1Cr Drudgery―白黒徒花―
03.Hopes Similar to Cm―希望は美女に似ている―Verse 8
「アンプロラミンができたんだって?」
「は?」
「あ?」
「え?」
宿の部屋に戻るなり、俺はそんなドジをやらかしてしまった。
プラナ、クローム、セシウの順番で次々と頭に疑問符を並べていく。
くそ、さっきさんざん言われたせいでつい口から出てしまった……。キュリーのことでいろいろ考え事をしていたせいもあるんだろうが、クソ、なんていう失態だ……。
意図的に痴態をさらすのは構わんが、意図的ではないものなんて屈辱以外の何物でもない。
「ガンマ? 疲れていますか? 無理はなさらないでくださいね?」
どこか哀れむように、ベッドに座り魔導陣の図面を広げていたプラナが俺へと優しい声をかけてくれる。
や、やめろ……。俺にそんな憐憫の視線を向けるな……。
「貴様、ついに脳みそにも錆びが回ってきたか? ちょっと開頭して見てやってもいいぞ?」
さらにクロームの冷ややかな視線。
自分のミスなのでなんとも言い返しようがなくて悔しい。
だって事情が分からなかったら、明らかに俺の天然ボケですもの。事情を知っているセシウのフォローも期待したけれど、俺の後ろで口を手で覆って笑いを堪えている。
もともとは誰の発言だと思っているんだ、こいつ。
「で、アンチプログラムの具合はどうなんだ?」
「お前の頭の具合はよろしくないな。薬局でアンプロラミンを処方してもらえ」
ふんと壁に背を預けたクロームが鼻を鳴らす。クソ、こいつはここぞとばかりに……。
「何に効くんだよ?」
「バカに処方する薬に安楽死以外の効用があると思っているのか」
冷笑交じりに俺を見下すクローム。
完全に向こうが優勢だな。こっちの落ち度だし……。
「え? あんぶろろみんって本当に売ってるの?」
「さっきから新しい成分が大量生産されてんな」
首を傾げるセシウに俺は項垂れる。
おそらく全て、まともな効果がないんだろう。セレンディピティは俺に備わっていないのである。有用性を見出すことは不可能だ。
「で? どうなのよ?」
「順調ですよ。魔導陣の分析も全て完了しています。プログラムの構築も済んでいます。デバッグも今さっき終了しましたよ」
ベッドの真ん中にちょこんと座ったプラナはにっこりと微笑む。心なしか、いつもより血色がよさげだ。
プラナは魔導陣のプログラミングが大好きだからな。当人曰く、実践で魔術を使うことよりも新しい魔導陣を制作することの方が得意分野らしい。そうは言っても、学院での成績は全科目オールSらしいけど。
つまり大前提全部完璧で、その上でプログラミングが大得意というわけだ。ここまでくると次元が違いすぎる。こう一般の尺度で測っても何も分からない感じ。常に振り切ってしまっていて、上限以上の数値で差が出てるようなアレ。
いいプログラムが構築できて、さぞご満悦なんだろう。
ベッドの上に広げてるのは、おそらく村に施されている魔導陣の図面。どうやら最終チェックを行っているらしい。
「出来はどうだ?」
「いい出来ですよ。我ながら自信作です」
ぐっとプラナは親指を突き立てて見せる。謙虚なプラナが自画自賛するということはかなりのクオリティだと思っていい。
「急造ですので、魔導陣全ての破壊できるほどのものは用意できませんでしたが、それでも意識結界やトラップは全て解除できます」
まあ、突貫だし。さすがにそれ一つで全てを解決はできないか。
もし魔導陣そのものを無力化するものを構築するのであれば、今村に仕掛けられている魔導陣よりも遙かに膨大なプログラムが必要だろう。それでは時間がかかりすぎる。
プラナが完璧を求めず妥協してくれる人格で助かった。これで完璧主義者だったら、タイムリミットをオーバーしかねない。
「補足知識として、皆様にはあの魔導陣の概要をお教えしておきましょう。集まって頂けますか?」
プラナに言われ、俺達三人はベッドの周りに集合する。俺達三人の神妙な顔を見回し、プラナは枕側に背を向け俺達全員に見えるように図面を置く。四人で犢皮紙(ヴェラム)を囲む形だ。
「まず、この魔導陣は周囲の小さな魔導陣によって中央の巨大な魔導陣を支えています」
言いながら、プラナは細い指でぐるりと中央の魔導陣を囲む小さな魔導陣をなぞるように円をかく。多少のズレはあるが、可能な限り大魔導陣を中点にした同心円上に小魔導陣が設置されている。
僅かなズレは物陰に隠すようにしているためだろう。見つからないようにというわけではなく、ただ単に仕掛ける際に一目を避ける必要があったからだろう。
「密結合のプログラミングであり、効果は確かに絶大ですが、その分僅かな欠損で致命的な問題を引き起こす脆弱性もあります」
全てが連動している以上、一部での問題が全体に波及してしまう。
なるほど、緻密故の弱点というわけか。
「大雑把な解析では分かりませんでしたが、どうやら小さな魔導陣の主な役目は大魔導陣への補助のようですね。これらの魔導陣は高度な演算機としての機能を有しており、それぞれに割り当てられた魔術式の演算を行い、魔術の展開を早めています。ただし全体の魔導式の演算機能は大魔導陣も有しており、小さな魔導陣が破壊されたところで発動が遅延するだけで機能停止には至りません」
「遅延はどの程度だ?」
クロームの抑揚のない問いにプラナは少しばかり考え込む。
「割り当てられた魔術式にもよりますが、平均値は一つにつき二分。一部の複雑な魔術式を割り当てられているものに関しては五分ほどの遅延が発生します」
高度な演算機能を用いて二分もかかっていることが恐ろしい。魔術に用いられる演算機は一般のものでさえかなり高度なものだ。一般人の言う難解な数式なんてものは数秒もかからず演算を終えてしまう。それでも二分。よほど複雑で膨大な数式を演算させているのだろう。
「補助魔導陣の総数は?」
続いて俺もプラナに問いかける。
俺もクロームも魔術に関しては疎い。分からないところはプラナに訊ねるしかないのだ。
分からないままでいるのが一番危険だと俺は考えている。分からないことは素直に分からないという程度の勇気は団体行動において必要不可欠だ。
認識の誤差はやがて大きな歪みを生み出し、致命的な失敗に繋がる。
「総数は二五基。一基はすでに私達が破壊したため、残りは二四基となりますね。うち八基が五分程度の遅延を発生させます」
「全て破壊することができればおよそ七四分の遅延が発生するわけか……」
「ガンマ、計算早ッ」
傍らでセシウが驚きの声を漏らすが今は気にしてられない。お前がバカなだけである。
起動用の魔術式の詠唱にかかる時間はおよそ三十分。合計一〇四分――一時間四分の遅延、というわけか。ふむ……かなりの猶予ができそうだ。
それだけでも十分有り難い。
時間だ。それはこの世で一等大事なもんであり、また最もどうしようもない概念である。
俺達は生まれた時から手持ちの時間が決められているというのに、その数量は一切開示されることがない。ただいつ終わるか分からない試合を続けさせられるばかり。どうにかこうにか引き延ばそうと策を弄しても、持ち時間がなくなれば存外呆気なく試合終了。
誰が勝者で敗者なのかも分からない持久走だ。
ならば、手持ちの時間が分かっているものくらいは、正確にこなさなければならない。
「もちろん、以前説明した通り、補助魔導陣自体も圧縮はされていますが、本来は半径八キロメートルにも及ぶ、単体で儀式級魔術の展開さえ可能な代物です。当然、魔界と直結する穴を穿つことは可能でしょう。一つ穿たれただけでも相当の被害が予測されます。まあ、本来の目的はそこではないのですけどね」
ふむ、補助とは言ってもかなりの大きさである。はっきり言って一個あっただけでも十分すぎるほど脅威だ。
状況は俺達が思っている以上に最悪である。
「そんだけの効果を持っていて、本来の目的がそこじゃないってどういうことだ?」
「今からそれをご説明致します。まず、この連動した魔導陣の動力源についてお話しましょう」
「動力源? 魔術師自身からのエーテル供給ではないのか?」
クロームが僅かに目を瞠る。俺も少しばかり驚きだ。魔術に関して知識が浅いのもあるが、当然のように魔術師がエーテルを送り込んでいるものだと思い込んでいた。
普段、魔導陣を駆動させるのに使われるエネルギーはエーテルと呼ばれる魔術物質だ。万物を構成する火、水、風、土の四大元素――その大本となるもの。
エーテルは世界の根源。それぞれ全く異なる性質を持つ物質も全て、最後まで分解してしまえば残るのはエーテルだけ。
これは魂を構成する物質とされており、死した者の魂は全てエーテルへと分解される。人間の目では視認できないほどに極小の物質であるエーテルは大空(アーエール)へと昇り、その遙か上、人類が未だ到達できていない領域、天空(アイテール)まで至る。
天空(アイテール)には、生命の円環(キュベレーキクロス)と呼ばれるエーテルの環流帯が存在し、魂だったエーテルは環流帯へと還り、やがて新たな物質を構成することになる。
この世界――リゾーマタにおける輪廻転生の概念はここから来ているわけだ。
世界を構成する全ての物質は生命の円環(キュベレーキクロス)から生まれた家族であり、また魂を分け合う兄弟でもある。
さて、このエーテル、生命の円環(キュベレーキクロス)を循環しているわけだが、大気中にも存在している。環流帯から降ってきているのだ。
魔術においては大気中のエーテルを体内に取り入れ、それを魔力として、魔導陣へ供給することで駆動させる。
まあ、大抵のものは魔導陣を駆動させる前に発動する魔術に必要なエーテルを全て充填するものなのだが、結界などの継続的な魔術に関しては魔術師自身が常に一定量送り続けるというのが一番ポピュラーである。
というかそれ以外の手法を俺は知らない。
「あまり、有名な技術ではないんですけどね。実はこの魔導陣、魔術師との接続が完全に断ち切られてるんです」
「というと?」
「要は魔術師から干渉ができない状況。エーテルの供給も、誤作動の修正もできません。また魔導陣自体、状態を魔術師に伝えることができませんし、魔術式の維持やフェイズシフトも全て自律的に行われます」
……つまり、どういうことだ?
クロームも眉間に皺を寄せ、低く唸っている。その頃、セシウは考えることをやめていた。ぼけーっと図面を眺めているだけだ。
バカは楽でいいな、おい。
「それはどういう反応を取るべきなんだ?」
無知な俺達に天才魔術師は嫌な顔一つせず、説明を続行してくれる。自分にとって当たり前のことを説明するって、すごく面倒そうなのにな。
「一般的には愚の骨頂ですね。なんせ自分では一切の管理ができないんですから。もし譜面に問題があったとしても、接続されているのならいくらでも修正が可能です。多少骨は折れますけどね。また外敵への対策も、一歩間違えれば全く違うところで作動してしまいます。条件付けが甘ければ、それだけで問題を招きます。だというのに、この魔導陣は魔導陣を維持するのに必要な全てを今まで平然と行い、また今後魔導式を実行するにも全て魔導陣自体が行います。並大抵のプログラミング能力では、絶対にどこかで誤作動が発生するはずなのに……」
ふむ、プラナが驚くということはやはりよほどのプログラミング能力なんだな。さすがは《魔族(アクチノイド)》といったところか。
全く、ぞっとするね。
「で、そんなことをするメリットはどこに?」
クロームが疑問を口にする。
確かに、そんあ余計なプログラムをわざわざ組み込む必要性なんてあるんだろうか? 確かに技術はすごいのだろうが、そんなもの魔術師が魔導陣に接続するだけで解決してしまう。
面倒を増やして、技術を誇示するだけにしたっておかしな話だ。
クロームの問いかけにうーむとプラナも言葉を詰まらせ、少しだけ考え込む。
「私も、実際はどうなのか分かりませんが、おそらくは逆探知を防ぐためではないでしょうか?」
「逆探知?」
「はい。ある程度腕のある魔術師なら、魔導陣の接続を辿れば、術者を割り出せます。逆に言ってしまえば、接続がなければ術者を割り出すことはほぼ不可能なんです」
なるほど。《魔族(アクチノイド)》であるなら、その必要があるかもしれねぇな。世界を敵に回して生き残ってるだけあって、用心深いことこの上ない。逆探知ができれば、いちいち魔導陣を破壊して回る必要もなかったんだが。
「なるほどな。それで接続が切れてるから、魔導陣自体に動力源をこさえる必要があるわけか」
「そういうことになりますね。この動力源がまた厄介なんですよ」
言って、プラナの細い指が村の中心を指差す。そこには巨大な魔導陣が描かれている。
俺達がこうやって頭を悩ませている全ての元凶たる大魔導陣だ。
「この魔導陣の位置に何があるか分かりますか?」
「何ってそこは広場だろ。酒場を出てすぐの……」
俺達が昨日いた場所じゃねぇか。あの時プラナは食い過ぎな上にむさいおっさんに囲まれて体調不良を起こしてたな確か。
「あそこにはおっきな木があったじゃん。ほら、なんか懸垂とかやるのにはちょうどよさそうな」
……そういえばあったな。あそこの木陰で俺達は休んでたんだっけ。
バカながら見るところは見てるセシウの的確な答えに、プラナはどういうわけか気難しい顔で頷く。
ほしがっていた答えと違っていたことに落胆しているのかと思ったが、そうではないらしい。
「その通りです。お恥ずかしながら私は魔導陣の真上に座っていながら、その存在を悟ることさえできませんでした。情けない限りです」
そうか。俺達はプラナが指差す場所で木陰に入って休んでいた。つまり、あの時俺達の真下には魔導陣があったということ。
「いや、そりゃしゃあねぇよ、お前、あん時はとてもそんなことできる状況じゃなかっただろ」
どう見ても死にかけだったし。そこを責めることはできない。プラナが貧弱なことは十分分かっている。それでも余りある才能があるんだから、文句は言えない。
だがクロームは違うらしく、ふんと小さく鼻を鳴らす。
「まだまだ危機感が足りんな、プラナ。それで民は救えんぞ」
「はい……仰る通りです」
クロームの冷たい言葉に、プラナは俯きがちになりながらもしっかりと答える。唇を噛み締め、左手はローブの裾を握り締めていた。
クロームは普段、プラナに対しては優しく接している。それは本当に僅かな差異ではあるけれど、クロームがあまり見せない一面であることに変わりなく、それだけでもプラナは特別な存在なんだろうな、と想像できる。
だからといってクロームはプラナを甘やかしているわけではない。むしろ距離感が近い分、失敗をやらかした時の言葉は俺に対するものより辛辣な場合さえある。
「油断をするな。自分の過ち一つで民の命が失われることを自覚しろ」
「はい……申し訳御座いません」
プラナは口答え一つすることなく、クロームの言葉にただ謝罪する。それでもクロームの顔を直視することはできず、ずっと自分の膝を見下ろしていた。
助け船――出してやるか。
「で? その場所に大魔導陣があるのは分かった。それがどうしたってんだ?」
「ガンマ。話を逸らすな」
クロームがため息交じりに俺を見下しているのは分かるが今は気にしない。
「時間がねぇだろうが。プラナへの説教はそれが終わってからでも遅くない。違うか?」
「…………」
クロームが僅かに唸る。
顔は直視しない。俺は意識して視線を図面に固定していた。さすがに怒ってるクロームの顔を何度も直視するのはご免被りたいのである。
「勝手にしろ」
ほんの少しの間の後、クロームがやむを得ないといった語調で折れる。かなり見放されているようにも思えたけど、それも今は気にしないでおこう。
「じゃあ、プラナ。続きを頼む」
「よ、よろしいんですか?」
おずおずと顔を上げたプラナは俺に顔を向けながらもちらちらとクロームの顔色を窺っていた。やはり気になるんだろう。
俺は微かに肩を竦め、プラナに苦笑を投げかける。プラナを挟んだベッドの向こう側に立つセシウへ軽く目配せをする。
突然のことにセシウは目を丸くし、自分の顔を指差して首を傾げる。俺は小さく頷くが、セシウは納得いかない様子。そりゃ嫌だろうな。俺だって嫌だもん。だからセシウに押しつけてるわけだし。
セシウは両手を大仰に広げ、渋々クロームの方へと向き直る。
「ねえ、クローム。そんな態度してたらプラナが可哀想でしょ? もう少し朗らかにできない?」
セシウの注意にもクロームはむすっとしたままだ。よくこの状態のクロームに真っ向から口出しできるものだな。
俺には到底無理である。
やっぱり、実力行使されてもやり過ごせるだけの力があると違ってくるのかね?
「微笑でも貼り付けておけばいいのか? お面でも持ってこい」
「それシュールだから……」
「何も文句は言わん。話を続けろ」
「だーかーらー、クロームがそんな態度してたらプラナも話しづらいに決まってるでしょ?」
腰に手を当て、セシウはやれやれと首を振る。こういう人対人の関係において気が回るからすごい、セシウは。見えないものに関しては敏感というかなんというか。
セシウに正鵠を射た意見を言われ、クロームはいたたまれないように俺達三人の顔を見回す。
…………。
クロームはため息を吐き出し、組んでいた腕を解いた。
「……分かった。話を聞こう。ちゃんと、な」
「分かればよろしくて、なのだ」
胸を張って満足気に頷いたセシウは、プラナの方へと向き直る。視線を移しながら一瞬俺にウィンクしたように見えたのは気のせいかな。気のせいだといいな。
怖いじゃん、セシウのウィンクなんて。