1Cr Drudgery―白黒徒花―

01.Everlasting Cr―鋼鉄の勇者―Verse 4

 人々の感謝を浴びながら、俺達はようやく宿へと帰還することができた。宿屋の入り口の扉を閉めるその瞬間まで、俺達の背中には感謝が投げられていた。

 いくらなんでも感謝しすぎだろ、魔物一匹倒した程度でさ。そこまで大したことはしていないはずだっていうのに。

 宿屋に入った俺とセシウは同時に深い息を吐き出し、その場にへたり込む。受付だけが置かれている狭いスペースではあるが、三人だけならまだ十分余裕がある。一応隅の方に休憩用のソファも置かれてはいるんだけど、そこまで行くのはなんだか面倒だ。

 なぁんか気疲れしたなぁ。

 毎度ながらこれが一番辛いかもしんね。

「なんだお前達、情けないんじゃないか?」

「いや、むしろお前はなんでそんなに平然としてるわけ?」

「勇者だから、な」

 特に気取るわけでもなく、クロームはさらりとそんな言葉を言ってのける。その称号の重さを知りながら、それを背負う覚悟があるからこそ、言える言葉だろうな。

「感謝されるのはいいんだけどさ、なんかこうそこまで感謝されちゃうと本当に分不相応な感じがしちゃうんだよねぇ」

「分不相応なんて難しい言葉無理して使わなくたっていいんだぞ。ゴリムス」

「ゴリムス言うなーっ!」

「いずれは世界を救う英雄だ。どんな感謝を与えれても不相応なんてことはないだろう」

 また下らない舌戦を開始しそうになった俺達にクロームはまたすごいことをあっさり言う。

 本気で世界を救う覚悟があって、それを成し遂げることを決意しているからこそ、こいつはどんな言葉を受け取っても物怖じしないでいられるわけだ。

 徹頭徹尾勇者と呼ばれるに相応しい男ですよ、本当。お見逸れいたしました。

 少し座ってセシウは回復したらしく、すっくと立ち上がる。俺も一人だけ床に座り続けるのは憚られ、疲れは取れていないながらも立つことにした。

 と、そこで受付の脇の奥へと続く廊下からドアの開く音がする。蝶番が大分古いらしく、どのように開けても音が鳴るのだ、この宿のドアは。

 廊下に面する四つの部屋がこの宿屋の宿泊用の部屋だ。少ない気はするが、こんな山奥の村だ。妥当な数だといえるかもしれない。

 普段宿泊客が来るかも怪しいレベルだしな。

「あら……三人ともどうしたんですか? そんなにめかし込んで」

 ドアの隙間からひょっこり出た小さな顔が、俺達三人を見て口元を覆う。

 ああ、花冠か。

 円らな紅い瞳を大きく見開き、フードは深く被った少女はゆっくりと部屋から出てくる。

 全身を覆うのは灰色のローブ。少しサイズが大きいらしくぶかぶかしており、手は隠れているし裾は床に触れている。顔の鼻から上を隠すようにフードを被り込み、脇髪だけがフードから零れ落ちていた。零れる髪は白――それも老いた白ではなく、生き生きとした力強い純白である。

 体つきは小柄で華奢。子供と言われても全然驚かないほどに背が小さく、一五〇センチくらいしかないんじゃないだろうか? 女性らしい膨らみを感じさせない体型も相俟って尚更子供っぽい。

 顔立ちも童顔であり、あどけなさと幼さが多分に残っている。少し低めの小さな鼻に、形の整った小さい口――全体的に少女を形成するパーツは小さいものばかりだ。大きいものを上げるとするなら目くらいだろうか。血の気を感じさせないほどに白い肌や髪の中で、円らな紅い瞳だけが鮮やかな色を持っていた。まるで体中の血を集約したようだとさえ思ってしまう。

 初めて会った時、人形のようによく出来た姿形をしているという感想を抱いた。

 常に儚げな表情と、繊細な体つき、白皙から連想される病弱なイメージ。それらが合わさって、雪のような印象を見る者に与える。

 少し力を加えれば簡単に壊れ、その破片さえも溶けて消えてしまいそうである。

 ドアを丁寧に閉めた少女はとことこと歩幅の短い歩き方で俺達の方へと向かってくる。裾は床に触れたままで、ずるずると引き摺られていた。

 この芸術品のような美少女こそが、俺達勇者一行の最後の仲間プラナである。

 信じられるか? こいつセシウより一個年上の二十三歳なんだぜ?

 十四歳と言われても信じるぞ、俺は。

「ちょうどよかった。ついさっき戻ったところだ」

 クロームは表情を和らげ、プラナに語りかける。長身のクロームを見上げたプラナもまた穏やかに微笑んでいた。

 二人とも容姿が端麗なせいもあり、こうやって向かい合っているだけでも一幅の絵画のようである。

「ええ。話し声が聞こえたので出てきたみたところです。お疲れ様、クローム、ガンマ。無事で何よりです。セシウもお疲れみたいですね」

 まるで聖女にように眩しい笑顔を俺達三人それぞれに向けてくれる。

 こういうのだよ。こういうのがいいんだよ。これがセシウとプラナの絶対的な違いだ。

 なんていい子なんだろうか、プラナ。俺の癒しである。心のオアシスとはこういう子のことを言うんだろうな。

「もう感謝感謝のトルネードで大変だったわ。プラナが来てたら大変だったろうね」

「部屋からも喧噪は聞こえてきてましたよ。よいことではないですか。感謝されて疲れるなんて贅沢な悩みですよ」

 ま、確かにな。プラナの言うとおりだ。

 人に批判を受けて精神を摩耗させるよりもよっぽど健康的な疲れ方だろう。

「それで、三人ともその花の冠はどうしたんですか? とっても素敵ですよ」

 嫌味というわけではなく、プラナは純粋に花の冠に見取れているようだ。こんな些細なことにも皮肉一つ言わないのは、俺達四人の中でプラナくらいだ。

 いい子すぎるぜ、全く。

「村の少女から頂いた。俺達へのお礼だそうだ」

「あらあら、随分と素敵なお礼じゃないですか。大切にしなければなりませんね」

「プラナの分もあるぞ?」

 先程セシウが受け取っていたのを思い出し、俺はそこでようやく口を開く。

 クロームとプラナが話していると口を挟みづらいんだよな、なんとなく。

 俺の発言にクロームはふんと鼻を鳴らす。

「なんだ? 珍しく長時間喋らないでいると思ったがもう限界か? ガンマの口は喋っていないと呼吸すらできないのか?」

「うるせぇな。お前はどうせ呼吸と会話が同時にできないから、一言一言が短いんだろう?」

「お前が喋る時、二酸化炭素を吸って酸素を吐き出すようになればいいのにな。そうすればお前が喋ることにも多少の意義が生まれる。新型のガンマは一体いつ世に出回るんだ? この不良品と交換してもらいたい」

「それよりもまずお前を交換したいね。もう少し俺様への感謝の気持ちを素直に表せるように改良してもらった奴」

「安心しろ。それなら今の時点で十分すぎるほど忠実だ」

 ぐっ……分かりきっていたことだけど、改めて言われると尚更傷つくじゃねぇの……。

 今の完全に俺の失策だった。まさか自分の発言のせいで心に傷をつけられるとは。

 クロームはあらゆる面で完璧すぎるので悪口を言い合うと、こっちはすぐにネタが尽きてしまう。対して俺は見事に欠点だらけである。

 ハンデが大きすぎだ。

 そんな舌戦を繰り返す俺達の傍らで、すでにセシウはプラナに花の冠を渡していた。

「はい、これがプラナの分ね」

 言いつつ腰を曲げたセシウはプラナの頭に冠を載せる。フード越しではあるけど。

 プラナは季節問わず厚手のローブを着込み、目深にフードを被っている。俺でさえまともに顔を見た回数は数えるほどだ。

 今は鼻から上を隠すように被っているため辛うじて目を見ることはできるけど、外出している時などはさらに被り方が深い。鼻先がなんとか見える程度の時だってあるからな。

 フード越しとはいえ冠を被ったプラナは鈴を転がすような笑声を漏らし、ローブから取り出した手鏡で自分の顔を確認している。

 上手いこと鏡が下から見たプラナの像を映して、俺にも素顔が見えないものかと思ったけど、プラナは背を向けてしっかりガードしている。

 厳重すぎだ。

「似合っていますかね?」

「うん、ばっちし!」

 プラナの無邪気な問いにセシウはぐっと親指を立ててにかっと笑う。フード越しだというのに何を根拠に断言しているのか激しく疑問だ。

 自分と比較した結果か? それなら大抵似合っていることになる。

 それでもプラナは嬉しそうにはにかみ、自分の頭に載ったクローバーの冠に指先で触れる。

「宝物が増えましたね。これを作って下さったお方にもお礼を申し上げたいところです」

「んー、そうだねぇ。まあ、この村も大きいわけじゃないし、その気になればいくらでも会えるんじゃないかな? きっと」

 まあ、小せぇ村だよな、実際。国境付近だし、しょうがないことではあるけどさ。流通面はこの前立ち寄った街の方が得意だし。あそこに上手いこと持っていかれてるんだろうな。

 自給自足の農業がメインといったところか、この村は。

 まあ、何にせよ、小さな村っていう事実に変わりはない。人口も少ないのでまたすぐに会えるだろう。

「そういえばクローム、お話したいことが――」

 腕を組み、壁に寄りかかっていたクロームはプラナに呼びかけられ、目を開く。

「どうした?」

「少し気になることがありまして……」

 怪訝そうに眉を顰め、クロームはじっとプラナを見下ろす。俺達三人は身長が高い方だというのに、プラナ一人だけやたら身長が低い。そのためプラナは俺達と目を見合って話そうとするといつも見上げた状態になる。首が疲れないのか、心配である。

「ここではダメなのか?」

「で、できれば二人だけで……」

 なんか今にも告白でもしそうな言い様だな。

 まあ、実際そうなっても不思議ではないんだけどな、この二人は。

 クロームも心なしかプラナには甘いしよ。俺の心のオアシスが、クロームに独占されることになった日にゃ俺は一体何に縋って生きればいいのか、途方にくれてしまいそうだ。

 クロームは少し思案するように目を細め、俺の眼をこっそりと見てくる。

 ……なんで俺の顔色を窺うかね。

 とりあえず肩を竦めて、顎で部屋の方を示す。

 クロームはため息を吐き出し、壁から背中を離した。

「分かった。行こう。ガンマ、セシウ、少し行ってくる」

「あいよー」

「はいよー」

 俺とセシウがほぼ同時に似たり寄ったりな返事をする。お互いそれが気に食わなくて、お互いを睨み合う。どうにも行動が似てしまう俺とセシウに、クロームは微かな苦笑を漏らし、プラナと共に部屋へと続く廊下を進み始める。

「あ、そうだ。話ついでに腰の方も直してもらえよー」

「ん? クローム、腰どうかしたの? ぎっくり腰?」

「ゴリムスは黙ってろ」

「ゴリムス言うなっ!」

 今にも噛み付いてきそうなゴリムスを黙殺して、立ち止まり無言で俺を睨んでくるクロームへと目を向ける。

「後々引き摺ることになると面倒だ、早めに直してもらっとけ」

 プラナは治癒魔術が得意だ。こいつにかかれば、大抵の怪我は痕跡も残さず治してくれる。

 無理をされて困るのは俺なのだ。できれば早めに治しておいてもらいたい。

「余計なことを言うんじゃない」

「クローム、腰に怪我をしたんですか?」

「……なんでもない」

 今にも泣き出してしまいそうなほどに心配し訊ねてくるプラナに、クロームは顔を顰めて短く答える。

 下手に隠してもムダなのにな。こいつは本当に変なところで無理をする。

「魔物との戦いで背中を少し打ったんだ。重傷ってわけじゃあねぇが、ちゃっちゃか治してやってくれよ」

 クロームはいつまで経っても認めそうにないので、代わりに俺が教えてやる。俺の余計なお世話にクロームが微かに舌打ちをしているのを俺は見落とさない。

「そうなんですか?」

 俺の言葉を聞いて、プラナが再度クロームを見上げる。胸の前で手を組み合わせ、心配するあまり目を潤ませている。

 なんていい子なんだろう。胸が痛くなるほどだ。

「別に、大したことじゃない」

「大したことあんだろうが。帰り道なんて歩くのがやっとだった癖によ」

 俺に肩まで借りたのだ。大したことないはずがない。しかも俺からの申し出じゃない。こいつ自ら肩を貸して欲しいと言ってきたのだ。

 はっきり言っておかしい。クロームが俺に助力を乞うなんてほとんどない。それくらいあの時の損傷が辛いもんだったんだろう。

 尚更治してもらわないと困る。

「うっそ!? クロームが!? 立てない!? 何それ、私も見たかったー!」

 俺の言葉に何故か外野のセシウが釣れる。お前はいいんだよ、お前は。

 まあ、いいや。こいつも利用しておくか。

「そりゃもう酷かったぜ? なんせあのクロームが俺に肩を借りてくんだからな」

「えー! ありえない! なんでよりによってガンマに!? ガンマしかいないからって、そんなことするくらいなら私は体引き摺ってでも自力で帰るね」

 そっちに反応すんなよ。ていうかお前は本当に俺を何だと思ってんだか……。

「クローム、無理はいけませんよ? 傷が浅いのなら、すぐに終わります。治療いたしますよ?」

「いや……大丈夫だ。特に問題があるわけでは……」

「無理はしないでください。お願いします」

 クロームの声を遮り、プラナが一歩詰め寄る。今までの柔らかい口調に反し、それはとても強く否定を許さないものであった。

 こうなるとプラナは曲がらない。いつもは柔和で優しく、自分の意見を口にしないプラナであるが、こうやって一度決断すると梃子でも動かない。

 なかなかどうして意志が強い。いや、堅いって言った方が適切かもしれない。

 クロームは困ったように眉根を寄せ、やがてため息を吐き出す。

「分かった……。治療をお願いする」

 ついにクロームが折れた。プラナは大輪の花を咲かせるように微笑み、力強く頷いた。

「そうと決まれば早い方がいいですね。さ、こちらへ」

 言いながらプラナは早足で部屋へと向かっていく。その後ろをクロームが少し遅れて進む。足取りの遅さは未だに納得がいっていないことを何よりも如実に伝えていた。プラナのはしゃぐような足とは正反対だ。プラナからすれば、治療させてもらえるだけでも嬉しいんだろうな。

 健気な子である。

 二人の背中が部屋へと入っていくのを見送り、俺とセシウは顔を見合わせ苦笑し合う。

「素直じゃねぇな」

「ホントにねぇ」

 いつものことだ。クロームはいつだって無理をする。

 俺達に心配をかけたくないんだか、プライドが高いんだか、よく分からないけどさ。

「無理せず言ってくれればいいのにね。私達ってそんなに信頼ないのかな?」

 特に気にしているというわけでもなく、冗談めかした口調でセシウは言う。しかし、それでもそれは心の根底にある疑問なんだろう。

「別にあいつは俺達を信頼してないわけじゃないだろうさ。むしろ俺達を信頼してくれている。誰よりも。まあ、俺は分からんけど……。あいつの場合、仲間だと思ってるからこそ、心配をかけたくないんだよ、きっと」

 あいつはそういう奴だ。多分。

 人々を救うことに関しては誰よりも実直で、何よりも懸命で、何者にも追いつけない程に必死だ。だっていうのに、人を思いやることに関して、あいつは幾分不器用だ。

 人への思いやりの感情っていうのを相手に分かるように示すことが苦手なところがある。

 何ともまあ、本当に剣のような男だ。

 まあ、割と適当に考えたけどな、今。正直、あいつのことはよく分からん。俺なりに思ったことを言っているだけにすぎない。おそらく外れてる。

 セシウは俺の言葉を受け、考え込むように低い天井を見上げた。

「ん……? んー? んん? そーいうものなのかなぁ?」

 セシウには分からないだろうな。こいつは俺達四人の中で、一番素直に自分の感情をさらけ出せる奴だし。

 それはそれで、こいつのよさではあるんだけど、クロームの不器用さを理解するのは難しいか。

 こいつもクロームも仲間というものを思いやっていることに変わりはない。なら、特に問題はないだろう。もしもの時は俺が梃子入れしてやれば、誤解で仲がこじれるってこともないはずだ。

 どいつもこいつも根っこがいい奴だもんな。

「うあ……お腹空いた」

 唸るような声を上げる細い腹部を押さえ、セシウは無邪気に笑う。

 ……素直っつぅか本能に忠実なだけか、こいつは。

「ガンマ、なんか食べ物持ってない?」

「お前の頭の上に載ってるだろ」

「これは食べ物じゃない」

 唇を尖らせて拗ねたセシウは守るように花の冠を手で押さえる。俺も食わねぇよ。

 ただ野生児のセシウなら食うと思っただけのことだ。

 意外と人間っぽいのね、とも言おうと思ったけど、言った日にゃ殴り倒されるので黙っておく。

 一応防衛本能は働く。

「あら、ガンマ様、セシウ様、おかえりになっていたんですね」

 ふと廊下に面する扉が開き、一人の少女が顔を出す。少女が出てきたのは手前の右側の部屋。朝方、俺達の取った部屋でくつろいでいる時、その部屋からなんか人の気配を感じたんだけどな。ちなみに一番奥の左右の二部屋が俺達の取った部屋だ。

 少女は少し跳ねた髪を手で押さえ付けながら部屋から出て、ぱたぱたと俺達の方へとやってくる。

 この宿の主人の一人娘だった。齢十六、飾り気のない可愛らしさがなんとも村人らしい素朴な少女だ。飾り立てていない自然な感じが、なんだかとても好みである。

 この村に到着した当初はいろいろごたごたしていたせいもあって、名前を聞きそびれており、それっきりとなってしまっている。今更訊ねるのもなんかアレなので勝手に看板娘と俺は呼んでいる。実際には呼ばないけどよ。

 俺が勇者一行の一人じゃなければ言い寄ってただろうな。

「ああ、今さっきな。ん? 気付かなかったのか?」

 結構和気藹々と喋ってたし。気付かなかったっていうのは意外だ。外も先程まで騒々しかったし。

「あ、いえ、洗濯やベッドを整えたりしてたので……」

 どこか引き攣った笑顔で少女はぎこちなく答える。

 ……おかしくね?

 ベッドを整えるくらいでそんなに時間がかかるもんか。昨日見た段階では、かなりそつなく仕事をこなしていたはずだ。それにこの様子はどう考えても何か隠している……。

 後ろ髪の跳ねた毛は何だろうか? どうにも手で必死に押さえ付けているけど……。

「……お前、寝てたな?」

「へ!?」

 びくんと看板娘の肩が震える。図星だな、こりゃ。

「さてはベッドを整え終えて、春の心地よい陽射しと直前まで干してあったシーツの匂いに眠気を覚えて、横になったら微睡んじまってそのまま今の今まで寝てたな?」

「い、いえ! そ、そんな! ベッドを整え終えて、はあ、今日は本当に天気がいいなぁ。陽射しもぽかぽかしてて気持ちいいなぁ。お日様のいい香りもしてなんだか眠くなっちゃったなぁ。少しくらい寝てもいいかなぁ、とか思ってちょっと横になったら、そのまま今の今まで寝ていたなんてそんなことは全然ありません! 何もないです! 大丈夫です!」

「なるほどよく分かった」

「うん、よく分かったね」

 慌てふためく看板娘を前に俺とセシウは頷き合う。何から何まで、全て把握いたしました。

 本当に分かりやすいな、この子。

「うぅ……父には仰らないで頂けますでしょうか?」

「何を? あー、あんたが今日は本当に天気がいいわぁ、陽射しもぽかぽかして気持ちいいわぁ、お日様の良い匂いもしてなんだか眠くなってきちゃったわねぇ? 少しくらい寝てもいいかしら? いいじゃなぁい? 寝ちゃいましょう――となったことか?」

 体をくねくねさせながら、出来うる限り女っぽい口調で俺は最早何が言いたいのか自分でも分からないようなことを言う。

 隣でセシウが「きもっ」とか本気で気持ち悪そうな顔で言ってるけど気にするな、俺っ!

 ちなみにあのお日様の匂いと一般的に言われるそれはダニの死骸の臭いだったりする。というのも実は間違いで、本当は汗や脂肪、体臭成分や洗剤成分、また微生物が殺菌された時に出る成分が太陽光によって分解されてできた物質が原因だ。アルコール、脂肪酸、アルデヒドといったこれらの物質は揮発性だから、直後だけ匂いがするわけである。

 ここまで言おうと思ったけど、看板娘には分からなそうだし言わないでおこう。

 ちなみにあの匂いにはリラックス効果もあるらしい。

 正直、素直にお日様の香りだと思っていた方がいい気もする。

 そんなことはさておき、自分が全て白状してしまったことを悟り、我に返った少女は恥ずかしそうにエプロンの裾で顔を覆っていた。

 その頬は恥ずかしさのあまり真っ赤である。触れたらいい感じに温かそうだ。

 はい、真面目なこと考えてリセット完了。これで何事もなかったことになった。

「ガンマガンマ? 一生のお願いがあるんだけどさ、私達の知らないところで一人ひっそり死んでくれないかな?」

 なってなかった。

 笑顔ながら青筋を立てるという何とも器用かつ奇妙な表情をしたセシウが、俺にうきうきとした口調で頼んでくる。今にも語尾に音符でも付きそうであるが、付いてたまるものか、こんな要求に。

「うっさい、お前の一生のお願いはお前が五歳の頃に、俺が宝物にしてたバッチを欲しがった時に使っただろうが」

「な、なんで覚えてんだよっ!」

 声とほぼ同時に背後から襲ってきた拳を、しゃがみ込んで何とかやり過ごす。俺の反射神経も大分鍛えられてきたな、こいつのせいで。

 勢いよくしゃがんだためにずれた眼鏡を中指で押し上げた俺がゆっくりと顔を上げると、目の前の看板娘は俺達に背を向けて、口元を覆っていた。その背中は小刻みに震えている。

「……なんで笑ってんだ?」

「へ!? い、いえ! 笑ってなんかいませんよ!」

 少女は素早く否定するけど、その声は上擦っていた。

 間違いなく笑ってたな。

「別にそんな面白いことでもねぇだろうよ」

「い、いえ……なんだかとても仲がよさそうで、楽しそうだったというか……」

「それはねぇ」

「それはない」

 ほとんど同じことを反射的に言い返してしまい俺とセシウはまた睨み合う。

「ほら、そういうところとか。お二人はすごく仲がいいですよ、やっぱり」

「んなこと……」

「ありますよ」

 看板娘は言い切る前に答えて微笑む。

 村に来た当初は俺達が勇者一行ということもあって、緊張しっぱなしで表情もぎこちなかったというのに、なんだか随分自然体になったな。

「今朝方とは様子が違うな。すっげぇ緊張してたのによ」

「そ、そんなことは……ありましたよね……」

 今朝の自分の言動を思い出して、さすがに否定しきれないと判断したらしく看板娘はがっくりと項垂れる。

 言葉も変に丁寧にしすぎておかしかったし、何かと転ぶわ、零すわ、落とすわ、で大変だったもんな。

「あれは本当、ご迷惑おかけしてしまいましたよね……」

 申し訳なさそうに少女は俯く。今朝のことを振り返って、また申し訳なさが込み上がってきたようだ。

 俺たちが村に到着して宿に来たのは、まだ日も昇りきらぬ早朝のことだった。俺たちが急に押しかけたせいかとも思ったが、またそれとは違うようだ。普段の仕事ぶりはむしろテキパキとしておりムダも少ない。

 俺たちが出かける前にも何かと謝ってきてたし。なんか俺達が悪いことしてるような気分にさえなったもんだ。

「いや、そりゃ誰も気にしてねぇけどよ。ただどうしてあんなに緊張してたんだ?」

「あー……その、怒らないで聞いてくれます?」

 恐る恐る上目遣いで俺の顔色を窺いながら少女は訊ねてくるので、俺は小さく頷く。

 僅かに躊躇いつつも看板娘は口を開いた。

「勇者様の御一行ということで……私、最初はすごく怖い人が来ると思ったんです。だって世界で一番有名なお方ですから。勇者様は。だから、すごく偉そうにしてて、すごく贅沢で、少しでも無礼をしたら殺されてしまうんじゃないか、とか思っちゃってたんですよ……私」

「……それはどこの蛮族だ?」

「すすすすみません! ホンットーにすみません! 怒らないでくださいっ! あ、いえ! どうぞ、お叱りになってくださいっ!」

 少女の声は今にも泣き出しそうである。

 いや、別に怒ってないんだけどさ。そこまで思われるのはさすがに心外だ。

「私達って……そういうイメージ、なのかな?」

 不安そうにセシウが俺に聞いてくる。こいつもそこまで思われていたとは予想していなかったんだろうな。

「いや、まあ、世界を救う宿命背負っちゃってるしなぁ、俺達」

「そしたら感謝されない?」

「そんなでっかい使命を背負ってるんだぜ? そりゃ怖いイメージもつくさ。例えばよ、王国の騎士団に所属している騎士様が突然お前の家に来て、一晩泊めてくれと言ったらどう思う? 相手は由緒正しい騎士で、数々の戦場で功績を上げている英雄だ」

「……んー、そんなすごい人に無礼なんかしたらすごい怒られそうだ」

「……そういうこと」

 この際こいつの幼稚な答え方にとやかく言うのはよそう。

 国家に権力に名誉。そういったものが絡んでくると、馴染みのない人間にとって、同じ人間であるはずの人物も得体の知れないモノに見えたりするもんなんだよな。

 ましてや俺達はこんなバカばっかりやってるとはいえ、世界の命運を守るために世界中の国々から協力までされている一応大物なのである。俺も含めて。

 そりゃ怖くないはずがない。恐らく俺も含まれる。

 今、思った当の本人が違和感を抱いている時点で、俺のダメさが分かるというもんだ。

「でもなんか傷つくなぁ……」

「うぅ……すみません……」

「いや、別に怒ってるわけじゃないよ、責めるつもりもないし……」

 しゅんとなる看板娘に、セシウは慌てて否定する。

 このままだとさらに怖いイメージを植え付けてしまいそうだな、それはそれで申し訳ない。

「で? 実際は? 正直なところどうなのよ? 怒らないから言ってみ?」

「あ……その、怒りません?」

「怒らねぇよ」

「な、なんだか……そのぅ……すごく普通な感じがしました」

 だろうな。

 むしろ普通でよかった。見る人から見ればバカにしか見えねぇもん俺達。特に俺とセシウ。

 俺達二人は昔、芸人みたいだ、という感想を言われたこともあったし。

「だろ? 普通だよ、普通。俺もこいつも、あとクロームもプラナも全然普通だよ。この村に住んでる奴と大して変わりゃしねぇ」

 俺達四人とも生い立ち自体は別に特別なこともないしな。ただちょっとした偶然で俺達四人は選ばれた。まあ、クロームに関しては素質もあったんだろうけど、それでも元は普通の人間だったし、今も根は普通の人間である。

「そ、そうなんですね……なんだか、意外でした……」

「なんだ? 日夜世界を救うことばっかり考えてると思ったか?」

「は……はい」

 肯定されちゃったよ。

 まあ、そういう印象を持たれてもしょうがないっちゃしょうがないよな。俺達っていうかクロームの名は世界中に知れ渡っているけど、俺達が実際にどういう人間なのかってのは知らない人がほとんどだし。

 勝手なイメージもつくわな、そりゃ。

「理想を壊すみたいだけどよ、俺達って普段はバカばっかやってるぜ? 娯楽もするし、雑談もするし、冗談だって言う。あっちこっち旅してるから、観光名所とか巡ったりもするしな」

「そ、そうなんですか?」

「うん、そんなもんだよ」

 俺の代わりにセシウが笑顔で答える。こいつもイメージをよくしたいと思ったりするんだろうか。

 悪く思われていい気はしないもんな。

「特にこのガンマなんて超バカなんだよ? いつもくだらないことしか考えてないし、どうでもいいくだらない悪戯とかやってるし、その辺の人達よりバカかも」

「え……?」

 驚いた顔で俺を見てくる看板娘。

 やばい、これ絶対本当だと思われている。否定したいけど、実際そんなようなことしてるから否定できない。しかもさっきなんて体くねくねさせちゃったし、俺。

 これは否定しても説得力ない。

 はい、今、私自分の軽率な行いをとても後悔している。

 視線から逃れるようにズレてもいない眼鏡を押し上げ、俺は咳払いを一つする。

「と、とにかくだな、みんな普通なんだよ、お前らと同じ。特に変わってることなんかないんだから、普通の人に接するように接してくれよ」

「お前はバカだけどな」

「黙れ」

 このゴリムス、本当にヤダ。一つ叱ってやりたいところだけど腕力で勝てないので諦めるしかない。貧弱な自分が憎い。

「クローム様も普通なのですか? とても実直で真面目で、使命感が強いお人で……その……」

「冗談が通じなそう?」

「……ま、まあ、はい……」

 セシウの予想に看板娘は頷く。そんなイメージ抱かれてもおかしくないか、あいつの場合。いつも仏頂面だし、寡黙だし。

「あいつも冗談言うぜ、結構?」

「そ、そうなんですか? あんなに真面目そうなのに……」

「まあ、真面目だけどな実際。あれは生まれ持っての性格みたいなもんだし。勇者とか別に関係ねぇよ。な? セシウ?」

 腰に両手を当てたセシウは真顔でうんと頷く。

「うん、なんか勇者じゃなかったら、七三分けで憲兵とかやってそうな感じ」

「それは想像すると面白すぎる」

 吹き出しそうになった。

 いくらなんでも反則すぎるだろそれは。似合いすぎる点で。

 ていうかセシウもクロームにはそういうイメージ持ってたんだな。

「ま、クロームも融通効かないところは多少あるけど、偏屈ってわけじゃねぇよ。冗談言えば通じるし、簡単に怒ったりはしない。勇者らしい寛大な奴だよ」

「そうなんですね、やっぱりなんだか驚きです」

 心底意外そうに看板娘は俺達の話を聞いている。

「なんだかんだ、癖はあるけど普通だよ、やっぱ。だからあんまり緊張せず、普段お客さんに接するように接してくれれば大丈夫だよ。誰も咎めやしねぇ」

「は、はい!」

 俺達は別に冷徹でも残酷でも、勇者の地位を鼻にかけているわけでもなく、この世界を救う使命を与えられたから勇者一行として旅しているだけで、人間らしさは一切捨てていない。

 少なくとも俺はそうだ。付き合いの長いセシウもそうだということは分かる。

 プラナやクロームまでは断言できないけど、みんなある程度自然体に生きているだろう。

 なので、そこにいるだけで周囲にプレッシャーを与えているというのはあまり望ましくない。

 なんなら「よう、勇者」とか「おっす、勇者の仲間、今日飲みに来ないか?」とかぐらいがちょうどいい。

 そのぐらい普通なのである。

 主題は違うとはいえ、旅をしているんなら人付き合いってのは大事にしたいしな。

「さて、俺達も部屋に引っ込んで少し休むわ。お前も仕事頑張れよ、寝てた分な」

「はい、頑張ります。ガンマ様とセシウ様も頑張って下さいね」

 看板娘はにっこりと屈託のない笑顔を俺達に向ける。それはようやくこの子が見せてくれた素直な表情だった。

「その様ってのもいらなくね? なんか仰々しすぎるわ」

「あー確かに。私達様付けで呼ばれるような人間じゃないもんね」

 本来なら呼び捨てにされてもいいところなのだ。俺もセシウもあまり持て囃されるのは好きじゃないので、こう尻がむず痒くなる。

「え……じゃあ、ガンマさんと、セシウさん?」

「んー……」

 まあ、さっきまで緊張してたんだし、さん付けでも十分進歩してるのかもな……。

 この際俺達も譲歩せんといかんか。

「まあ、よしとしよう。では俺達勇者の仲間二名は世界を救うことを考えなければならないので、これにて失敬させてもらおう」

 自分の声の中では最上級のイケメンっぽい美声でそんなくだらない冗句を言って、俺は廊下の方へと歩き出す。酒場とかで女を口説く時に使う声色である。マジどんな女もイチコロ! だったらよかったのに……。

 残念ながらそれでもクロームの美声には勝てないのである。あいつは何から何まで完璧超人だ。

「はい、頑張って下さいね、ガンマさん、セシウさん」

 笑顔で手を振ってくれる看板娘に軽く手を振り返して、俺は廊下を進む。傍らを歩くセシウはなんだかにやにやしている。

「ねぇねぇ? 今の格好つけたつもり? 何? 今のちょっと低い感じの色気ありますよ、的な声色? それ格好いいと思ったの? 思っちゃったの? 思っちゃったんでしょ? ねぇ、今どんな気分? 年下の女の子に合わせてもらった気持ちは? 聞かせて下さいよ、ガンマさん」

 小声で俺に精神攻撃を仕掛けてくるセシウはこの際黙殺するとしよう。

 セシウとプラナと看板娘を足して、さらにそこへクロームを足して、花冠をくれた少女も足し、これを二で割って、二をかけ、もう一度おまけに看板娘を足して、そもそもこいついらねぇじゃんとクロームを引き、さすがに多かったかなと看板娘を引いて、全体的に好むべき要素のないセシウを引いて、花冠をくれた少女を引いて、看板娘を足し、二で割ったら理想的なんだけどなぁ。

 いやはや、実に惜しい。

 何か文章的に遠回りをした気がするけど、気にすることはない。

 実に簡単な頭の体操である。

 注文が多いようで、俺の理想は実に分かりやすい。