1Cr Drudgery―白黒徒花―

01.Everlasting Cr―鋼鉄の勇者―Verse 2

「勇者様、まさか本当に森に棲み着いた化け物を討伐してくださるとは」

「噂は本当だった。勇者様はなんと慈悲深いお方だ。あれほどの化け物を見返りも求めず退治してくれるなんて」

「勇者様はまさに英雄となるに相応しいお方だ。やはり、ハーヴェスターシャ様の選定に間違いはなかった」

「きっと勇者様がいらっしゃれば、【終末龍(プルトニウス)】の厄災も終わるに違いない」

「感謝いたします、感謝いたします。勇者様、本当にありがとうございます」

「どうかその手で、あの【終末龍(プルトニウス)】を打ち倒してくださいませ」

 クロームと共に一仕事を終えた俺は、村を囲む木製の柵に独り寄りかかっていた。入り口付近で帰りを待っていた村人達に取り囲まれ、頻りに感謝の言葉を述べられ、賞賛されるクロームの姿を少し離れた場所からのんびり眺めながら、頬をかく。

 柵に囲まれた村には、煉瓦造りのの質素な家ばかりが並んでいる。最低限雨風を凌げるか程度の家屋だ。屋根は茅葺がほとんどで、僅かに瓦の屋根がちらほらと見えるくらいか。造りは幾分か雑ではあるかな。

 空はもうすっかり茜色。あの後、森から帰るのに随分と手間取った。クロームの背中への損傷が大きかったのが一番の原因だ。本人は平気だと言っていたが、無理をしてさらに大事となっては俺が困るのである。

 結果、比較的道がなだらかな場所を選んだため、大きく迂回する羽目になり、村に帰り着いた頃には日も暮れていた。まあ、仕方ないわな。

 数十人の村人に包囲され逃げ場もなく、お礼を言われ続けながらもクロームは変わらず仏頂面だ。なんとなく謙遜とかしたりしてるんだろうなぁ、と予想する。

 勇者として、当然のことをしたまでです。とかよく言ってるしな。今回もそんな感じだろう。

 それが本心からの言葉なのか、単なるいい人アピールなのか、というのは俺もよく分からない。どっちにしたって、何か問題があるわけではない。

 偉そうにふんぞり返っているよりはずっといいはずだろう。

 ちなみに村人達は俺に見向きもしない。森に棲み着いた魔物の話を聞いて、進んで討伐してくると言い出したのはクロームだしな。それに森へ向かう際に送り出してくれた時も、俺は一切応援の言葉をかけられなかった気がする。所詮は勇者の仲間、おまけでしかないし。

 実際、大した活躍はしてないからいいんだけどさ。

 どうにも手持ち無沙汰で俺はジーンズの尻ポケットに突っ込んでいた紙巻き煙草の箱を引っ張り出した。パッケージがソフトタイプであるため、箱はすっかり潰れてしまい、引き抜いた残り少ない煙草もよれよれだ。

 ああ、俺のマールボロちゃん……。

 まあ、贅沢は言えないよな。吸えるだけまだいい。

 オイルライターのフリントホイールを親指で回して、着火しようとするが、中のオイルが大分揮発してしまっているのかなかなか火がつかない。

 あー、くっそ……。こんな時に限ってなんだよ、一体。

 一度ライターの蓋を閉めて、下に溜まってるかもしれないオイルを上に送るように何度か振り、再度着火を試みる。

 一回、二回、三回でようやくライターに火が点いた。こりゃ宿に戻ったらオイルを入れ直した方がいいかもしれない。フリントの方も大分損耗してきているが、こっちはまだ使えるし勿体ないので交換はまだしないでおこう。

 ようやく点いてくれたライターの火で、口に咥えた紙巻き煙草の先を炙り、フィルターから流れ込んできた煙を吸い込む。

 喉を焼く煙。肺にかかる重み。有害の極みを味わうように体内へと取り込み、その残滓を吐き出す。

 なんていう自傷行為。

 一仕事終えた後の煙草は最高に美味いのである。

 と、さすがにこんな牧歌的な村で吸い殻を地面に落とすのは気が引けるな。えーと、携帯灰皿を確か持ってきていたはずなんだが……。ぽんぽんと体中のポケットというポケットを叩いてみるが、携帯灰皿と思しき感触がない。

「ありゃりゃ?」

 もしかして宿に忘れてきたか……?

 まずい、非常にまずい……。

 勇者のおまけとは言え、勇者の仲間が煙草をポイ捨て? それはいかんだろ、どう考えても……。今後の勇者一行の評判とかにも関わってくるんじゃないのか?

 最悪俺が勇者一行から除名されかねない。それだけなら別に構わないんだけど、足手まといがいなくなって逆に戦績がよくなった、とかってなるととてつもなくいたたまれない。俺が。

「ほいよ」

 いろいろと下らない考えを巡らせていると、視界の端、左の肩口から細い腕が伸びてきた。背後から聞こえてきたのは聞き慣れた女の声。

 後ろから俺の眼前へとやってきた腕は血色がよく、適度に筋肉が付いていて、綺麗な形をしている。手には革製のグローブが嵌められ、その手の中には俺がいつも持ち歩いている携帯灰皿が握られていた。

 俺はそれを受け取り、目の前の腕が引き戻された方へと振り向く。そこにいたのは紅い髪をポニーテールにした女。見慣れた顔だった。

 俺が人生の中で最も多く見ている顔と言っても過言ではないだろうか。

 凜とした赤い瞳は如何にも強気そうであり、実際その印象通りである。とはいえ、力強い目をしているながらも女性的な円らかさもそれ相応には備えているかもしれない。鼻は少し低いが、筋はしっかりと通っている。血色のいい肌は活発さをイメージさせ、実に健康的。薄手のタンクトップに傷だらけのスキニージーンズ、ぼろぼろに履き潰されたスニーカーという服装に反して、肌荒れもなく実に滑らかな肌をしている。

 体つきは豹のようにしなやかではあるが、タンクトップを内側から程よく押し上げる胸の膨らみは適度な大きさである。Cのちょい大きめ、くらいだと俺は個人的に推測している。

 しっかり鍛えられていながら女性的な丸みを残した体の輪郭は、男の目を惹くには十分すぎるものだろう。

 結い上げて尚、膝まで達する長いポニーテールが特に印象的だ。

 こいつが幼馴染みでなく、また性格がもう少しお淑やかであったのなら、俺もこいつに少しくらい気を向けていたかもしれない。それくらいの見てくれのよさだ。

 そう、幼馴染みでなければ。

「忘れてたぞ、ガンマ」

 そいつはにかっと腕白坊主のような屈託のない笑顔を俺に向ける。この幼馴染み――セシウの表情はいつも男勝りで、俺よりも男らしいことがよくある。まるで少年のように邪気がなく、いつでも脳天気で表情が豊かだ。

「ん、あー、サンキュ」

 手短にお礼を言って、俺は煙草の吸い殻を携帯灰皿の中へと落とした。

「せっかく持ってきてあげたのに、感謝の気持ちが籠もってないんじゃない?」

「うっせぇな。別に頼んでねぇっつぅの」

「何さ、どうせクロームにいいところ持っていかれて独り寂しく黄昏れてると思って来てやったのに」

 ぶーっとセシウを頬を膨らませ、くびれた腰に両手を当てる。こうやって、怒ってますよアピールを何の遠慮もなくできる辺り、やっぱりこいつは擦れてないよな。

 そういう真っ直ぐなところが、また苦手なわけだが。

「よ、け、い、な、お、せ、わ、だっつぅの。お前が来てもなんら嬉しくねぇ。むしろ心が荒れる。プラナ連れてこい、プラナ」

 煙草の煙を吐き出して、俺はセシウの有り難迷惑な気遣いを一蹴する。ちなみにプラナとは、クロームを筆頭とした勇者一行の面子の一人である魔術師だ。

 クローム、セシウ、プラナ、俺の計四人で旅をしている。プラナは見てくれも可愛いし、性格も本当に心優しく、何よりセシウと比べなくても女らしい。男の三歩後ろを静かに付いてくる実によく出来た娘だ。プラナがいたら、俺の渇いた心も癒される。

「うっわぁ、あんた本当に人の善意を平気で踏み躙るなぁ……。人としてどうなのよ? それ? このもやし、貧弱ヤロー、根暗、ヒモ、その全然似合ってない伊達眼鏡割るぞ、ごら」

「黙れ、野蛮人。ゴリラ娘、男女、筋肉バカ、大雑把でがさつな女の風上にも置けないような奴が何を偉そうに。お前みたいな野性人には分からないだろうけど、これお洒落なの。これで多くのお姉様方が俺の隠された魅力に気付き始めたから」

 いつも通りの皮肉の応酬である。こいつと話すと毎回、こういう売り言葉に買い言葉の連続になる。

 セシウは腕を組み、呆れたようにため息を零した。

「隠された魅力ってあんた……。伊達眼鏡よりも近視用の眼鏡を買うべきじゃない? それ掛けて鏡に立ってごらん? きっと隠された魅力より先に公然に曝している猥褻物が目に入って、二度と人前を出歩けなくなるよ」

 誰の顔が猥褻物だ、誰の顔が。

「そんなお前とかけて、近視用の眼鏡とといてやろう」

「は? いきなり何さ?」

「ふふふ、脳筋族のお前にはこの高度な知性と教養溢れる話題が理解できないようだな……」

「脳筋族じゃないし! つぅか何が知性と教養だよ? お前の顔にはまず品性が欠けてるんですけど?」

 うっさい黙れ。なんでこう、俺への嫌味の時だけ、こいつの頭はやけに回転が速いんだ。

 たまに冴え渡ってる時があってムカつくわ。

「で? 答えは分かるか? ん? どうなんだ? 時間稼ぎはその辺にしておけ、ゴリラ娘、略してゴリムス」

「……はぁ……そのこころは?」

 すごく面倒臭いかつダルそうな声で言われたが俺はめげない。何故ならこの手の反応には慣れているから。

 何か込み上げてくるモノもあるけど、今は深く考えないでおく。

「特徴はどつきです」

「頭蓋骨割るぞ、オイ」

 めっちゃ低い声でそんな脅し文句が飛び出してくる。こいつの腕力ならやりかねないし、目が据わっていて今にも実行してきそうだ。

 マジ怖い。この野蛮人に知能戦は通用しねぇ!

 自分を落ち着けるために煙草を吸い、頭を空に向けて煙草の煙を吐き出す。

 茜色の空が目に沁みるなぁ……。

「おーぅい、ガンマァ? 帰ってこーい?」

「帰ってきたところで待っているのはマッスル女だけである。この場所で俺の心を癒してくれるのは空だけだ……」

「……いっそそのまま浄化されて消え去れ」

 浄化されて消え去るって俺は穢れだけで構成されているとでも言うんですか……。

「よっと」

 俺の隣にいつの間にか歩み寄ったセシウは柵の上に腰を下ろし、ボロボロのスニーカーを履いた足をふらりふらりと振り子のように振り始めた。柵は俺達の腰より僅かに高く、俺は寄りかかっているだけなので、自然とセシウの位置が俺より高くなる。

 視線を少し横に向けると、適度な膨らみを持った胸がすぐ隣に並んでいた。

 ……目のやり場に困り、俺は真っ正面を向いて煙草を吸う。

 こういう無防備さは、少しどうにかすべきだと思う。性格は男勝りで大雑把とは言え、見てくれは悪くないのだ。少しくらい気を付けてもらわないと、いろいろと面倒である。

 セシウは足を振りながら、村人と会話を交わしているクロームを見ていた。俺はそのセシウの横顔をなんとなく見上げている。

 何か感傷に浸っているかのようなセシウの目。一体こいつは何を考えているんだろうか。そんなことを意味もなく思ってしまう。

 その時、今まで吹いていたそよ風とは打って変わった一陣の強風が吹き、足下に茂る草が擦れ合う音が耳に触れる。同時に風が俺達の間を駆け抜け、煙草の灰を浚い、セシウの長いポニーテールが靡いた。波打つ紅い髪は炎のようで、甘い石鹸の匂いが風下にいる俺の鼻腔をくすぐる。

 セシウは乱れる脇髪を手で押さえ付け、目を微かに細めた。風が耳へと殺到し、唸り声が耳朶を叩く。耳が引き千切られてしまう錯覚さえ覚える。

 それでも風は瞬く間に過ぎ去り、後を追うようにやってきた静けさが俺とセシウの間で羽を休めた。

 風の唸りが耳を埋め尽くした後からだろうか? 先程までと変わらない沈黙であるはずだというのに、やけに静かに思えた。その静けさが少しばかり耳に痛い。

「……ガンマは、行かなくていいの?」

 セシウもそれは同じだったのか、突然そんなことを口にする。意味を掴みあぐね、俺は右の眉を跳ね上げた。

「あ?」

「あっちに」

 セシウが指差したのは、クロームを取り囲む村人の輪だった。いや、あの輪の中心を指しているんだろうか。

「俺が行ってどうすんだよ。あいつらはクロームしか見えてねぇよ」

 もともと俺達はおまけだ。特に取り立てて取り柄もなく戦果も少ない俺はいる意味自体定かではない。

 そんな奴があそこに行って、勇者と一緒に褒められた気になるなんて滑稽じゃないか。狐もいいところだ。

「でも、ガンマも一緒に戦ったんでしょ?」

「バァカ」

 その否定の言葉は自分でも驚くほど悪意のない声音で、思わず俺自身が驚いてしまう。

「俺はいつもと変わらず、何もしてねぇよ」

 ただそこにいただけも同然。

 確かに引き金は引いたかもしれねぇが、放たれた弾丸はあの狼に対してほとんど効果を示していなかった。精々威嚇程度。クローム一人で倒したも同然だ。

 評価されるようなことはしていなかった。

「でも――」

「いいんだよ。元々、輪の中心ってのは苦手だしな。俺にはこれくらいでちょうどいい。下手に褒められるのもなんか居心地悪いしな」

 それは強がりでも何でもなく本音だった。

 細々と舞台裏で何かをしている方が気は楽だ。過度な期待を押しつけられず、任された仕事だけを淡々とこなす程度がいい。

 それなりの充実感と、それなりの穏やかさがあれば、それでいい。勇者の旅に同行し、その勇姿を間近で見ることができるだけでも十分じゃないか。

 俺には不釣り合いなくらいに特等席だ。

「それにクロームは勇者だからな。主役はあいつの役目だよ。俺達は適度に背景やってりゃいいんだよ」

 どうせ台本での役名なんて、仲間A、B、C程度なもんだろう。勇者が活躍すればそれで叙事詩は完成される。余計な連中の活躍なんかも勇者がやったことにした方が話は巧く纏まるしな。

「お前こそ行ってきたらどうだ? 今回は何もしてないけど、いつもは十分活躍してんだろ? あそこに行って褒められるだけのことはしてるんじゃねぇのか?」

 俺の問いに、セシウは静かに頭を振った。

「私もいいよ。あんまり人前に出るのは好きじゃないしね、私も」

「ふぅん」

 ま、こいつもあんまり目立ちたがるタイプじゃないからな。誰かに評価されるために何かするっていうより、自分がしたいことをしているような奴だ。それを褒められるってのは慣れてないのかもな。

 セシウは今もクロームの方を見つめていた。何か思うところがあるようで、その表情は複雑だ。

 まるで想いを馳せるようでありながら、それでいて取り残された子供のようにどこか寂しげな表情だった。

 橙の光を受けたその横顔はどうしても物悲しく見えてしまい、俺はどう言葉をかけていいのか分からない。

 何を話そうか考えている間に、セシウがまた口を開いた。

「クロームはすごいなぁ。あんなにたくさんの人、ううん、それ以上の数え切れない程たくさんの人の期待を背負ってるのに、いつも剣みたいに真っ直ぐ」

 独白するような言葉だった。その時、俺はようやくこいつの表情が尊敬によるものだと理解した。

 多くの人々から評価されるクロームではなく、世界中の期待と信頼を双肩に載せてなお、毅然と振る舞うクロームの志を尊敬していたんだ、こいつは。

 嫉妬するわけでも、羨むわけでもなく、ただ純粋にあいつの意志に感銘を受けていた。

 こいつもこいつで、本当に真っ直ぐなんだよな。

 俺は短くなった煙草を携帯灰皿に押しつけ、火を揉み消した。

「ま、クロームは勇者だからな」

 そう、あいつはこの世界を救う勇者に選ばれた男だ。その宿命を背負って、今の今まで戦い続けてきた。世界の平和、人々の安らぎ、そんな陳腐に思えてしまうような、本当にあるかどうかも分からない夢を実現するために生きてきた。

 そんなあいつだからこそ、あそこまで真っ直ぐに、誰にも媚びず、また何者に恐れることも屈服することも引け目を感じることもなく、ある種孤高にも似た生き様を貫くことができるんだろう。

 俺はあいつのそういうところだけは認めていた。勇者クロームの仲間として共に旅ができていることは、俺にとっての誇りだ。

 セシウは俺の言葉を受けて、少し呆けたような顔をした後、ゆっくりと満面の笑みを浮かべる。

「そっか、クロームは勇者だもんね」

 クロームの勇者として戦い抜こうとする揺るぎない決意は、俺やセシウ、またプラナにとって何よりも眩しいものであった。その輝きに俺達は全てを委ねているのかもしれない。

 俺達にそうさせるクロームはまさしく勇者としての器の持ち主なんだろうな。

 勇者は今も、人々の感謝の気持ちを一身に受け止めていた。