1Cr Drudgery―白黒徒花―

01.Everlasting Cr―鋼鉄の勇者―Verse 1

 深い森の奥を俺は歩いていた。

 周囲には木々が生い茂り、頭上に広がっているはずの青空は折り重なった梢に遮られて見えない。太陽の光もまたほとんど届かず、硝子の破片のような木漏れ日だけが散らばっていた。

 頭上を見上げると、木の梢に茂る無数の若葉の隙間で陽光が弾けている。真っ白な光は翡翠に縁取られ、まるで宝石のようでもあった。

 これだけの大自然だ。空気も澄んでいて、呼吸してるだけで浄化されていくような感覚さえ覚えた。

 吹き抜ける風も穏やかで、首筋を流れ去っていくのが心地いい。

 小鳥の囀りがそこかしこで聞こえるが、姿はどこにも見えなかった。

「いい場所だな、ここは」

 隣を歩くクロームがふと、そんな述懐を吐露する。銀色の長髪の後ろを一つに纏めた長身痩躯の男だ。腰に細身の剣を佩き、動きやすい軽装をしており、その上に黒いジャケットを羽織っている。体つきは細いが、それは無駄なく鍛えられているためであり、別に繊細な体つきというわけではない。どちらかというとムダを徹底的に排した洗練された肉体という印象をまず最初に覚える。

 その顔立ちは、眉目秀麗という言葉がどんな物を表すのに使われるのか、という実例のためだけに生まれたように思えるほどの眉目秀麗であり、涼しげな目元なんかは特にいけ好かない。

 鼻梁は高く、切れ長の銀色の瞳の落ち着いた輝きが余裕そうで、尚のことムカつく。

 肌の白さも相俟って、その肉体は銀で構成されているかのようでさえある、などという気取った詩的な表現をしても、何ら差し支えのない容姿端麗な男だ。

 死ねばいい。

「いい場所、ねぇ。空気も煙草の次に美味しくて、空は重っ苦しい木々に覆われて見晴らしも抜群、その上道はこんなに整備された獣道で歩き心地も最高だ。両足に分泌された乳酸が、フル稼働で俺の筋肉疲労を癒そうとしてくれていてその健気な姿に、心はとてつもなくハートフル。まさに楽園じゃねぇか。あー、本当に素晴らしいねぇ。野郎と一緒じゃなきゃもっとよかったぜ」

 歩き疲れて苛立っていた俺は、鼻先の眼鏡を押し上げ、そんな嫌味を口早に垂れ流す。最後の一つだけは本心である。

 これで美女と一緒であろうものなら、手を取って導いて差し上げてやったものを。さらに、お洒落にヒールを履いてきたその美女が足をお挫きになられてしまった際は、何も言わずに背負って差し上げ、背中で胸の感触を堪能しながら目的地へと連れて行ってやりたいくらいだ。さらには目的地でホテルまで探し、手慣れた手つきでチェックインも済ませ、なんならそのまま部屋まで荷物を持っていて差し上げ、あわよくば挫いた足を介抱して差し上げ、彼女がどうしてもというのなら仕方なくながらも、非常に不本意ではあるが、やむを得なく、非常に不本意ながら一緒の部屋に泊まってやらないこともない、非常に不本意ながら。

 念のため言っておくが非常に不本意ながらである。

 それが現実だったらどれほどよかったものか……。現実とは非情である。非情で残念である。

 隣には見目麗しい、俺なんて背景になってしまいそうなほどに存在感が抜群で、多くの女性を引きつけるイケメンクールナイスガイだ。これじゃ、例えこの先で魔物に追われる絶世の美女がいたとして、それを助けたところで俺なんて一切興味を示されることもないだろう。

 嗚呼、どうしてくれよう、この顔面格差!

「そう言うな。俺とて好き好んでお前を誘ったわけじゃない」

 ふん、と鼻を鳴らし、クロームは言う。こいつのこういう態度が俺は大嫌いなのである。

「好き好んで誘われてるんだとしたら、俺は今すぐ雑貨店に行ってコルク栓買ってきて、自分のケツにぶっ刺すな」

 俺にその趣味はない。未開封ということで、諦めてもらえたらいいんだけど。

「なんだ、それは? 新手のお洒落か?」

「そうそう、夜を女性と共にする時に、あら、ガンマくんってばお尻にコルク栓がしてあるのね? え、飛ばせるの? きゃーすごいわ、一メートルも飛んだわ! 素敵! と女性の心を鷲掴、めるかっつぅの!」

 思わず勢い任せに怒鳴ってしまった俺の大声は静かな森によく響き渡り、頭上の木々に潜んでいた小鳥達が羽ばたいて去っていく音が聞こえた。

 囀りも消え、残るのは沈黙……。

「フォローと言ってはなんだが――俺はお前のおそらく女性らしさを意識したであろう声色に、何とも言えない不快感を抱き、あと三秒お前が続けていた場合、間違いなく斬り伏せていたであろうことを、ここに付け加えておく」

 全く意味のないフォローありがとうございました。

 クロームくんの部屋には後ほどお礼として、人妻寝取り物の官能小説、かっこ、文庫本サイズ、定価三二〇イェン、二六九ページ、かっことじ、をお送りいたします。

 何これ、普通にいらない。しかも描写とか遠回しで美しい表現を使わず、卑猥な言葉などを一部伏せ字にしたような文章の奴を探してきてやる。

 うわ、すごいいたたまれない。女子に見つかって、変なニックネームを付けられればいいのに。

「ガンマよ……」

 眉根を寄せ、クロームは静かに俺の名前を呼ぶ。

「にやけた顔が、どうしようもなく気持ち悪い」

 気持ち悪いとか言うな、キモいより断然傷つく。

「どうせ、またくだらない悪戯でも考えていたのだろう? 全く、つくづく暇だな、お前は」

「別に、いつもくだらねぇことを考えてるわけじゃねぇよ。閃いちまったものはしょうがねぇだろ?」

 ぐっと親指を突き立てて、出来うる限り爽やかに微笑んでやる。

「なあ、ガンマ、俺は常々思っていたんだが、その首あまり使わないだろう? どうだ? 軽量化のために取ってみないか? 頭は人体で特に重い部位らしい。なくなれば身軽に動けると思うのだが」

「いや、遠慮しておくわ」

「そうか、そういえば、軽くなるほど、お前の頭の中には物が詰まっていなかったな」

 笑いもせずにそんな嫌味を言って、クロームは歩を進める。こいつは嫌味を言うにも、冗談を言うにも、表情が変わらないから分かりづらい。

「あのさ、お前さ、表情筋とかって、普段使ってる?」

「……突然何を言い出すんだ、お前は?」

「いや、マジで」

 こいつはいつも仏頂面で、どんな時でも表情が変わらない。それでは表情筋が凝り固まって、まともに可動できるのかさえ疑問なのである。

 数カ所くらい凝り固まって、新手の皮下装甲となっていても俺は何ら驚かないことであろう。

 クロームはしばし視線を動かし、考え込むような仕草を見せる。いや、考え込むところか、そこ。

「まあ、週に数回は……」

「…………」

 呆れて言葉が出なくなった。このお喋り大好きの俺様から言葉を奪うとか、マジどうかしてる。聞き上手リアクション上手とか結構個人的には思っているんだけど、今回ばかりはリアクションのしようがなかった……。

 むしろこれで週に数回は使えてるのな。そっちの方が逆に意外かもしれない。

 そのくらいの次元で、クロームは常に表情を変えない。

「……お前こそ、その頭いらなくね?」

「……お前に言われると、無性に腹が立つのはどうしてなのだろうか」

 そりゃ俺も同じだ。

 お互い、本当に相性が悪いな。全く。

 なんで俺はこいつと一緒にいるんだか、本当に疑問だ。いっそのことどこかへ消えてしまえばいいのにな。

 ため息くらい、吐くこと赦されてもいいと思う。

 と、そこで俺はある臭いを嗅ぎつけ足を止める。それはクロームも同じだったようだ。すぐさま体勢を低く構え、右手を腰に佩いた剣へとかける。

「来たか」

 低いクロームの声。細い眼を引き絞り、辺りの茂みに視線を巡らせる。

 俺もヒップホルスターからハンドガンを引き抜き、セーフティを外した。

「どこにいる?」

「二時の方向……速い。来るぞっ!」

 俺が声を張り上げた瞬間、茂みの中から銀色の巨影が飛び出した。まさに瞬速。輪郭さえ捉えることのできない速度で俺達の頭上へと躍り出た銀影に、俺は即座に反応し腕を振り上げて引き金を引く。

 同時に響き渡る銃声。しかし捉えきれるはずがなく、銃弾は虚空へとただ昇っていくのみ。

 流星のように駆け抜けた影は太い木の幹を蹴って、跳ねるように俺へと飛び掛かってくる。

 即応し、俺と影の間にクロームが割り込み、抜き打ちの一撃を叩き込む。

 一見すれば細身の簡単に折れてしまいそうな剣であるが、生憎あの剣は特別製だ。そう簡単に折れはしない。

 しかし耳を劈いたのは鉄と鉄をぶつかり合わせる冷たい悲鳴。クロームの一撃をもってしても肉を裂くまでには至らないか。

 追撃を避けるために影は素早く飛び下がり、四肢で地面を滑るようにして自身の速度を殺す。その速さ故にすぐには止まりきれず、細く引き締まった四肢の先は地面を僅かに抉り、轍を作っていた。

 尋常ではない。

 それは白い狼であった。

 全長は三メートル程度。大きさ以外に、普通の狼と大した違いはないものの、牙はより鋭利になり、四肢の爪は本来の物よりも長大だ。

 爛々と輝く金色の目が俺達を睨み細められる。剥き出しの牙からは涎と獰猛な唸りが漏れていた。

 これ、絶対俺達が餌に見えてんだろうな。

「随分とでけぇな……」

「ふん、いい的だ。斬り抜くぞっ!」

 そのサイズに尻込みする俺に反してクロームは好戦的に唇の端を吊り上げ、跳ねるように疾駆して狼へと斬りかかる。

 時を縮めたかのような音速の肉薄。クロームは速度を乗せて獣へと剣を振り抜く。

 初撃は振り上げられた獣の前足の爪に弾かれた。しかし即座に体勢を取り直し、浮き上がった前足の裏側へと剣を振り上げた。

 迸る鮮血。紅い雨が降り注ぎ、クロームの白い体を深紅が穢す。

 噎せるような血の香りに臆することもなく、あいつは笑っていた。

 クロームは矢継ぎ早に飛び上がり、痛みに怯んだ狼の横っ面へと剣を振るう。

 一閃、翻して二閃、さらに剣を振り上げ三閃。狼の頬に三角を刻み、最後の一撃は狼の左眼さえも斬り抜いた。

 さらなる激痛に、狼が悲鳴なような甲高い鳴き声を上げ、大きく仰け反った。

 痛みを逃がすように狼が頭を大きく振るい、顎先が、宙に舞ったクロームへと迫る。

「クロームッ!」

 俺の呼びかけなどなくともクロームだって、そんなことは分かりきっている。それでも反応できるはずがない。反応できたところで、あの状態では何も対処などできるはずもない。

 目を瞠ったクロームは何とか剣を体の前に翳し受け止めるが、無我夢中の動きに力加減などあるはずもなく、クロームの体は簡単に弾き飛ばされてしまう。

 細い体が無骨な木の幹へと叩きつけられた。衝撃の木の幹が撓み、頭上から木の葉がひらりひらりと落ちていく。クロームの口の端からは微かに呻きが漏れる。

 くそっ!

 俺は獣の気を引こうと数発、獣に向かって銃弾を放つ。しかし弾丸は金属のように硬い体毛に阻まれて、一切のダメージを与えることが出来ない。

 白狼も全く意に介さず、クロームへと静かに近付いていく。先程前肢の左脚を斬られたせいか、その動作は緩慢だ。それでもクロームは、背中を随分と強めにぶつけたらしく、未だに起き上がることができないでいる。

 体毛のある場所を狙ったところで効果はなしか。

 なら狙う場所は限られてくるな……。

 獣がクロームとの距離を次第に狭めていく。俺はまだ動かない。動くわけにはいかない。

 無意味に弾を使うわけにはいかない。

 ただ、今は意識を研ぎ澄まされる。瞬間を一瞬を須臾を瞬息を弾指を刹那を見極めるために。

 俺の考えていることが読み取れたのか、クロームはこの事態にありながら、地面に突き立てた剣を支えにして立ち上がろうとしている。

 その双眼は今も真っ向から狼を見据えている。逃げるためではなく、戦い続けるために、あいつは今抗っていた。

 獣が右前肢を浮かせる。木漏れ日を受けて五条の刃が輝いた。瞋恚の炎を宿した獣の眼は、ただクロームだけを見ている。

 ――今だ!

 タイミングを見計らい、俺は地面を蹴って走り出す。狼の前方へと回り込みながら、体毛の生えていない狼の前脚の裏に向けて引き金を二度引く。

 遊底が後退し、空薬夾が排出される。反動が腕にかかり、手の平に手応えを感じた。ただの弾丸程度では当然致命傷は与えられない。それでもこいつを怯ませるのは十分だ。

 分速三六五メートルで駆け抜けた弾丸が、獣の足の裏の剥き出しになった肉を貫く。

 狼が再び甲高い悲鳴をあげる。獣は危険を察して、俺達から引き下がった。

 それだけで十分な時間稼ぎである。

「クローム!」

 名を呼んで、顧みる。クロームは剣を支えに立ち上がり、地面から引き抜いた剣をすでに構え直していた。銀色の細身の剣は月光のような淡い輝きを宿し、クロームの髪は強い風が吹いているわけでもないのに、ふわりと舞い上がっている。

 周囲には光の粒子が蛍のように浮かび上がり、仄かな光を放つ。クロームの周囲を不規則な軌道を描きながら、飛び交う無数の光の群れは、やがて収束し、束ねられていく。

 銀色の髪が翻り、クロームの双眸が狼を射抜くように睥睨し、毅然とした態度で狼と対峙した。剣に寄りかかることもなく、背中の痛みも失せていないはずだというのにその背筋は真っ直ぐで、巍然とした姿は狼よりも巨大なものに感じられた。

「デュランダル――起動……!」

 静かな、それでも内に力強い感情を込めた声と共にクロームは剣を振り上げる。

「過去を複製せよ、未来を再現せよ――因果律を逆行し蘇れ――【旧い剣(アカシックブレイド)】!」

 そうして、澄み渡った空の下に広がる深い森に、幾千幾億もの銀の雨が降り注いだ。