1Cr Drudgery―白黒徒花―

03.Hopes Similar to Cm―希望は美女に似ている―Verse 4

 看板娘を苛めて、少しばかり心の中の靄を晴らした俺は、幾分か清々しい気持ちで部屋へと入った。すると、先程まで俺がいた窓際にクロームが立っていた。すでに着替えを終え、髪も後ろで纏めている。

 いつもこいつはこうだ。

 寝起きの寝ぼけた顔など、三ヶ月一緒に旅をしていながら一度も見たことがない。

 こいつはいつも、俺達の前に立つ時には完全な状態で、乱れなど一度も見せていない。

 朝陽に翳る横顔。銀色の髪は光を受け、眩しいほどに輝いている。まるで金属のような光沢。

 刃物のような双眸は、手元の剣に落とされていた。鯉口が緩められ、外気に晒された刀身が眩く輝く。

 それはまるで白と銀のみで構成された絵画。

 クロームはじっと剣を見つめ、何か思案に耽っているようだった。

 その静謐を乱すことは憚れ、俺は扉の前でしばし立ち尽くしていた。

「今日は随分と早いんだな」

 ふと、クロームが呟く。それが俺に向けられた言葉だと気付くまでに数秒を要した。

「ん? ああ、昨日早かったからな」

「昨日は夜、どこかに行っていたのではなかったのか?」

「…………」

 剣をしまいながらクロームに指摘され、俺は絶句してしまう。

 ぐ……気付かれていたとは……。こいつは本当に隙がねぇな。部屋割りを検討し直す必要も出てきた。

 全く、厄介極まりない。

「少し……考え事があってよ。場所を変えてたんだ。煙草もここじゃ吸えねぇしな」

「ふむ、考え事、か。何も考えていないようにしか見えないが?」

「うっせ。魔導陣の件だよ。放っておくわけにはいかねぇ」

 俺の返答にクロームは僅かに目を瞠る。

「お前が真剣に考えていたとは……少しばかり意外だな」

 失礼なことを……。

「俺だってこの村は何とかしてぇんだよ。考えることしかできねぇなら考えるしかねぇ」

「なるほどな。しかし、どうするつもりだ? 今下手に魔導陣に手を出しても、ベラクレート卿の私兵という邪魔が入る。危害を加えるわけにもいかない。そしてベラクレート卿はおそらく何を言っても聞かんだろう。下手な動きはできない」

 全く、仰る通りである。

 その上、実際は本日午後七時までがタイムリミット。いざ大きな行動を起こせば、私兵よりも術者による始動式詠唱が完了するまでのおよそ三十分というタイムリミットの方がずっと問題になる。

 行動が表面化し、術者に気付かれれば三十分の猶予しかない。その三十分の間に私兵をやり過ごしながら、村の全ての魔導陣を破壊しなければならない。

 狭い村ではあるが、手分けして壊したとしても時間がかかりすぎる。

 速やかに魔導陣を破壊するには、やはりプラナへ構築式の譜面を渡すのが一番だ。

 それは分かりきったことだから、俺自身キュリーから構築式の譜面は受け取っている。これを巧いこと渡せれば言うことなしなんだが、そう容易なことではない。

「完全に手詰まり、か?」

 大した言葉も返さずに考え込んでしまう俺に、クロームは問いを投げてくる。

「どうにも……抜け道がないもんか、考えてるんだけどな」

「お前でも……難しい、か」

「正直言えば、な。お前達の力なら壊すことだけ言えば難しくはない。ただ、ベラクレート卿の存在がどうにも面倒なファクターだ。あの豚が何を企んでいるのかも分からない今、下手に動くと厄介だと言える」

 そう、あの魔導陣を村に仕掛けた張本人は間違いなく《魔族(アクチノイド)》だ。それはキュリーの情報からして明らかだ。

 敵の情報を信用するなんてのは愚の骨頂かもしれないが、今現在頼れるのはキュリーの情報だけ。その情報を除外してしまうと、俺達は本当に動きようがない。

 ダメ元で信じる価値はある。

 あー、くそ、違う。本音を言っちまえば、俺はあいつを疑うことがどうしてもできないだけだ。

 あいつの情報を信用するなら、間違いなくベラクレート卿は《魔族(アクチノイド)》と繋がりがある。それが本当に何かを共謀しているのか《魔族(アクチノイド)》に騙されているだけなのか、が分からない。《魔族(アクチノイド)》と共謀しているのはトリエラだけで、ベラクレート卿は何も知らない可能性だってあるし、トリエラ自身が騙されている可能性も否定できない。

 ……要するに何も分からないわけだ。クソッタレ。

「ベラクレート卿を、殺してしまおうか?」

「は?」

 ふと聞こえた言葉に俺は思わずクロームを凝視する。

 今、こいつは、何を、言った?

「ベラクレート卿を殺してしまえば、全て解決なのだろう?」

 クロームはいつもの仏頂面で淡々とそんなことを言う。

 確かにベラクレート卿がいなくなれば、条件は一気にクリアされる。屋敷で手に入れたと偽って、構築式の譜面をプラナに渡すこともできるだろう。

 仲間を騙そうとしている時点で、俺の人としての底を自覚せざるを得ないが、まあ、今は気にしないでおこう。

 それは実はすごく楽な方法かもしれない。

「確かにそれは……一番楽な解決策だけどよ」

 なんせ敵がいなくなれば、それは勝利以外の何者でもないんだから。

 勝つための条件は勝利条件を満たすことか、敵対者を戦場から引き摺り下ろすことである。

 ちなみに負けないための条件は勝利条件を相手が満たせないようにすることか、そもそも戦わないことである。

「なら、それでいいではないか」

「……お前から、そんな台詞が聞けるとは、な」

「お前は、俺がこんなことを言っても否定しないのだな、やはりと言うべきか」

 両手を広げて肩を竦めてみせるクローム。こいつにしては大袈裟な挙動だった。

 そこで何となく悟る。今のは冗談じみたものだったのだな、と。

 ……あー、クッソ。ハメられた。

 こいつの提案に乗っかろうとしていた自分に腹が立つね。

「人を殺す解決策など楽に決まっているだろう。殺せばいいのだから。人を殺すということは、それが可能である者にとっては、一番楽な選択肢だ。後腐れもない上に、力の限り殺そうとすればいいだけ。他愛もない」

 確かにそうだ。

 一般人からすりゃ殺人なんてのは重労働であって、社会的に考えれば誰だって避けて通るべき道だ。

 しかし俺達はどうだ? 仮にも勇者一行。人を一人殺すぐらい実は造作もないことである。その上、世界を救う使命という大義名分がある時点で、逆らう者を殺すだけの理由もある。

 考えるまでもない。俺達は世界に殺人を許容されている。

 なんて恐ろしい集団なんだろうか、俺達は。

 俺達が世界を救うためだと言えば、人を殺すことさえ赦されてしまう。《魔族(アクチノイド)》がいい例だろう。あいつらだって生きている、人間と呼んでいいのかどうかは定かでないが、外見も中身も人間とそう変わらない。

 そんな奴らを殺して、俺達は感謝されてしまう。俺達が勇者一行で、向こうが《魔族(アクチノイド)》だから、というだけの理由で殺人は正義に化ける。

 英雄の活躍を綴った叙事詩はいつだって殺人に埋め尽くされ、人々は悪が死ぬことばかりを願う。

 勇者とは結局、殺人者だ。

 ただ、選んで殺しただけの殺人者。

 俺達と《魔族(アクチノイド)》は、実際そう変わらない存在なのかもしれない。

「楽な方法だ。なんとも容易に万事が解決する。それを行えるだけの実力も、理由も、俺達には存在する。それでも、そこに逃げるわけにはいかない」

「なんでだ? テメェは勇者だ。正義のための殺人は常に許容される。何を拒む理由が――」

「――勇者だからだ」

 答えは至ってシンプル。飾り気一つない。

 勇者は殺人を許容された存在。大義名分の下に殺しは正当化されてしまう。その勇者だからこそ、容易に人を殺してはいけない、とクロームは言う。

 矛盾さえしているように思える論理じゃないか。

「人を殺すことを容認されてしまうからこそ、人を殺す権利を与えられているからこそ、俺達はその権利を考えて行使しなければならない。権利があるからといって簡単に人を殺していいわけではない。権利があるからこそ俺達はできる限り、殺さずに解決する方法を模索するべきだ。それが本当の勇者というものだろう」

「それは《魔族(アクチノイド)》に対しても、か?」

 クロームは静かに顎を引く。

 一瞬の躊躇さえ俺は見出せなかった。

「その意識は《魔族(アクチノイド)》に対してもある。もちろんできる限り殺さずに解決するべき問題だ。しかし――あいつらのこれまでの所業を鑑みると許せないのもまた事実。この事件の犯人もまた《魔族(アクチノイド)》であるというのなら、俺はきっとそいつを許すことができないだろう」

 痛みを堪えるような顔で、クロームは自分の拳を見下ろした。握りしめられた拳は、一体何を掴み取っているのだろう。

 何にせよ、俺もクロームの意見には賛同する。なんたって相手は、幾星霜もの時代、人類を、世界を死滅させようとしてきた連中だ。死という罰だけではまだ生温いほどの罪を重ねてきている。

 のうのうと生き延びさせるわけにはいかない。

 ――だが、キュリーはどうする?

 そんな問いが脳裡を掠める。今は関係ない。その問題は当面保留だ。

 今は《魔族(アクチノイド)》という集団全体に対しての認識のみで対話するべきだろう。キュリー個人に対しての認識はその一切を排除しよう。

「お前の言いたいことはよく分かる。むしろ俺からすりゃ《魔族(アクチノイド)》を見逃すことの方がよっぽど間違っているとさえ思うね。世の中には世論ってもんがあるわけだし。民衆は《魔族(アクチノイド)》への報復を望んでいる。奴らには苦しみ息絶えてほしいと思っている」

 当たり前だ。奴らのせいでどれだけの人間が死んだ?

 数え切れないほどの人が死に、数え切れないほどの国が滅んだ。

 人々の願いは何も間違っちゃいない。それだけのことをしてきたのだから。

「そう、だろうな」

 眉間の皺を深め、絞り出すようにクロームは肯定する。

 一体、こいつは今何を思ってんだろうな。俺には分からん。高尚な勇者様の思想なんてのはな。

「その民衆の望みに反する行動をするってのは勇者じゃねぇだろ、どう考えたって。人々が望みながら、できないことをやってのけるのが勇者だろ。人が望まないことをやったら、そりゃ勇者じゃねぇよ」

 勇者というのはある意味世論の権化のようなものなんだろう。なんたって人々の望むことをやり遂げ、賞賛されるのが勇者なんだから。

 不可能とされたことができるだけじゃ勇者とは言えない。

 軍が国家の走狗だとするならば、勇者とは民衆の走狗なのかもしれない。

 だからこそ、勇者は民衆にとって、いつまでも尊敬される存在であり続ける。

「そうやって人の望みを叶えることは簡単だな」

「いや、簡単じゃあねぇよ」

 買い出し行く感覚で魔王を打倒されちゃ堪ったもんじゃねぇ、魔王が。

 こいつはスペックが段違いだから、簡単に思えちまうのかね。才能ってのは恐ろしい。

「しかし、そうまでして人の望みを叶えて、結局何が遺せるんだろうな。俺達が人々の望みを叶えるほど、人々は勇者という概念に依存していく。誰もが自らで何かを成すことを忘れ、活力を失い、ただ他者がそれを遂行してくれることばかりを欲しがるようになってしまっているのでは、と思う瞬間さえある」

「…………」

 咄嗟に何か言い返そうと思ったが、俺は否定の言葉を見つけられなかった。

 それは俺も今まで感じてきていたことなのだから。

 人々は勇者が自分達では太刀打ちできない困難を代わりに突破してくれることばかりを願い、自分達で何かを変えようとはしていない。

 一致団結して困難に立ち向かうことをせず、ただ夢物語のように誰かが颯爽と駆けつけて助けてくれることばかりをねだり続けている。

 それは、堪え忍んだ先に光が射すのを待つという一種の戦略的なものではなく、ただ待っていればいつか誰かが助けに来てくれるはずだという希望的観測によるただの現実逃避でしかなくて。

 活力も、決意も、勇気もなく、待ち続けるだけ。

『耐える』のではなく、『待つ』だけ。

 それが人間のあるべき姿ではないことくらい、俺だって分かっている。

「俺達が――」

 クロームはゆっくりと言葉を紡ぐ。拳に注がれていた視線が、壁に立てかけられた剣へと向けられた。

「――俺達がしていることは、ただ人間を緩やかに壊死させているだけなのかもしれない」