1Cr Drudgery―白黒徒花―

03.Hopes Similar to Cm―希望は美女に似ている―Verse 5

「――俺達がしていることは、ただ人間を緩やかに壊死させているだけなのかもしれない」

 苦しげに吐き出された言葉を、やはり俺は否定できなかった。

 否定できるわけがない。

 ただ受け止めることしかできない。

 自分達が正しいと思っていた行為の、否事実正しかったはずの行為が導いてしまった結果を。

 皮肉なもんだ。

 人間を救い続けることで、人間が緩やかに死んでいくなんてのは、あまりにも滑稽だ。

「で、お前はだからどうすんだ?」

「ん?」

 クロームが眉を跳ね上げ、俺へと目をやる。

「だから、俺達のしてきたことが人間のためにならない、という可能性を踏まえて、お前はどうしたいんだよ? 勇者辞める? 稼業にするか?」

 個人的に稼業としてもらえると、かなり嬉しい。そうすれば我ら勇者一行の財布も大分厚みが増すだろう。

 セシウの筋トレグッズ代とか、健啖家二名の食費とか、プラナの魔術に関する参考書代とか、クロームが剣の手入れに使っている椿油代とか、そういう諸々の経費に俺がいちいち頭を悩ます必要もないわけだ。

 だが、クロームはただ鼻で笑うだけ。

「別に。何も変わらんな」

「は?」

 クロームは尊大に腕を組み、壁に背中を預ける。

「何も変わらん。俺は勇者であって、それ以上でも以下でもないのだから」

「……はぁ、なるほど、ね」

 まあ、実際そうだけど、よ。

「俺達は俺達のできることをやるしかない。俺達は人々の望みを叶えることしかできない。なら、今はただこの村の人々を救うしかないだろう」

 確かにそうだけどよ。

 人々を変えるのは別の奴の仕事だ。俺達の役目は世界を救うことであって、人々の生き方に口出しする役目はない。そりゃ勇者としてなんかおかしい気もするわけだが、なんでもかんでも手を出していられるほど、勇者も全知全能ではないのである。

 時間という制限には誰も勝てやしない。

「おかしなことを言ってすまなかったな」

 ぽつりとクロームが呟く。

「あ、いや、そりゃ別に構わねぇけどよ」

 珍しくクロームから嫌味のない謝罪を受け取り、俺は少しばかり戸惑う。

 まあ、こいつだって人間だ。いろいろ考えることもあるし、たまには愚痴りたいこともあるんだろう。

 あまり見られない、クロームの人間らしい面だ。いつも人間味はあるんだけど、どうにもそれより勇者らしさが勝るんだよな。活劇の主役を演じる役者のように、完成されすぎてるっていうのかね。

「ただ、この村の人々は自分達の力で何かを成そうとしている。勇者という存在に頼ろうとせず、自力で困難に立ち向かう術を持っている。ならばこそ、このまま死なせるわけにはいかない」

 クロームは腰に剣を佩き、力強く言い放つ。その瞳にはもう思い詰めている様子はなく、いつものように真っ直ぐ前を見据えている。

 どうやら本調子に戻ったようだ。

 確かにここの村の人達はクロームに依存したりとかはしてない。むしろなるべく自力で解決しようとしてくれている。

 ――そうか。

 俺はようやく気付いた。

 看板娘は俺達四人を一個人として慕ってくれていた。

 それは、この村に住む多くの人達が同じだったんだ。

 みんな俺達が勇者一行である前に、一人の人間であるっていう当たり前の認識をごく当然、当たり前の前提として接してくれている。

 道理でこの村は居心地がいいわけだ。

 誰も勇者としての偶像を崇敬しているわけではなく、クロームという個人に感謝をしてくれていた。

 考えてみりゃそうだ。

 魔物を討伐して戻ってきてすぐ、みんなに感謝の言葉で迎えられた時、俺達に花の輪をプレゼントしてくれたことを思い出す。

 今まで立ち寄った場所ではどうだった?

 あんな年端もいかない少女が俺達に立ち寄ろうとしても、誰かが止めていた。高価なものでもなく、むしろお金が全くかかっていない花の輪なんて、渡すこともおこがましいと言われて遮られていただろう。

 この村ではそれがなかった。

 どうしてだ?

 簡単だ。クロームが神でも、その御使いでもないことを彼らは知っていた。

 村人達は、ずっと俺達を一人の人間として見てくれていたのだろう。

 おかしな話だが、こんなことは久しぶりだ。

 ずっと勇者一行という偶像でしか俺達は見られていなかった。

 そんなもののないこの村はそりゃ居心地もいいわけだ。ここでは俺達は俺達のまま過ごせるんだから。

 ホントすげぇよ、この村は。

 だからこそ見捨てるわけにはいかない。

「なあ、クローム?」

「なんだ? 珍しく真面目な顔だな」

「茶化すんじゃねぇよ」

 俺はいつだって大真面目だ。そりゃたまにふざけるけど。

「で? 一体なんだ? そんな深刻そうな顔をして」

「昨日のこと覚えているか?」

 俺の言葉にクロームは眉を顰める。

「昨日のこととはどれのことだ? プラナとベラクレート卿お抱えの魔術師の舌戦のことか?」

「あれは思い出すだけで背筋がぞっとするからやめろ」

 結構マジで。

 できれば今すぐにでも忘れてしまいたい。いや、忘れろ。さあ、忘れろ。忘却の檻に押し込んで、その檻をサーメイトで吹き飛ばせ。パーンしろ、パーン。

 はっきりとしない俺の態度にクロームは肩を竦ませ、ため息を吐き出す。

「じゃあ、なんだ? 魔導陣のことか? 酒場でのことか? 思い当たる節が多すぎる」

 ……確かに。昨日はいろいろイベントが盛りだくさんだったからな。そりゃはっきり言われなきゃ分かるはずもねぇか。

 俺は咳払いを一つして、クロームを真っ向から見る。

「昨日、魔導陣を破壊し終わった時、お前と少しばかり言い争ったよな?」

「少しではない、全然少しではない。本気でお前を殺してやろうとさえ思った」

 さいですか。勇者怖い。

 まあ、昨日セシウに言われて知ってたけど、本人から直接言われるとまたダメージがある。

 俺の悪運もなかなかのものである。

「あの時の話を蒸し返すな、結論は出たであろう」

「そういうことじゃねぇよ」

「では、どういうことだ?」

 俺は少し躊躇しながらも、ぐっと拳を握り締める。恐れを振り払って、口を開く。真っ向からクロームの刃のような視線と対峙する。

 あの時の話は俺だって蒸し返したくはない。今度はセシウとプラナもいない。下手に逆鱗に触れてしまったら、俺はもう本当に斬られるかもしれない。

 それでも、確認しなけりゃいけねぇことがある。

「俺はあの時、お前に訊いたよな? 民衆を救っているお前はなんなんだって。あの問いの答えを聞かせてほしい」

 クロームにその場の勢いで吐き出してしまった科白。今でも脳裡にしっかりと焼き付いている。

 ――じゃあよ、そんな小狡い人間を救ってるお前は一体何だってんだよ? 神か? 救世主か?

 正直、言い過ぎたな、とは思っている。反省もしている。

 あの時はお互い、頭に血が上っていた。もう後腐れはないんだが、自分の口の締まりの悪さにはほとほと呆れ果てるね。

 クロームはふむ、と呟き腕を組む。あの時の言葉はこいつ自身覚えていたのかもしれない。

 だから、さっき妙に愚痴っぽいことを言ったのかね?

「別に。何者であるつもりもない。俺はただ、俺の考えるままに生きていくだけだ」

 別に特別というわけでもなく、クロームは普段よりも幾分軽いとさえ思える口調でそう答えた。なんだそんなこと、と言いたげな顔だな。

 きっと、何かもっと根本的な答えを見つけようとして、結局それくらいしか答えられる言葉がなかった、といったような感じか。

 クロームにとって俺の問いは「どうして、青は青いのか」なんていう質問と同次元のものだったのかもしれない。

「別に勇者という称号ほしさに戦っているわけではない。俺はただ俺が思うままに、すべきだと思ったことをしているにすぎない。その在り方に人が勇者という偶像を重ねるのなら、俺は喜んで偶像になろう。それが民衆に必要なことだというのなら、なおさらだ」

 こいつは常にクロームであって、それは勇者という象徴に連結されているのだろう。

 自らを勇者という鋳型に流し込むわけではなく、ただ己のあるがままに生きた末に勇者として賞賛される。

 根源的なる勇者。

 ヒュドラが気に入る理由も頷ける。

 こいつは勇者としてあるためではなく、純粋にこの村の人々を救いたいのだろう。それは俺だって同じだ。この村の人々を見殺しにするわけにはいかない。

 そこまで分かりきっているんだ。悩んでいる場合じゃなかった。

 俺は一体、何を躊躇っていたのだろうか。

 こいつと同じように、俺もまた先のことは後回しにして、村を救うべきだった。

 馬鹿馬鹿しい話だ。結局、思考に没頭する振りをして、同じところをぐるぐると犬みてぇに回ってるだけだった。

 そんなことをしているなら、たった一つの可能性に賭けた方がずっと有意義じゃねぇか。

 俺の立場? それは人命よりも尊いものか?

 全然尊くないね。むしろクローム達は俺がいなくなったところで何一つ問題ないくらいだろう。

 ただ俺が、その後の生活に少し困るくらいでさ。

 そんなの大した問題じゃない。村人の命と天秤にかけるまでもない。例え、この後俺が旅から抜けたとしても、それ以上の価値があることだ。

 悩んでいた自分がバカらしい。

「何をにやけている? とても不快だ。今すぐアホ面に戻せ」

 いつも俺はアホ面なのかよ。

 そうやって常日頃とかぶすっとした顔で腕を組んでいるお前の方が問題あると俺は思うけど。

 俺はいつの間にか弛緩しきっていた顔を努めて引き締めようとするけど、どうにも表情筋が仕事をしていない。

 そんな自分の現状を悟られたくなく、俺は普段のふざけた調子を真似てしまう。

「うっせぇな、テメェが真面目な顔でクセェこと言うのがいけねぇんだ。今でも必死に笑いを堪えてるんだよ」

 自分の本音を貶されて、クロームはむっと顔を顰める。そりゃそうだ。真面目に訊かれたから、真面目に答えただけだというのに、それを訊ねた本人が笑ったら不快にもなるだろう。

「茶化すな。全く、珍しく真面目になったかと思えばすぐにそれか。お前には呆れ果てるばかりだ」

 ため息をついて、クロームは億劫そうに壁から背中を離す。俺と一緒にいるだけで疲れたのだろう。俺もお前と一緒にいるだけで疲れる。

 本気で部屋割り変えたい。

 クロームが一歩踏み出すと、板張りの床が軋んだ。もう床も大分老朽化してんだな。あの羽根のように軽いプラナが歩いても軋むくらいだし。

「出かけてくるぞ。お前には付き合いきれん」

「おいおい、どこ行くんだよ?」

「魔導陣を見てくる。何か解決の糸口があるかもしれない」

 足早に脇を抜けて扉へ向かうクロームを呼び止めると、立ち止まりもせずに突き放すような言い方で答えを返される。明らかに苛立ってんな。そりゃ俺が悪いもんな、どう考えても。

 とはいえ、このまま出て行かれては俺が困るわけだ。

「その必要はないぜ。対策ならある」

「は?」

 俺の台詞にクロームは立ち止まり、振り向く。後ろで纏められた銀色の髪が尻尾のように揺れる。眉を顰め、明らかに俺を訝しんでいた。目が明らかに俺を見下してやがる。ゴミでも見るような目だな、おい。

 俺ってばマジ信頼ない。

「これ以上貴様の戯れ言に付き合っていられるほど、俺は暇ではない。人の顔のような形をしてる木目にでも話しかけていろ。程度としてはちょうどいい」

「うっせぇな。剣に語りかけるような奴に言われたくねぇ」

「それの何が悪い?」

「…………」

 本当に話しかけてんのかよ。

 やだ、剣に語りかける時だけ饒舌だったらどうしよう。もしかして爽やかな笑顔とかしてたりして。怖い、クローム怖い。

 想像したらもっと怖い。

「貴様の話は尺の割りに内容が一切ない。まるでピーマンだな。味わった者が渋い顔をする辺り、よく似ている」

「いい例え、どうもありがとう。まあ、いいから聞けっつぅの。むしろ全員起こしてこい。マジで耳寄りの情報があんだからよ」

「ピーマンが玉葱に変わったところで何の意味もない。今度は同情の涙を流されるだけだ。あの森にいた魔物にお前を食わせておけばよかったな。勝手に死んだかもしれん」

 そうですね、ほとんどの動物は玉葱の硫黄化合物で中毒を起こして、赤血球が破壊されますものねぇ。クロームさんは本当にお上手ですねぇ。ムダに喋らないだけで、決して話術がないわけではないクロームは本当にムカつきますね。

 端的に言うと死ね。

 しかし、俺も引き下がるわけにはいかないのである。ため息を吐き出しながらも、クロームから視線は逸らさない。ここ最近、こいつと睨み合う機会が多いな。

 こいつの目は鋭いから、あまり直視したくはないんだが……。今はそうも言っていられない。

 拳を作って力を緩める動作を数度繰り返し、何とか自分を落ち着かせる。

「だから、俺の話を聞けっつぅの。嘘じゃねぇから。本気で有益な情報だから」

「お前は前振りがしっかりしたものほど、聞いてみるとくだらないことばかりだろう? 何を聞けと?」

 クロームの目が引き絞られる。うわ、怖ぇ。今すぐ視線を逸らしたい。

 それでも逸らすわけにはいかないんだよなぁ。ここで逸らすと、本当にクロームは俺との会話を打ち切って出て行きそうだし。

「なんでそんなに信頼ないわけよ……」

「貴様の常の態度が原因だろうに」

 呆れかえった口調で、クロームは肩を竦める。何を今更、とでも言いたげだ。

 まあ、確かに。日頃の俺の行いを鑑みれば、信用もなくなるわな。魔導陣の譜面に関して信用云々でも悩んでいたけど、それ以前から俺の信用は地中深く埋没していたわけか。

 悲しくなんてないんだからねっ。

「今回ばかりはマジな話なんだっつぅの。いいから、一回聞け。むしろセシウ達も呼ぶぞ。今すぐだ。俺達が今ぶち当たってる問題を全部解決できる。それどころか、村人全員を助けて、その上で村を守りきることが可能かもしれない計画があんだ」

「は? 昨日までの見解から随分遠く離れたものだ。お前の薄っぺらさには恐れ入る。それほど薄ければ翻ることも簡単だな」

 先程から、クロームの俺に対する罵声がどんどん酷いものになっている。

 ピーマンやら玉葱やら紙切れやら、俺ってば変幻自在。東洋の幻術を駆使する暗殺者ニンジャやらもびっくりだな。詳しく知らねぇけど。

「とはいえ、村人を救う手立て、か。それは本当か?」

「だからさっきから本当だっつってんだろ!」

 俺の常の言動が原因とはいえ、さすがにここまで信用がないと込み上げてくるモノがあるね。

 今後は日頃から注意を払う必要もあるかもしれない。

 クロームは細い顎に指をかけ、やがて俺の方へと身体を向ける。ようやく、真面目に取り合う気になったようだ。

「村人を救えるというのなら、聞く価値はあるか。もしそれが貴様のくだらないとんちも利かない冗談だった場合は、遠慮なく叩き斬らせてもらうぞ」

「どうぞ、ご勝手に。なんなら、逆立ちしたままタップダンス踊ってやってもいいね」

「ふん、お似合いだ」

 微かにクロームは苦笑する。どうやら俺の話をとりあえずは信じてくれたようだ。

 今はそれだけでもいい。

 あとは巧いこと嘘を織り交ぜて、魔導陣の譜面を託すことができさえすればいい。そうなれば、後はどうにでもなる。

「セシウとプラナも集めよう。貴様の話、聞かせてもらうぞ」

 クロームの静かながらも力強い声で最終的な決定を下す。その声の奥底にある熱量に、俺はこいつがどれだけ村人達を救いたいのかを理解する。

 純粋に、ただ純粋に、地位や名誉など関係なく、クロームは村人を救おうとしている。一人の人間として。

 こいつはこういうところがあるから、どうにも嫌いになれない。