1Cr Drudgery―白黒徒花―
03.Hopes Similar to Cm―希望は美女に似ている―Verse 7
「上手く勇者一行を説得したか。お前の十枚舌には恐れ入るよ」
村をぐるりと囲む柵の向こう側、俺は煙草を吸いながらキュリーのそんな賞賛を聞いていた。
日中の屋外だというのにキュリーは相変わらず一糸纏わぬ姿で、俺の前に平然と立っている。白日に晒された白い素肌は何とも健康的に艶めかしく、本来あり得ないはずの情景は、こう何かと駆り立てられるものがあってまずい。
そんな自分を落ち着かせるためにこうやって煙草を吸って、ぐっと耐えているわけだが。
キュリーにはもう少し、こう、こちら側のことも気にかけてほしいところだ。
「ああ、我ながら上手くやった方だと思うぜ? 今のところ誰にも疑われちゃいねぇよ」
「ふふふ、お前ならやりかねないものな。忍者ごっこ」
くすくすと笑いながらキュリーはしゃがみ込み、風に揺れる黄色い花を細い指先でつついて弄ぶ。こらこら、腕でさりげなく胸を寄せ上げるんじゃない。
青空の下、白日に晒される谷間とか、なかなか拝めないからいろいろヤバイだろ。
なんでこいつはここまで平然と裸体を晒せるんだか。
俺はどうにも落ち着かず、短くなった煙草を携帯灰皿で揉み消して、新しい煙草にまたすぐ火を点ける。
話を続けて、気を紛らわそう。
「あとはプラナのプログラミングが完了さえすれば勝ったも同然だ」
「確信するのは早計じゃないか? 全てが巧くいくと確定しているわけではない」
キュリーは立ち上がり、ゆったりとした動作で長い髪を掻き上げる。疵一つない綺麗な額だ。生え際も、額の中心が山を逆さまにしたような形をしている。
どこを見ても美人だな。しかも俺好みの。
今だって髪を掻き上げた腕の腋が丸見えだし、横乳も非常に目を引かれる。これはまずい状況である。
「こっちはあの伝説の勇者がいる。その上、世界最高峰の魔術専門校であるヘカテー魔術学院を首席で卒業した奇才プラナ、ヒュドラ直属の少数精鋭護衛部隊――事実上の第一部隊である《プライアンティメタルズ》のメンバーであるセシウ。《始原の箱庭(アペイロン)》の最精鋭と呼んでも過言ではないメンバーだ。突破口が見えた今、負ける要素の方が少ないんじゃないか?」
「お前は勘定に入っていないのか。ふふふ、本当に変わらないな、いつまで経っても」
唇を窄めるようにしてキュリーは笑う。
当然だ。俺を勘定にいれたところで数値に大した変動はない。むしろマイナスに振られるかもしれない。
そんなものを計算に入れたところで何の得にもなりやしない。俺のことは俺が一番よく知っている。自分の非力さだって思い知っている。
考えるだけムダだ。俺はあいつらが最大限力を発揮できる舞台を整えることができればそれでいいのだ。
俺は柵に背中を預け、煙草の煙を吸い込み、空に向かって吐き出す。紫煙の辛さが舌に染みる。有害物質が肺に重くのしかかる。
澄み切った空だ。流れ行く雲の形、それさえにも見惚れてしまいそうである。
やっぱり大自然の空は違うな。朝も昼も夕も夜も、それぞれの表情が全て魅力的だ。
朝は空が瑠璃色に染まり、稜線が朝陽に燃える。
昼は真っ青な空が広がり、白い雲がゆったりと流れて心が落ち着く。
夕暮れには空が紅く燃え盛る。夕焼けの空といえば哀愁が漂うのが常なわけなのだが、どういうわけかこの村の夕日はなんだか穏やかで安心する。
夜には満天の星空が広がり、月の灯りも手伝って闇に対する恐怖なんてものはない。
本当にいい村だ。だからこそ、守りたいと俺まで思っているのだろう。
「ふふふ、どうした? 何を考えているのだ?」
ふと隣を見ると、キュリーが柵の上に腰を下ろして、少し高い位置から俺を見下ろしていた。目の高さには大きなお胸様。おおう、これは眼福……。
つぅか、柵の上に直に座って痛くねぇのかな? 結構老朽化してささくれだってるんだけど。なんか刺さりそう……。
「いんや、特に何も」
「そうか? ならいいのだがな」
言って、キュリーも空を見上げる。長い髪が風を受けてふわりと膨らんだ。
「綺麗な空だな」
「あー、だなぁ」
俺もまた空を見上げる。
キュリーも同じことを思っているのかもしれない。
「そういや宿屋の娘が、困ってたぞ?」
「あー、そうだな。悪いことをしている」
「お金がないなら後で払ってくれればいいとか言ってたぞ」
先程、本当にあったことを伝えると、キュリーはくすりと笑う。
「騙しやすそうな人間だな」
「本当に」
この村の連中は全員、本当に騙しやすそうだ。人を疑うことを知らないっていうか、なんていうか。悪意とか作意とか、そういったものとは無縁に生きてきたんだろうな。
羨ましい限りだ。
「あの娘(コ)は本当にいい娘(コ)だ。愛らしいな」
「屈託がねぇよなぁ」
「お前とは真逆だな」
「うっせ」
実際そうだけどよ……。否定できない自分が憎い。
「ま、それくらいの方がいいぞ、私の好みとしては、な」
「そりゃどうも」
本心なのか慰めなのかよく分からないので反応に困って、そんなつまらない答え方をしてしまう。
喜ぶにも喜び辛ぇし。なんせ、一応敵だからな、こいつ。
ついつい忘れそうになるけど。
絶対にこの認識を忘れてはいけない。俺は何度もそう言い聞かせている。キュリーが例えどういう人物だったとしても、今こうして協力してくれているとしても、敵対勢力であることに変わりはない。全ての情報を俺に開示しようとしていない以上、こいつはこちら側に寝返ったわけではない。事が済めば敵対関係に戻るのだろう。
ならば、いずれ戦うことは避けられない。必ず、俺達はどこかの段階で凶器を交わらせることになる。
こいつに仲間意識を持ってしまうようなことがあってはならない。その認識は躊躇いになる。迷いになる。惑いになる。
一分一秒――それよりも僅かな一瞬の挙動が趨勢を決定づけてしまう戦場において、そんな感情を差し挟むわけにはいかない。
だから、俺は絶対にこいつを仲間と思ってはいけない。また気をやってもいけない。
ただ今だけの協力関係。ドライな関係であるべきなのだ。
なんだが……どうして俺はこうして並んで空なんて眺めているんだろうか……。
「ガンマ、お前達は今まで《魔族(アクチノイド)》と交戦した経験があるか?」
「どうした、突然?」
何の前振りもなくそんなことを言われて、俺は思わずキュリーの方へと目をやる。いつの間にかキュリーは空を仰ぐのを止め、俺を見つめていた。その瞳は真剣そのもので、今までのような軽佻浮薄とした印象はどこにもいない。
唇を引き結び、何かとても思い詰めているようにさえ見えた。
「いや、まあ、一応あるけどよ……」
旅を初めて間もない頃だった。あの時は確か、次の町を目指し森を進んでいた時だ。日も暮れて、疲弊しきっていた俺達は火を焚いて休息を取っていた。その時に奇襲を受けたんだったな。
名前は確かアメリスだったか。予見能力の持ち主で相当に手こずった。あの時は辛うじてやりすごせたけどな。
「倒したことは?」
「ない、な」
悲しいことに。
俺達は未だに《魔族(アクチノイド)》の首級を挙げることができていない。
勇者一行という肩書きを持っておきながら情けないことのようにも思えるが、実際のところ人類はまだ一度も《魔族(アクチノイド)》を屠れていない。
五百年周期で終末を迎えるこの世界で、俺達は未だに《魔族(アクチノイド)》に対して明確な反撃をできないでいる。
何度も何度も終末を繰り返し、それでもどうにかこうにか戦い続けているというのに、だ。
それだけこいつらが強大なる存在だというわけなのだ。
撃退しただけでも十分な戦果であるといっていい。
「なのだろう? 我々――《魔族(アクチノイド)》を他の敵と一緒だと思わない方がいい。例え勇者であろうと、《始原の箱庭(アペイロン)》の最精鋭であろうと、相対者が我々だというのならば、お前は細心の注意を払って敵対すべきなのだ。それで容易に倒せるならそれでいい。杞憂であったならな。だが、戦う前から油断をするな。それはお前の死を招く」
こいつは今、どちらの側に立って俺に語りかけているんだろうか?
《魔族(アクチノイド)》を我々と称すということは、つまりこいつはそちら側にいるつもりだ。だというのに、それは俺達への忠告に他ならず、まるで《魔族(アクチノイド)》を倒させようとしているようにさえ思える。
しかも今回は嘘か真か分からない情報を流しているわけではないし、罠を張って誘導させているようなものでもない。小細工のないアドバイスだ。
……待て、落ち着け。こいつを仲間だと思ってはいけない。味方じゃないんだぞ。
ただ、今は敵ではない。それだけの話だ。
だというのに、そう思おうとしているというのに、胸の奥底から妙な感情が湧き出てくる。
「お願いだ。油断をしないでくれ。命は――一つしかない。お前は、お前しかいないんだ」
その言葉はどこまでも切実な願い事であり、哀切を痛切に感じ入ってしまう。この感覚はきっと幻想じゃない。こいつは悲痛なまでに何かを案じていた。
何をだ? 俺の身を? まさか。敵同士だぞ?
柵の上に置かれた手はいつの間にか握り締められていて、微かに震えてさえいた。
クソ……ダメだ。俺の中で何かが揺らいでいる。少しでもバランスを崩せば、そのままどちかへと倒れ込んでしまいそうな危うさ。
妙に居心地が悪い。
自分の内側も、またキュリーの内側も、何もかもが分からない。その痛々しいまでに真剣な表情も、握り締められた小さな拳も、全てが俺を惑わせる。
何が何だかさっぱり訳が分からない。
「キュリー……お前は、なんだ?」
掠れた声で、俺は何とか言葉を絞り出す。最早、言葉を飾る余裕もなかった。
悔しいが認めざるを得ない。俺は、困惑し混乱していた。
ここまで何一つ推測ができない事態は久々だ。
俺の問いにキュリーは目を逸らすように伏せ、自身の握り締められた拳へと向ける。下唇に皓歯を食い込ませ、痛みを堪えるように顔が歪む。
それは今まで想像することもできなかったキュリーの弱さだったのかもしれない。
永遠にも思える時間。実際は一分程しか経っていないのかもしれない。
今はもうよく分からない。
彷徨っていたキュリーの瞳は、最後に自身の拳へと戻る。俺に目を向けることもなく、キュリーは恐る恐るといった様子で唇を開いた。
「私は……私だ。ただの――」
そこでキュリーの目が俺へと向けられる。溢れ出す濡れた感情を覆い隠すようにぎこちない笑みを浮かべ、キュリーはそっと言葉を続け――
「おーい! ガンマー!」
最も聞き慣れた声が横合いから突然、俺たちの間に飛んできた。予想外の闖入者に俺は驚きに目を瞠り、声の聞こえた方を振り返る。
そこには手を千切れんばかりに振りながら俺達の方へと駆け寄ってくるセシウの姿がある。ポニーテールを揺らしながら能天気に笑ってやがる。
やべっ……ここでキュリーを見られたらまずいぞ。《魔族(アクチノイド)》であることは隠し通せるかもしれないが、なんせキュリーはマッパである。誤解を招かないわけがない。しかも野外で? 二人っきり? 変なレッテルを貼られそうである。
「おい、キュリー……」
キュリーを何とか隠そうと俺は隣へと目を向け――
「は?」
柵の上には誰も座っていなかった。もうそこには誰もおらず、初めから誰もいなかったような静けさだけが残っている。
名残もなく、残滓もなく、ただそこには何もなかった。
さすが《魔族(アクチノイド)》というべきなのか?
呆然とキュリーがいたはずの場所を見ていることしかできない俺の後頭部に突然衝撃が走る。視界に無数の星が瞬く。
「おい返事しろよ! このボケナス!」
「いっでぇなクソ! 何しやがる!」
どうやら殴られたようだ。
勢いよく振り返ると、セシウは腰に手を当てて胸を張っていた。私怒ってますよ、と言いたげだ。
「だってガンマ、こっちが大声で呼んでるのに返事しないんだもんさ」
どう考えても順序が逆だ。それで感情表現してダメだった場合に殴ればいいものを……。
拳が何よりも先に出るからな、こいつ。
あー、いでぇ……。かなりいでー。久々に回避行動を取れずに殴られたわ……。
「で? 何してたの?」
「あ? ああ、ちょっと息抜きにな」
「また煙草? ほどほどにしなよ? ただでさえ体力ないんだから」
ほっとけ。
俺が身体をどれだけ痛めつけようと、そんなの俺の勝手である。むしろいつも殺人的なトレーニングメニューをこなし、筋肉を苛め抜いてるお前達の方が俺は理解できない。
辛いだけだろ、どう考えたって。
「んでお前はどうしたよ? 俺に会いたくでもなったわけ?」
「ば、ばかちがっ!」
赤面して拳を振り上げるセシウに、俺は素早く飛び下がって距離を置く。
バカ。違う。
おそらくそう言いたかったのだろう。何気にセシウは舌っ足らずなのである。そのせいなのかよく分からない言葉を付け加えて曖昧になりがちな語尾を誤魔化していたりする。
「なんじゃらほい」だとか「だわさ」だとか、そういうよく分からないものでテンポを取ってるようだ。
語尾も性別も曖昧な獣なのであるとさ。
全く幼稚だな。キュリーくらい明解でなければ。
行き場のない拳を大人しく下ろして、セシウは呆れたようにため息を吐き出し、ぽりぽりよ頬をかいた。
「プラナ、調べ終わったってさ。んで、あ、あんちぷらぐらはみんぐ? あれ? あんちぷろはみんぐ?」
どうしよう、俺の幼馴染みが謎の呪文を唱え始めた。しかも納得がいかないらしく小首を傾げて考え込んでいる。
成功した日には、ゲル状のよく分からないモンスターとか召喚されそうである。
「 ん? んん? 違うんだな……いや、確かあんぷろらみん?」
「それ最早、薬の成分だろ、なんか」
ラミンとか最後につくとそんな感じになる気がする。
アンプロラミンってなんか普通にありそうだよな、うん。いや、ねぇよ。
「じゃあ、それか!」
「違うぞ、全然違う」
にぱぁと眩しいくらい嬉しそうに笑って手を叩くセシウに俺はため息を吐き出す。
「えー? だって薬の成分なんでしょ?」
ぶーぶーと唇を尖らせるセシウ……。こいつ本当にアホ……。
「じゃあ、聞くけどよ。プラナは薬を作ってたのか?」
「……薬は……作ってなかったかな」
なんで少し考えた。
「だろ?」
「じゃあ、あんろらぷらみんって何さ!?」
「さっきと微妙に違うぞ」
「あれ? えー? んー?」
「アンプロラミン」
「そう! それだ! あんぷらみろん!」
「もういい、今は喋るな」
「はえ?」
埒が明かん……。
本当に頭が弱いな、ゴリムス。
意味が分からずうんうん唸りながら考え込んでいるゴリムスは放っておこう。
「とりあえずアンチプログラムが完成したんだな」
「ん? あー? 確かそれだわさ!」
キリッという効果音でもつきそうなほどに得意気な顔でセシウは大きく頷く。
あー、メンドくせ……。
しかし思ったより早かったか?
いや、違うな。俺の体感時間が短かっただけか。気付かぬうちに随分と話し込んでしまったらしい。
「ふぅむ……今何時だ?」
「二時四十七分だぞっと」
時計も見ずに、すらすらとセシウは答えてくれる。この辺は結構優秀なんだけどなぁ……。
天はそうそう二物を与えないものである。むしろ長所があればあるほど短所を与えて、プラマイゼロにしているものなのである。
きっとセシウだってバカな代わりに何か長所が……ほとんど筋肉にいってんだろうな……。
もう手遅れだわ、こいつ。
「早いに越したことはねぇか。宿に戻るぞ」
「オーキードーキー」
手をびしっと挙げて元気よく返事をしたセシウと共に、俺は宿に向かって歩き出す。
眼球の裏側には今もキュリーの痛みを堪えるような歪んだ微笑がこびりついていて、どうにも収まりが悪かった。
あいつは、一体何を言おうとしてたんだろうか……。
考えてもムダだということは分かっていたけど、考えずにはいられなかった。