1Cr Drudgery―白黒徒花―
01.Nothing Ever Breaking Iron Cr―鋼鉄の勇者―Verse 3
感謝をされるのも楽ではない。
そんな贅沢な悩みを抱えざるを得ないほどには、勇者一行も大変なのである。
クロームは村人達に囲まれ土砂降りのお礼を受けても平然としていたがそれはあいつが表情に出ないだけである。それに勇者としてそういうことにも慣れてきているから平気なだけなのだ。
俺のような普段人からあまり感謝されないような人生を送っているような奴にとってすれば、それは地獄のようなものなのである。
今がまさにそれだ。
「勇者様ありがとうございます!」
「勇者様! どうか世界をお救いくださいませ!」
宿へ向かう夕焼けに染まった帰り道、俺達三人はそんな声を浴びながら歩いていた。先頭をクロームが行き、その斜め後ろ側左右それぞれを俺とセシウが歩く。まるで要人の護衛のようだ。
道の両脇に立った人々が次から次へとお礼を俺達へと投げかけてくる。感謝の言葉が尽きないっていうのはこういうことを言うのかね。よくもまあ飽きもせず、似たり寄ったりの言葉を……。中には屋根の上に登って、花吹雪を散らしてる奴もいる始末。
村人の並び方はまるでパレードでも見ているかのようであるが、実際その開けられた道を通っているのは仏頂面のイケメン一人にゴリムス、そして冴えない茶髪眼鏡である。
向こうからしたら勇者一行だから確かに物珍しいのかもしれないが、俺からすればこんな面子、華がなさすぎてつまらんだろうっていう気しかしない。
まあ、俺達はおまけだからな。要は勇者クロームを一目見たいってところなんだろう。
俺からすればこれほどつまらないことはない。なんせちょっと可愛いなぁって思う子がいても、勇者の仲間という手前、あまりちょっかいかけられないからな……。すごく生殺しされている気分になる。
ふと、総人口の関係上かなり薄い人垣から一人の少女が飛び出し、俺達の前へと立つ。まだ本当に幼い子供だ。両手を後ろに回し、もじもじと遠慮気味に俺達を見上げてくる。
「あ……あの……ゆーしゃさま、ま、まものをたおしてくれて、ほんとーにほんとーにありがとございました!」
舌足らずながらクロームに感謝の言葉を述べ、少女は背後に隠していた花の輪を俺達へと掲げた。
クローバーの白い花を編み込んで作られており、サイズ的には冠といったところだろうか。
数は四つ、ちょうど俺達勇者一行の人数と同じだ。俺とクロームが魔物を討伐しに行ってから、ずっと作っていたのだろうか。
俺達三人は互いの顔を見て、微かに笑う。クロームも唇をほんの微かにだが綻ばせていた。
クロームは少女へと向き直り、膝をついて目の高さを合わせる。腰に佩いた剣が地面を柔らかく叩いた。
あの世界を救う宿命を背負った勇者がただ一人の年端もいかぬ少女の前に跪く。そのことが意外だったらしく、周囲の村人が微かにどよめいていた。
俺達からすればごく当たり前の光景なわけだが。クロームは無辜の民に対してはいつだって平等だ。一切の区別も差別もなく、自分と同等、いやそれ以上として扱っている。
「どうってことはないさ。君達を守るのが俺の使命だ。お礼を言われるほどのことでもない」
いつもの剣のように硬質な声とは異なる穏やかな声。こういう瞬間、俺はこいつも人間であるということを再認識する。
当たり前のことなのかもしれないけど、こいつにも感情があって、勇者である前に一人の人間なのだ。
こいつは勇者としての行動と、人間としての性質があまりにも重なり合っているため、勇者とクロームを同一に見てしまうけど、そういうわけじゃないんだよな。
「で、でも! ありがとーございます! こ、これは……私からのお礼です!」
少女は手に持った冠のうち三つを腕にかけ、両手で持った一つをクロームへと差し出す。
クロームは何も言わず、頭を少女へと向けた。少女は夕日を受けて橙に輝く、クロームの銀色の髪へと少し緊張したぎこちない動きでおずおずと花の冠を載せる。
それは本当に幼稚で質素な、世界の命運を背負った勇者とは釣り合わない子供騙しの冠。だというのに、恭しく冠を受け取り立ち上がった後ろ姿は、どういうわけかどんな大国の王にも劣らぬ威厳を誇っていた。どんなに意匠を凝らし宝石を鏤めた豪華絢爛な王冠を以てしても、この小さな花の冠よりも美しい冠はないとさえ思ってしまった。
こんな擦れた俺にそんなことを思わせるくらいに、クロームの姿は誇り高かった。根っからの勇者っていうのは本当に恐ろしいもんだ。
「ありがとう。これは――最高の宝物だ。大事にしなければな」
言葉を飾ることもなく率直に感謝を伝え、クロームは少女の柔らかい髪を優しく撫でる。少女は頬を仄かに赤く染めているように見えるけど、それは夕日のせいか? 錯覚なのか?
このお稚児趣味!
とか野次を飛ばしたくなったけど、流石にそれを躊躇う程度には俺も空気が読めている。ていうかここでそんなこと言ったら、俺の隣で微笑ましそうに二人を眺めているセシウに蹴り飛ばされそうである。
地面に好き好んでキスをする趣味は俺にもない。
クロームの顔を見上げていた少女は恥ずかしげに俯くと、逃げるようにクロームの脇を通り抜け、今度は俺達の前にもやってくる。
「あ、あの、これ!」
今度は二つの花の冠を俺とセシウに差し出してくる。
俺とセシウはお互いの顔を見合い、お互いにどうするべきかを視線で訊ね合うが訊ね合った段階ですでにこの行動が無意味であることを伝えていた。
受け取っていいべきなのだろうか?
何もしていないような俺達が?
今回は活躍してないにせよセシウは普段、十分すぎる戦果を上げている。お礼を受け取る資格はあるだろう。ここにいないプラナだってそうだ。
だけど俺は?
俺はこの少女が丁寧に編み上げた花の冠に見合ったことをしてきたのか?
そんな疑問が胸から湧き出す。
セシウはすでに自分の中で結論を出し、クロームがそうしたように少女の前で膝をついて、冠を載せやすいようにと頭を下げていた。
少女は優しい手つきでセシウの頭に花の冠をそっと載せる。
「ゆーしゃのなかまのおねぇさん! いつも私達のためにありがーうございます!」
「あはは、ありがと。似合ってるかな」
感謝の言葉に優しく笑い、セシウは少女へと訊ねる。
「うん! とってもきれいだよ!」
「お、上手だなぁ。きっと貴女は将来、別嬪さんになるね」
セシウは両手で少女の小さな頭を撫で回している。そのまま少女の頭を壊してしまわないか少し心配だ。
ていうかお姉さん? 綺麗? 誰のことだよ? とか思ってしまった。
そうか、セシウはヒト科の哺乳類だったのか……!
――馬鹿なことを考えている場合じゃなかったな。考えが行き詰まるとどうでもいい思考に逃げてしまうのは俺の悪い癖だ。
クロームやセシウ、プラナの三人にはその冠を戴くだけの資格がある。だけど俺にはそんなもの到底ないだろう。どう考えたって、よ。
「あの、おにぃさんも……」
足下から聞こえてくる怯えたような声に俺はようやく意識を現実に引き戻される。見下ろすと少女が泣きそうな顔で俺を見上げていた。
「ガンマ、今すごく怖い顔してた」
横からセシウに指摘され、俺は僅かに苦笑する。ここで拒むのはあまりにも空気が読めてないか。
俺の心がどうであれ、少女の誠意は受け取るべきなんだ。夢を与えるのも、勇者の仕事だよな。仲間の俺がそれを放棄してどうするっていうんだ。
「悪い悪い。ちょっと、な」
言いながら、俺も二人がしてきたように少女の前にしゃがみ込む。
「おにぃさんもまものをたおしてくれてありがとうございます。こ、これからもおーえんしています!」
わざわざ別々に考えてきてくれたんだろうお礼の言葉を受け、俺はゆっくりと頭を下げる。少女からは表情が見えないのをいいことに思い詰めてしまう自分の卑屈さに吐き気を催す。
頭を垂れたのは眩しいからか? 眩しいのは何だ?
夕日か? クローム達か? 少女か? それとも世界か?
俺の眼はあまりにも暗い。
そして暖かい手が頭に載せてくれた冠は、俺にはあまりにも重すぎた。まるで断罪されているような気分である。
クロームが戴けば、あんなにも輝かしい宝物も、俺が身につければ鈍色の罰に成り果てる。
随分と滑稽な話だな。
努めて普段通りの表情を作ってから、俺は少女へと顔を向けた。
「ありがとうな。大事にするよ」
できるだけ優しい声音を選び、俺は少女の頭をぽんと軽く叩いて立ち上がる。俺にはそれぐらいしかできなかった。
これを受け取ること自体、少女に嘘を吐いているのと同じだ。それ以上の罪を重ねることは辛かった。
こんな出来損ないの嘘でも少女を欺くことはできたらしく、満足げに微笑んでいる。この子の夢を壊さなかっただけでもよかったと思おう。
しかし、もう俺への用は済んだはずなのに少女は俺の前から動こうとせず、きょろきょろと辺りを見回してる。
ん? 何を探している?
「あ……あの……もうひとつ……」
少女の手には残り一つのクローバーの冠。
ああ、プラナの分か。
セシウもそれに気付いたらしく、少女の側にしゃがみ込むと優しく小さな手を握る。
「もう一人は今、お留守番中なのよ。だから私が渡しておいてあげる。それでも、いいかな?」
「う、うん! ありがとう、おねえちゃん!」
最後にクロームの前に忙しない足取りで移動し、俺達三人と真っ直ぐ向き合う。頭に花の冠を付けていい歳こいた兄ちゃん姉ちゃんどもが一人の少女と対峙するっていうのはなんともおかしな光景である。
「ゆーしゃさま、ほんとーにありがとうございましたっ! このことはぜったいにぜったいにわすれません! ほんとーにありがとうございます!」
小さな体から絞り出すように、精一杯の大きな声で俺達に改めてお礼を言って、少女は危なっかしい動きで人垣へと逃げ込み、母親と思しき女性の背後へと隠れた。
いい子だな、と人間味のあることを思ってしまう。実際そうなんだろう。だけどそんな感情を抱く自分の心の動きがどうしようもなくおかしく思えた。
クロームは母親の後ろから俺達を覗き見ている少女に小さく手を振って、再び歩き出す。俺とセシウもそれを追うように再び歩き始める。
「似合ってないねぇ、お花の冠なんて、ガンマには」
「うっせ。お前こそなんだ? これから野獣と結婚式ですかぁ?」
「うっさいわ」
浴びせられる感謝の言葉に紛れ、俺達はそんな皮肉を投げ合う。
似合ってないのは俺がよく分かっているさ。
いつもの他愛のないセシウの皮肉。そう流せばいいだけの言葉が、俺の胸に重くのしかかっていた。