1Cr Drudgery―白黒徒花―

03.Hopes Similar to Cm―希望は美女に似ている―Verse 3

 三号室――俺とクロームが泊まる部屋の窓辺から、なんとなく空を見上げていた。窓を開け放ち、身を乗り出して朝焼けの空を見つめる。

 空が金色に輝き、つい見入ってしまっていた。頬を撫ぜる朝の風は冷たく、髪を弄ばれるのが心地よい。

 昨日から着たままであるシャツの襟がぱたぱたとはためく。

 口にパイポを咥え、柑橘系の僅かな酸味を味わいながら、ただ呆と空を眺めていた。

 朝焼けに輝く空。空の端は夜を混ぜ合わせた群青。森の向こうに見える山の稜線は燃えており、その先には青い空が広がっているのだろう。

 綺麗だな、と素直に思った。

 大自然の日の出はいつ見ても魅せられてしまう。

 鰯雲が広がり、泳ぐように、流れるようにゆったりと空を渡っていく。

 穏やかに始まる朝のひととき。

 喧噪はなく、多くは寝静まったまま。

 朝独特の透き通った、水気の多い匂いを吸い込む。

 なんて、静かな朝なんだろう。

 宿屋の入り口の方からぱたぱたと忙しない足音が聞こえてきた。

 足音の軽さから看板娘か。いつもこんな時間に起きてるんだな、あいつ。

 俺には到底無理である。

 今、こうして起きていられるのは飲み明かしたのが原因だし。

 久々に徹夜で呑んでしまった。

 キュリーが次々とグラスに注いできやがるもんだからついつい呑みすぎてしまった。あいつ、瓶が開いても次々新しいの出してくんだもん。マジすげぇ。

 その上、キュリーとは案外、共通の話題が多かった。そのほとんどは小説に関する話題だったけど。

 俺も結構読むタイプであるが、キュリーはこの世にあるほとんどの本を読んでいるのではなかろうか、というほどに多くの本を知っていた。

 俺が知ってる小説の題名を挙げれば、すらすらと感想を述べてきやがる。

 そりゃ話してるこっちも悪い気はしないわけで、余計に酒が進んでしまった。

「あー、頭痛ぇ……」

 かれこれ一時間くらい、こうやって佇んでいるが、未だに酩酊状態を脱しきれていない。

 パイポの味も薄まった。すでに三本目だ。

 背後からうるさいくらいの秒針の音。クロームの寝息は静かすぎて、時計の音ばかり耳についた。

 キュリーはおそらく宿屋をすでに出ているだろう。今頃は、またどこかに身を隠しているはずだ。

 森に放った自分の式神の世話もあるらしい。甲斐甲斐しいことだ。

 それにしても――

「どうすっかなぁ……」

 ぼりぼりと頭をかき、机の抽斗へと目をやった。その中には八枚の丸められた犢皮紙(ヴェラム)が入っている。

 この村に仕掛けられている魔導陣の全貌が、そこには描かれている。キュリー曰く、かなり詳細な譜面らしい。俺も一度、広げて見たが、さっぱり意味が分からなかった。

 そもそも魔術に使われる古代言語の解読から、俺には無理だ。それもあの膨大な情報量。俺の頭じゃ処理しきれん。

 情報の規模は違えど、あんなものを戦闘中に構築できるプラナの頭の構造が俺には分からない。

 魔術師ってのはホント、常人の理解を超えている。

 一応、キュリーから受け取ったものの、これをどうやってクローム達に渡せばいいんだ?

 この譜面の入手先を聞かれた時、どう答えればいい?

《魔族(アクチノイド)》からもらったなんて言えるわけがない。そんなことを言ったら、あいつらが罠と疑うことは確実だ。

 俺だって、本当にこれが正しい譜面なのかどうか分からない。キュリーが言ったことの全てが真実だという保証もないのだ。

 何せ相手は《魔族(アクチノイド)》――全てが演技だったという可能性も拭いきれない。

 それでも、今現在、俺達が縋れる糸口がそれしかないのも事実だ。

 ……一体どうしろってんだよ……。

 二人で話し合いはしたものの、キュリーは《魔族(アクチノイド)》という立場を考慮してアドバイザーのような立ち位置だった。最終的に考えるのは俺しかいないんだ。

 答えを出さなければならない。

 この村の存亡に関わる答えを、俺一人で?

 俺にはそんな権利も、力も、資格もないことは十分理解している。それでも結論を出さなければならない。

 全く……こういうものを背負うのはクロームの役目だろうが。なんで俺が、こんな重大な問題を独りで考えなければならない?

 冗談であってほしかったもんだぜ、マジで。

 俺に、そんなものを決める権利はないし、覚悟もないんだよ……。

 クッソ……。

 どれだけ思考を巡らせても、そんな簡単に答えが出るはずもなく、俺は凝り固まった思考をリセットしようと自室を後にすることにした。

 寝ているクロームの脇をこっそりと抜け、部屋のドアに手をかけて開け放つ。

「あら? ガンマさん、今日は早いんですね」

 脇から聞こえた声に目を向けると、看板娘が廊下を渡ってくるところだった。

「よう、お前こそ、早いんだな」

「いろいろ仕事がありますからね。クローム様方にはしっかり休んで頂きたいですから」

 朝っぱらから看板娘の笑顔に屈託はない。おそらくもう早起きなんて慣れてしまっているんだろう。

 その爽やかな笑顔に、俺は思わず癒されてしまう。

 こんな眩しい微笑みができる少女が真っ直ぐに育っている。この村は、そういう点でも良い場所なんだろう。

 やっぱり、この村をなくしちまうわけにはいかねぇよな。

 そんなことを考え込んでいると、俺の顔を見上げていた看板娘が俺との距離を縮めてくる。

「というよりガンマさん? なんだか……とても、酷い顔をなさっておりますよ? 大丈夫ですか?」

 背伸びをしながらまじまじと俺の顔を見つめる看板娘。飾り気のない愛らしい顔立ちが目前に迫り、俺はトギマギしてしまう……。

 純粋な瞳は、苦手だ。

 答えに窮する俺に、看板娘ははっと口を覆った。

「も、もしかして枕が合いませんでしたか!? 羽毛の方がよかったのでしょうか!?」

「いや、違ぇよ」

 反射的にツッコミを入れてしまう。

「い、いえ! 枕は大事ですよ! 私も枕が変わると全然寝れないタイプなんですよ! この前なんてお父さんが勝手に枕を買い換えちゃって、私全然眠れなかったんですから!」

「お、おう……そ、そりゃ大変だったな」

 この娘を溺愛している親父さんのことだ。きっと親父さんも娘に怒られ、枕を濡らしていたことだろう。

 仲いいんだか、悪いんだか。

 なんとも気の抜けた返事をする俺に、看板娘はさらにぐいっと顔を近づけてくる。そんな近付くと、キスでもしてしまおうかな、とか思ってしまうのでとても止めて頂きたい。

「ホントですよ! 枕は大切なんですよ! 自分の枕は生きる上で欠かすことのできないものです! ら……ら……らいんら、いふ、です!」

「多分それライフラインな」

「そう、それです!」

 どっちにせよ誤用だということは言うべきなんだろうか、言わざるべきなんだろうか。

 可愛いから、このままでいいや。

 そんな人として何かを確実に踏み外してる結論に落ち着く。

 看板娘は、やっぱりこのままが一番だよな。そんなことを思いながら、一号室の扉を開ける看板娘の後ろ姿をじっと見つめる。

 エプロンをつけた細い背中。蝶結びが動く度に羽ばたいている。

 扉の隙間から部屋の中を覗き、看板娘は肩を落とす。昨日はさんざん俺とキュリーが好き勝手やっていたので、惨憺たる有様なんだろうな、部屋の中。

「うわー」

「どうした? 殺人事件でも起きてたか?」

 白々しく問いかけてみる。何があったかなんて分かりきっているけど。

「また誰か勝手に部屋を使ったみたいなんですよぅ……。ガンマさん? 昨日の夜、誰かこの部屋にいませんでしたか?」

 しゅんと俯き、深く肩を落とす看板娘。そんな問いかけをされても、俺がその当人だからなぁ……。何と答えていいものなのか。

 こういう時、選択肢とか誰かが提示してくれれば助かるのに……。

「俺も昨日は帰ってすぐに寝ちまったからな。酒も入ってたし……」

 出たのはそんな嘘であった。こういう言葉をすらすらと本当のことのように言える自分の口には常に感謝している。

 嘘に躊躇いもないってのも人間性という面では大問題なもんだけど。

「ですよねぇ……。はぁ……また片付けしないと……シーツもぐしゃぐしゃぁ……」

 がっくりと項垂れる看板娘。

 正直言うと悪いことしたなと思っている。今すぐキュリーを突き出してやるべきだろうか? どうせあいつなら捕まらないだろうし。

 キュリーなら、例え看板娘が追ってきても危害を加えるようなことはないはずだ――って、なんで敵にそんな信頼寄せてんだよ、俺。

 どうにもあいつとの距離感は掴めないな。

「昨日もこの部屋でなんかしてたみたいだけど、そんなに頻繁に無断宿泊されてんのか?」

「んー、このところ毎日なんですよ……」

「セキュリティ甘いんじゃねぇか? 戸締まりは?」

「いっつもちゃんとやってますよ? 寝る前に私が確認しますし」

 だろうな、うん。

 でも悲しいことに相手は境界線なんてもんを何とも思っていない魔術師なんだよ、裸族だし。

 戸締まり程度で勝てるわけがない。

「はぁ……一体誰なのかしら。お金がないなら、後から払ってくれればいいだけなのに……」

 何気なく言った看板娘の言葉に俺は唖然とした。

 なんだ、この宿は。見ず知らずの一文無しがやってきても、快く迎え入れるつもりなのかよ。

 後で払うって……ぜってぇそいつ払いに来ねぇよ。

 本当にお人好しばかりだ、この村は。

 だからこそ、放っておけないんだけどさ。そんな風に穏やかで優しい村だからこそ、俺達は何としてもこの場所を守らなければならない。

 クロームと衝突はしたが、俺だって心根ではこの村を救いたいと思っている。それは変わらない。

「なあ?」

「ん? なんです、ガンマさん?」

 俺の呼びかけに振り返った看板娘はにっこりと微笑む。柔らかく温かい笑顔――この笑顔を傷つけるわけにはいかないだろう。

「お前さ、この村好きか?」

「ほえ?」

 俺の突拍子もない質問に、看板娘は可愛らしい声を上げる。そりゃ突然、こんなこと聞かれたら呆けるわな。

 こっちの反応の方が正しいか。

「突然どうしたんですか? ガンマさん」

「いや、なんとなく、な。お前はこの村をどう思ってるのかなって」

 曖昧な苦笑まじりに言うと、看板娘はんーと唇に指を当てて、少し考え込む。

 水仕事も多いからだろう。手は肌荒れが酷い。それを隠すような素振りも見せない看板娘の素直さが、また俺を何かに駆り立てる。

 この感情はなんなんだろうか。

「そうですねぇ。不便なところも多いし、狭い村ですけど――私はこの村が大好きですよ。だって、ここにはみんながいますから」

 にっこりと満面の笑みを浮かべて、はっきりと答える看板娘。

 みんな――村人たちがいるこの村を、何の躊躇いもなく好きといえる。それはどれほど素晴らしいことなのか。その笑顔はあまりにも眩しくて、自分自身と比較するとなんだか俺という生き物が酷く醜いものに思えてしまいそうだ。

 実際、それは真実なわけだけど。

「ガンマさんは、この村が好きではありませんか?」

 俺があんな問いをしたせいだろうか。看板娘はおずおずと俺に問いかけてくる。

 俺達が村をどう思っているのか、不安になってしまったのかもしれない。

 俺はできるだけ人当たりのいい笑みを心がけて、自然な動作で唇を開いた。

「俺達も、この村のことは好きだよ。また、ここに来たいとも思っている」

 挙動に嘘はあれ、言葉に嘘はなかった。それは俺の本心であって、またクローム達も同じ事を思っているはずだ。

 俺の言葉に、看板娘はより一層明るい笑顔を俺に見せた。

「本当ですか! なら勇者様達がまたここに来た時も心置きなく休めるように、私達も頑張らなければいけませんね」

 声を弾ませ、ガッツポーズまでしてみせる看板娘。

 看板娘自身、俺達が村を気に入っていることを知って嬉しいようだ。

「勇者様達ならいつでも大歓迎ですよ。また、この宿をお使いください」

「クロームは、勇者だもんな」

「いえ――そうじゃありません」

 俺の冗談半分自嘲半分といった言葉を、看板娘は素早く否定する。思いの外、強い言葉だった。看板娘の、そんな強い声音は初めて聞いたかもしれない。

 弾かれるように看板娘の方に顔を向けると、胸の前に手を当て、至って真面目な顔で俺を見つめていた。

「勝手なことかもしれませんけど、私は勇者様、いえガンマさん達にまた会いたいんです。ガンマさん達とまた一緒にお話をしたいんです。今はまだ、ぎこちないですけど、今度この村に来て下さった時はもっとちゃんと話せるようになってるように頑張りますから、だから、その……また、この村に、宿に来て……できれば私とも、その、お話を……」

 最初の勢いこそよかったものの、看板娘は次第に気恥ずかしくなってきたのか、だんだんと言葉がか細くなり、最後には俯いて言葉も途切れ途切れになっていく。

 でも、言いたいことは伝わっていたし、その気持ちも嬉しかった。

 こいつは勇者一行としての俺達じゃなく、ただの人間としての俺達を気に入ってくれていたんだ。勇者だからとか、魔物を討伐してくれたとか、そんな理由じゃなくて俺達の人柄を気に入ってくれている。

 それはなんだかとても懐かしいもので、だからこそ嬉しかった。

 この村は、やっぱり本当に良い場所なんだな。

 俺は唇を綻ばせていた。今度こそ、偽りではなく本当に自然と零れた笑みだった。

「ありがとな」

 俯き、耳まで真っ赤にしている看板娘の柔らかい髪にぽんと手を置く。びくりと細い肩が微かに跳ねたが、逃げようとはしていなかった。

「今度はクロームに想いを告げられるといいな」

 今はさすがに無理そうだけどな。

「なっ……ちょ! ……な、ななな、なん……!」

 顔を振り上げ、魚のように口をぱくぱくさせる看板娘に俺は意地悪く笑い身を翻す。

「じゃ、俺ぁやることもあるし部屋に戻るわ、片付け頑張れよー」

「ちょ……ガンマさん! ガンマさん! それどういうことですかぁ! わ、私別に……!」

「がーんばーれよー」

 適当なメロディーをつけて再度応援し、俺は何食わぬ顔で部屋へと戻る。後ろでまだ看板娘が何か言ってるけど、上擦った声はほとんどまともに言葉を紡いでいないので、そのまま放置しておくことにした。

 俺はそのまま自分の部屋へと入り、後ろ手で扉を閉めてやる。

 看板娘の悲鳴にも似た声がおかしくて、おかしくて、なんだか気分が軽くなった気さえしていた。