんが街に出かけて、もう夜が明けようとしている。
 それでも、俺は寝ずにただ鷹塔さんを待った。
 鷹塔さんは格好良い言葉を考えておけって言ってたけど、そんなの考える必要はなかった。
 俺はありのままで穿理と接する。それが高校時代に、自分に課せた責任だから。
 だから、穿理の前で偽った言葉なんて言わない。それに、穿理に偽ってもすぐにバレるだろう。彼女はそういう細かい所に機敏な性格なのだ。
 だから、彼女に会ったら、まずはこう言う。
「葵くん、帰ったぞ」
「え? 葵って――」
 いつも通りの鷹塔さんの声と、少し動揺した彼女の声が届いた。
 さて、二人を出迎える為のコーヒーはもう出来上がっている。
「おかえりなさい鷹塔さん。穿理。留守電くらい確認しとけ、この莫迦。というか折り返して電話くらいしろ」
「なに言ってるのよ。私が機械に弱いの知ってるクセに。というか何で葵が鷹塔と知り合いなのよ」
「なら、携帯電話を持たせる。鷹塔さんとの関係は後で説明するよ。今日は店に行って携帯購入するぞ」
 そんな、何気ない普通の会話を続けた。
 格好良い言葉で偽るのは性に合わない。
 だって、俺は。

 彼女に出会った日から、ありのままの自分で接してきたのだから――。

 第三章-kanata mido- 了

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