1Cr Drudgery―白黒徒花―

03.Hopes Similar to Cm―希望は美女に似ている―Verse 6

 セシウとプラナは俺達にいきなり起こされたというのに、特に不平不満もなく素早く準備を終えて部屋に来てくれた。

 二人ともすでに普段着へ着替えている。プラナはいつも通りローブを着込みフードを目深に被っているし、セシウもタンクトップに色褪せてボロボロになっているスキニージーンズという出で立ちだ。というかプラナは寝ている時もナイトキャップを目深に被っていて、表情がよく分からなかった。何時如何なる時でも鉄壁の防御力だな。

 対してセシウは時間がなかったためか、髪だけはポニーテールにしておらず垂らしたままである。

 ポニーテールにしても膝に達することから分かるとおり、セシウの髪はやたら長い。普通にしてると踵にまで届いてしまう。

 普段髪を結い上げている時は男勝りな印象なのに、こうやって髪を下ろしていると女性らしさが際立ち、どうにも落ち着かないので苦手だ。

 プラナとセシウはベッドに腰を下ろし、俺は机の椅子に、そしてクロームはいつも通り壁に背中を預けて腕を組んでいる。

 毎度お決まりの所定位置である。

 突然の招集に対する不快感こそないものの、狭い室内には緊張感が充満し、居心地の悪い静謐が降り積もっていた。

「で? 話ってなんじゃらほい?」

 最初に口を開いたのはセシウだった。肩にかかった長い髪を流し、小首を傾げながら俺に話を促してくる。

 さて、上手いことこいつらを欺かなければならんな。人を騙すのは得意だ。なんとか頑張ろう。

 俺はおほんと咳払いを一つして、まず三人の顔を一通り見渡す。

 クロームは仏頂面のままだし、プラナは真面目な顔で俺を見つめているし、セシウはいつも通り間抜けな面だ。

「魔導陣を無効化する手立てが見つかった。できれば今日中に魔導陣を片付けたいと思っている」

 クロームは反応を示さない。明確な情報がないため、まだプラナも俺から視線を逸らさない。その続きが気になっているようだ。

 俺は腰掛けの上に肘を載せ、プラナの方へと視線を向ける。

「昨日の夜、魔導陣の譜面を手に入れた。というより、屋敷に侵入して盗んできた」

 俺の言葉に、クロームが鼻を鳴らす。

「どこに出かけたのかと思えば、盗人の真似事か。帰りが遅いわけだ」

「うるせぇな。単独で行った方がバレねぇし、あん時はお前ら三人とも酔い潰れてただろうが」

 もちろん全て嘘である。昨日の夜、俺はこの隣の部屋にいたし、そんなでっかい博打なんかせずに別嬪さんと酒を飲み交わしてただけである。それをそのまま言うほど、俺も純粋ではない。

「それで大丈夫だったの? 見つかったりしてないの?」

 少し心配そうにセシウが俺へと問いかけてくる。

 め、珍しいこともあるもんだ。俺が心配をされるなんて。頭の具合に関しては頻繁に心配されてるけどさ。

「大丈夫だよ。何にも問題ねぇ。なんなら伝説として語り継がれてもいいほどの大立ち回りだったぜ?」

 俺の虚言癖もここまで来ると才能だなぁとか我ながら思う。普段からバカなことばっか言ってるお陰で、こんなこと言っても全然問題ない。

「単に貴様が狡賢く、こそこそとすることが性に合っている小物というだけだ。逃げ足だけは一丁前だからな」

「うっせぇな。その小物のお陰で譜面が手に入ったんだぜ? 堂々としてるだけが勇姿じゃねぇのよ」

 はんと笑って、俺は両手を大仰に広げてみせる。顔には勝ち誇った表情を貼り付けておこう。

 俺の阿呆らしさにクロームは付き合いきれなくなったのか、また目を閉じて黙り込んだ。

「あんま無茶しないでよ? ガンマ。せめて私とかクロームがいれば、もしもの時でも大丈夫なんだから」

「複数人で動いたら見つかりやすくなるだろうが。潜入とは常に孤高なる戦いなのだよ、セシウくん」

「孤高と孤独は違うぞ」

「うっせ!」

 脇から挟まれたクロームの言葉に俺も咄嗟に言い返すが、クロームは別に気にした様子もなく瞑目したままである。

「それで、魔導陣の譜面は確実なものなのでしょうか? それが偽りの譜面である可能性も……」

 焦れったくなったのか、プラナが続きをせがんでくる。ふむ、まあ、あのムカつく魔術師を出し抜けるのかもしれないんだから、プラナだって必死になるわな。

「俺は魔導陣の譜面っていうのが読めないからな、その辺も含めてプラナに見て欲しいんだよ」

 言って、俺は抽斗から丸められた犢皮紙(ヴェラム)を取り出し、プラナへと放物線を描くように投じた。

 八枚重ねて丸められた犢皮紙(ヴェラム)は綺麗な弧を刻み、プラナの胸元へと落ちていく。ローブの端から零れた小さな手が危なっかしい手つきでそれを辛うじて受け止めた。

 いかん、クロームやセシウのようにはいかないな、プラナは。

 細く白い指先が犢皮紙(ヴェラム)を纏める紅い紐を丁寧に解き、丸められた紙をゆっくりと広げていく。クロームは目を開き、一挙手一投足、眉の動き一つ見落とさんとするような目つきでプラナを見送っている。セシウも興味があるのか、俺のベッドから身を乗り出し、隣のベッドに座るプラナの顔の横から紙面を覗き込んだ。

 ベッドがぎしりと軋みを上げる。

 プラナの血を溜め込んだような紅い瞳が素早く動き回り、譜面を見ていく。内容は俺も見たからなんとなく覚えている。とはいえ、図面を覚えているだけで、それが示す意味は全く分からない。

「これって……村の……地図?」

「そのようですね」

 一枚目に描かれているのは、確かに村の地図だった。その地図の上に魔導陣の位置が全て記載されている。村にある無数の魔導陣が全て連結しており、村の中心にある巨大な魔導陣へと繋がっている。

「村にバラ撒かれた小さな魔導陣の位置は全て把握している通りですね。ただ、この村の中心の魔導陣は私でさえ気付きませんでした」

「プラナでさえ気付けなかった、だって?」

 クロームが僅かに唸る。プラナが気付けない、なんてことは全然予想していなかったようだ。

 俺だって少しばかり驚きだ。

「どうやら、周囲に展開された魔導陣に施された意識結界は全て、この中心の大型魔導陣に施された強力な意識結界の副産物的なもののようですね。おそらく意図的なものではあるのでしょうけれど」

 言いながら、プラナは一枚目の犢皮紙(ヴェラム)を捲り、二枚目へと視線を落とす。一枚目は図面だったが、それ以降は全て譜面の内容を記したものだと思われる、文字の羅列だ。正直、古代言語の読めない俺にとってはかなりの暗号であった。

 それでもプラナの視線はすらすらと文字の羅列を素早く追っている。そんなにすらすら読めるものなのかね、魔術師なら。

 まあ、プラナは天才魔術師とさえ呼ばれてるし。みんながこういうわけではないだろう。

「うわ……何これ……見てるだけで頭痛くなりそう……」

 脇から譜面を眺めていたセシウは脳の処理限界に達したのか、頭を抑えプラナから身を離す。図形まではよかったのだろうが、完全なる記号の羅列なんてもんはセシウが最も嫌うものの一つだからな。頭やわぇ。

 そんなセシウに気を取られることもなく、譜面を読み進めるプラナの目が徐々に細められ、険しい顔つきになっていく。紅い瞳が刺し貫くような鋭さを帯び、表情も深刻なものへと変化する。

「これは……」

「どうした?」

 もしかして偽物でも掴まされたのかと思って、俺は椅子から腰を浮かしてプラナに問いかける。

「少し待って下さい」

 プラナは俺を手で制し、二枚目を捲り三枚目の譜面を読み進めていく。プラナの探求心にもどうやら火がついたらしい。

 これほど膨大な情報――プラナにとってはさぞかし読み応えのあるものなんだろう。俺からすりゃ全くもって意味不明なわけだが。頭痛を覚えるセシウの気持ちも少しは分かる。理解する以前の問題なのだ。表面上の意味を汲み取ることさえできない。

 それをすらすらと読めるプラナは、やっぱり天才なんだろう。

 プラナは三枚目の犢皮紙(ヴェラム)を捲り、次のページを読み進めていく。その顔は顰められ、薄い唇に皓歯を突き立てていた。

「これは……分かりきっていたことではありますが、とんでもないプログラミング能力ですね。こんなキチガイ染みた魔導陣を構築しようと考える、脳みその構造が理解できないくらいです」

 プラナがこういう俗っぽい言葉遣いをする時は、感情の振り幅が大きい時だ。譜面の内容に動揺を隠しきれていないらしい。

 すでに村に仕掛けられた魔導陣が危険極まりないことは分かっている。それでも驚かざるをえないほどの情報が譜面にはあるというのだろうか?

 あまり深く考えたくない話だ。

「そんなにまずいものなのか?」

 プラナの反応に穏やかではないものを感じ取り、クロームが問いを投げかける。譜面を食い入るように見つめていたプラナは顔を上げ、少し躊躇いつつも曖昧に頷いた。

「え、ええ……まだ全てを読み切ってはいないため、詳細は分かりませんが、私達の想像を遙かに超える大規模儀式級の魔導陣ですよ、これは」

 あの予想よりもヤバイってどういうことだよ。あれ以上にヤバイもんとか想像したくねぇぞ。

 これは本当に面倒なことになってるのかもしれない。

「プラナ、詳細を」

 クロームが静かに先を促すが、心は逸っているようで背中は壁から離し、数歩プラナに近付いている。

「すみません。もう少し解析する時間をください。憶測の段階で話ができる代物ではありません……」

 要するにそんくらい慎重にやらなきゃいけないレベルのものだっていうことか……。

「情報の精度は?」

「間違いなく、正真正銘あの魔導陣の譜面で間違いないでしょう。本物だと確信してまず問題ないかと。ガンマ、助かりました。ありがとうございます」

「だそうだ。お手柄だな、盗人」

「そりゃどうも」

 腰を椅子に落ち着け直した俺はクロームの皮肉が籠もった賛辞に渋い声で答え、背もたれの上に顎を載せる。

「譜面の分析はどれくらいかかる?」

 問題はそこである。これで本来の魔導陣起動時間である午後七時に間に合わなかったら、何も意味がない。

「二時間くらいお時間を頂けると助かります。流し読みで済ませていいものではありませんし」

「無効化は可能か?」

 俺のさらなる問いに、プラナは譜面に落としていた顔を上げ、にやりと不敵に笑う。昨日も見た、腹黒い微笑だった。

「私を誰だと思っているんです? 魔導陣の譜面がある今、あの女狐を出し抜く程度簡単なことです。あの女の鼻っ柱をへし折って、折り畳み式にしてやりますよ」

 随分と昨日の一件を根に持っているようだ。まあ、無理もないか。

 これはかなりいいもんが期待できるかもしれない。なんたってプラナの執念が籠もっているのだ。身の毛もよだつ恐ろしいプログラムが誕生しそうである。

 普段温厚な分、怒った時のプラナは大層怖い。

 今も不敵な笑みを浮かべ、うふふと上機嫌に笑声を漏らしている。

「私は部屋に籠もって、少し譜面の解析に集中します。それまでお時間はよろしいでしょうか?」

 読み半端の犢皮紙(ヴェラム)を丸めて、紅い紐で纏めたプラナは静かに立ち上げり、俺達三人を見回す。

「構わねぇけど、プログラムはいつまでにできる?」

 時間がかかるようなら、別の行動を考えなければならない。本日の午後七時には魔導陣が起動する。詠唱が開始される六時半よりも早くに行動をしたい。相手が危機感を抱くまでの時間が稼げれば、それによって猶予も出てくる。

 相手が詠唱の準備を完全に整えてしまってからでは、それも難しくなるだろう。

 俺の焦りを帯びた問いにプラナはにやりと唇を吊り上げた。

「本日の三時までには仕上げてやりますよ。多少急ではありますが、まあ、問題はありません。あの小娘に魔術師の世界の厳しさを教えてやりましょう」

 本気で潰しにかかるようだ。

 殺意さえ感じる目を直視してしまうと、俺まで背筋が冷たくなるな。なんつぅかチビりそう。

 クロームもクロームでプラナからあからさまに顔を逸らしている。ちらちらと俺とプラナの様子を窺ったりもしているけど、どうやらあまり直視したくないらしい。

 こうなったプラナは最早誰にも止められないだろう。

 頼り甲斐はあるが、恐ろしくもあるね。

 こいつが味方で本当によかった、と心の底から思う。