街の中枢まで足を運んだが、心なしかいつもより人影が少なすぎる気がした。道行く人達も足早に帰路を辿っているように思えるし、彼らの表情には焦りが窺えた。
そんな中、とりわけ用もなく夜の街での散歩を満喫した私は、彼らと同じようにそろそろ帰路に就こうと思い始めた。
しかし、先刻から何かがおかしいことに気づいた。
「……?」
自分がおかしな顔をしているのも理解できる。
なんだこれは。東区の住宅街に帰ろうと道を辿っていたのに、私はまた中枢地区に戻ってきていた。
しかも、先程より人の数は減っていた。
何かがおかしい。何かが変だ。何かが違う。
どこか錯覚めいた感覚。
それは街という檻に囚われたかのような――
それは何かに監視されているかのような――
「初めまして、桐生穿理さん」
突然の若い男の声に、私は狼狽しそうになった。
ゆっくりと振り返る。そこにはこれといって特徴が見当たらない学ラン姿の少年がいた。
顔立ちとさっきの声質からしてまだ高校生くらいだろう。柔和な笑みを浮かべながら、彼は桐生穿理という私を静かに見据えている。
――その異形と呼べる腕を、人間の顔面に突き刺したまま。
◇
「うーん、『隔絶結界』に入ってもらったんだけど、桐生さん全然動揺してないね。普通、街から人が消えれば驚くと思うんだけどなぁ」
御堂彼方は本心から不思議そうに小首を傾げた。
彼の右腕はすでに人間の腕ではなかった。顔面から突き出ている部位に五指というものは存在せず、ただ一点に向けて槍のカタチに収束していた。
穿理の視線すら、槍以前に死体へと収束している。
「あ、これ? 見ての通り『人間だったもの』だよ。桐生さんに見せる為にけっこう殺してきたんだけど、僕が残した『人間だったもの』を見たのは一度だけだっけ? 残念だなぁ。『人間だったもの』は全部桐生さんの為に用意したんだから、全部目を通してくれなきゃ」
御堂彼方は愉快気に笑った。
その笑みは邪気が全く感じられない、子供の浮かべるような笑顔だった。
対照的に、穿理は顔に感情を出さず、心の内側で激しく狼狽していた。
そして、胸中でこう呟いた。
なんだ――この状況は、と。
何で自分が連続殺人事件の犯人と遭遇している?
何でこの少年は人を殺して笑っていられる?
そして、何で。
彼の腕で穿たれた死体を見て、自分は興奮している?
自我が迷走している。
それは正常な意識からの強制反転。
三日前に最初の死体を直視した時と同一の、魅了のような魅惑。
「わ、私……は――」
呼吸が苦しい。
身体全体が熱を帯び始める。
何かが胸の奥で騒いでいる。
その原因が、桐生穿理には解らなかった。
そして。
御堂彼方の奇襲によって、あらゆる意味での覚醒が始まる。
「――ッ!」
右脚の皮膚を抉られた。
何に? と考える前に、さらなる追撃が襲いかかる。
穿理は上空からの気配を感じ取る。
夜の空を飛翔した御堂彼方は、穿理の脳天目掛けて腕の槍を振り下ろす。
穿理は考える前に行動を起こした。低い跳躍で三メートルほど後退する。
瞬間、御堂彼方の落下した地点のコンクリートが粉砕される。
「ひゃは!」
御堂彼方は、コンクリートに突き刺さった槍を強引に振りほどき、瓦礫という凶器を穿理に向けて飛ばした。
「あ――!」
右脚の皮膚が思いの外に深手だったのか、上手く感覚が伝わらずに移動が行えない。
直系三十センチほどの、瓦礫という弾丸が牙を向く。
どれもこれも、一発当たれば重傷が容易に予想できた。
しかし、その前に。
その予想の斜め上を行く『結果』が桐生穿理の眼前に形成された。
瓦礫の弾丸が『障壁』に直撃し、突破できずに地面に転がり落ちた。
「な――」
御堂彼方の顔から笑みが消える。
第三者の参入を想定していた者は、この場にはいないであろう。
「無粋な真似だが、死なせるつもりは毛頭ないんでな」
桐生穿理の背後から、その声は聞こえた。
ありえない、と御堂彼方は思った。
この隔絶結界を張ったのは『彼』だ。これは周囲との調和の律(バランス)を乱さずに構築した、結界に対しての『意識を封絶』する効力のある上位結界なのだ。
その内部に侵入を果たした。それが意味するのは、この男が隔絶結界に意識を向けられるだけの存在であり、『彼』の創りだした世界を突破できるだけの実力を持っているということだ。
「……あんた、『何』だ?」
御堂彼方は、ここに来て初めて敵意という感情を抱いた。
黒いスーツを身に纏った侵入者は、一つ鼻を鳴らした。
「なんだ? ここ最近のこの街は異常者が多すぎるな。皮肉なことだ。その問いは自分が異常者であることを証明しているぞ、御堂彼方」
昏く暗い、閉ざされた夜の世界。そこに、鷹塔祭という魔術師は現れた。