1Cr Drudgery―白黒徒花―

04.#A757A8 Th群咲の魔女―Verse 6

 瓦礫の撤去作業はセシウとクロームの馬鹿力コンビのお陰で滞りなく進んだ。俺も少しは手伝ったけど、ぶっちゃけ二人だけだった方が早いんじゃないだろうか。

 そうやっていくつもいくつも瓦礫を取り払っていった先で、俺達はまだ小さな細い手を見つけた。傷だらけの手だった。指も短く、幼さばかりを感じさせる、まるで人形のような手。でも、傷口から溢れる血が、人間のそれだと訴えていた。

 俺とセシウが息を呑む。対してクロームは冷静だった。

「セシウ! プラナを連れてこい!」

 珍しく張り上げた声でクロームが命令する。

「え……!? どこにいるの!?」

「探してこいっ!」

「あ、うん!」

 ……案外クローム自身冷静ではないのかもしれないな。助けようと思い、下した判断は的確だけど若干間違っている。全力疾走でプラナを探しに走り出したセシウの背中を見送り、俺はクロームの脇にしゃがみ込んで瓦礫の撤去作業を手伝い始める。

「プラナとはどこではぐれた?」

「町外れ、雑貨屋の近くで竜と交戦になった。その時に離れ離れになった」

 瓦礫を退ける手を止めずクロームは俺を見ることもなく答える。顎先から滴った汗が零れ落ちた。

「なるほどね、分かってんじゃねぇか。なんでそれをセシウに言わなかった? つぅかなんでセシウに命令した?」

 俺を残すよりセシウを残す方が作業はしやすい。なのになんで、セシウに命令したんだ?

 どんな理由があったにしろ賢明な判断とは言えないな。

 こいつも内心混乱してんのかね。

「……セシウやプラナが見るべきでないものがあるかもしれない」

「…………」

 また、自分が汚いものに思えてきた。

 クロームはわざと見当外れな指示を出したのか。プラナと離れた場所を伝えなかったのもそのためだろう。

 結局、二人が来るのを遅らせることで、なるべく二人に悲惨な現実を見せないようにしたんだ。もちろんここにいる子供が生きている可能性だってある。その時は最善を尽くしてクロームは助けようとするだろう。

 だけど、もし、死んでいたら?

 こいつはその悲惨な現実を受け止める覚悟をして、今必死に誰かを掘り起こそうとしている。

 ……俺ときたら、なんてバカなんだろう……。

 あいつらはどんなに強くても、俺なんかよりずっと繊細なんだ。その心を考慮することができていなかった。

 冷たい人間だよ、ホント。

「なあ――」

「作戦の際、私兵の邪魔が入った」

 俺の言葉を意識せずにクロームが遮る。

「……ああ、俺のとこもそうだった」

「お陰で作戦の進行が遅れた」

「あ、ああ……」

 なんだ? なんでこいつはそんな話をここで持ち出す?

 一際大きな瓦礫を両手で掴み、脇へと投げ出したクロームは小さく息を吐き出した。

「殺さずに……救うのは、難しいな」

 …………。

 クロームの失敗は殺さずになんとか私兵をやり過ごし、抗った結果なんだろう。こいつはきっと最後の最後まで剣を抜かず、連中を殺さない方法で抗ったはずだ。

 そんなのは考えるまでもない。その先での失敗だった。

 じゃあ、俺はどうなんだろう?

 無様に地面を転がって、大切な女一人まともに助けられなくて、結局は凶器に頼って人を殺した。それでもなお失敗した。

 情けない。あまりにも情けない。

 自分が惨めだった。

 本当、みんなから忘れられて、溶けるように消えていける方法ってないもんかね……。

 誰の記憶にも残らず、完全にその存在を消してしまいたい。

 そんな自分の格好悪さから目を逸らすように、俺は瓦礫を退ける作業に意識を集中させる。

 一つどける毎に子供の小さな身体が見えてくる。真っ白な可愛らしい服が見えた。袖にレースのあしらわれた衣装だ。

 そこでなんとなく女の子なんだな、と思う。そのまま瓦礫をいくつもいくつもどかしていくと、金色の綺麗な髪が見えた。長い髪だ。丁寧に梳られていて、ところどころで細い三つ編みにされている。

 その綺麗な髪さえ、今は砂埃を被って薄汚れていた。

 ……おいおい、まさか……。

 俺はその髪に見覚えがあった。他でもない。この村に来てまだ間もない頃に俺は見た覚えがある。

 気が逸る。

 そうであってほしくないと思いながらも、もう一人の俺はそうであることを確信している。

 ああ、そうだ。きっと間違いない。いや、そんなことはないはずだ……。

 そうやって最後の瓦礫をどけて、ようやく少女の顔を俺は視認した。

「クローム!」

 その時、背後から切羽詰まった少女の声が聞こえてきた。透き通った声音は間違いなくプラナの物で……。

 俺は両手に瓦礫を持ったまま、力なく振り返った。

 肩で息をするセシウとプラナの姿があった。二人とも汗をびっしょりとかいていて、荒々しい息からここまで全力疾走で戻ってきたことがよく分かった。

 今だけはセシウの勘の鋭さを呪いたくなった。

「クローム! 怪我人がいるんですね!」

 プラナの声も珍しく強いものだ。

 もしかしたら誰か一人でも救えるかもしれない。そんな思いからのことなんだろう。足早にやってきたプラナは俺とクロームを押し退けるようにして瓦礫から掘り起こされた少女の前にしゃがみ込んだ。まだ下半身にのしかかる瓦礫は撤去できていない。上半身だけが外気に晒されていた。

「酷い怪我ですね……今治してあげます! もう少しだけ頑張って!」

 ひゅーひゅーと少女が掠れた息をする度に胸が力なく上下する。きらきらと輝いていたはずの瞳にも今は光がなく、ただ虚空を見上げていた。

 クソ……ああ……クソッ。見間違えだったのなら、思い違いだったのなら、どれだけよかっただろうか。

 プラナの後ろから少女の容体を窺ったセシウの心配そうだった顔が一瞬で凍りつく。喘ぐような声が聞こえた。

 そうか、プラナは気付けるわけがない。あの時、こいつは宿で留守番をしていたんだから。

 詠唱を終え、治癒術を発動させたプラナは緑色の光を放つ魔導陣を展開させた両手を少女に翳したまま振り返る。その顔にはセシウの反応に対する疑問があった。

「どう、しました?」

 口を両手で覆ったまま、セシウは答えない。答えられない。

「……そいつは……俺達に花環をくれた娘(コ)だ……」

「え……?」

 プラナの円らな目が見開かれる。

 ……ああ、そうだ。こいつは俺達に花環をくれたあの少女だ。間違いない。

 今となっては愛らしい屈託のない微笑も、純粋で眩しかった瞳もないけれど、でも、それでも、こいつはそうだった。

 ……どうして、この子なんだろう。

 どうしてよりにもよって、この子のこんな姿を見なければいけないんだろう……。

 これら全て俺達の罪であり、また罰である。

 この光景が、この空間に蔓延する死が、惨状が、死体が亡骸が屍が、全部俺達の犯した罪そのものだ……。

 少女の瞳が彷徨う。焦点が合っていない。もう意識も随分と朧気なんだろう。

「……ゆーしゃさま……?」

 弱々しい声で、耳を澄ませてやっと聞こえるような声で、少女がクロームを呼ぶ。近づくべきか迷うクロームに、プラナは静かに頷いた。

「手を……握っていて、ください」

「あ……ああ」

 クロームらしくない気弱な返事だった。どこかいつもより緩慢な足取りで歩み寄りしゃがみ込んだクロームは、そっとぼろぼろになってしまった小さな手を掴み、両手で優しく包み込むように握り締める。

「ここに、いる……」

「ゆーしゃ、さま……」

「……ああ」

 クロームはただ答える。いつもよりもずっと優しい声で、どこか頼りない表情で。

「ゆーしゃさま……たす、けて……」

「…………」

 クロームは答えない。唇を引き結び、ただじっと少女の虚ろな顔を見つめている。

 頷けるわけがない……。俺達は失敗した。村人を救おうとして失敗した。

 そんな奴らが今更助けるなんて言えるわけがなかった。

「すまない……」

「……どう、して……あやま、るの?」

「すまない……!」

「ゆーしゃさまは、みんな、を……たすけ、てくれるん、でしょ……?」

 ……あの日、魔物を倒して帰ってきた俺達を迎えてくれた村人達を思い出す。

 気さくに、それでも身に余るほどの感謝を俺達にくれた村人達。その笑顔が脳裡を過ぎる。

 今となっては、もうどこにもない笑顔だ。

「ねえ……ゆーしゃさま……おかあさん、いないの……。どこに、いる、かな……?」

「……分からない……」

「そ、かぁ……ゆーしゃさま……みつけたら……教えて、くだ、さい……いま、くらく、て……よくみえない、の……」

「……ああ」

 いつの間にかセシウが俺の側に来ていた。口を片手で覆い、もう片方の手は俺の服の裾をぎゅっと握り締めていた。目には涙をいっぱいに溜め込み、必死に嗚咽を堪えている。

 今日は、なんか……泣いてばかりだな……こいつ。

 俺は特に何も言わなかった。敢えて気付かないふりをした。

「本当に……すまない……」

「……どう、して……あやまる、の? ……ゆーしゃさまがきて……なんだ、か……いた、いのもなくなったよ……?」

 …………。

 俺は気付いていた。

 プラナが治癒魔術を止め、鎮痛作用の魔術を少女に施していることを。

 俺はそこからも目を逸らした。咎める権利なんてなかった。

 プラナは俺の傷を、あれだけの重症をできる限りの範囲で治してくれた。その上で魔物との交戦も繰り返していただろう。もう少女一人を治しきる力がプラナには残っていなかった。

 俺があんな傷を負わなければ、少しは違っていたのかもしれない。

 すまない……!

「ゆーしゃさま……おねが、いします……みんな、を……たす、けて……」

「…………」

 クロームはやはり、答えられない。頷くことができない。

 初めてだった。こんなに弱り切ったクロームを見たのは、相手を直視することのできない姿を見たのは。

 しかし、クロームはやがて少女の顔を真っ向から見つめた。小さなを握る手が強くなる。

「……ああ、必ず……助けてみせる……」

 静かに、クロームはそんな優しい夢を紡いだ。それは未来に広がる夢なんかじゃなくて、ありもしないその場しのぎの幻で、どんなに優しくても嘘でしかなくて。

 でもそれは少女にとっての現実だった。

 虚ろだった少女の顔に安らかな笑みが宿る。

「……ありがと、う……ござい、ます……ゆーしゃさま……わたし……なんか、ねむくなっちゃって……」

「今は眠ってくれ……。目が醒めたら、きっとお母さんも……みんなも、いる」

 再会の場所はどこだろうか。

 きっとここじゃないどこかなんだろう。

 そんなことクロームだって分かりきっていた。

 ただ、少女の最期を優しいものにするために、勇者は、誰よりも誠実で実直な男は、そんな嘘を吐き出した。

 俺はそれを偽善だと言うことができない。

 いや、他の誰にも絶対に言わせない。

 他にどうすることも、俺達にはできない。もしこの場所でこいつの行為が愚かだと馬鹿げているというのなら、俺はそいつを絶対に許せないだろう。

 もしこいつを貶せるのなら、今この瞬間俺達が取るべきである行動を教えてくれ。この少女を救済する方法を教えてくれ。

 怪我を治すこともできない。助けを呼ぶこともできない。助けることさえできない。

 せめて安らかな死を、眠るような死を望むことの何が悪い。

 人間なんだ。クロームもセシウもプラナも俺も――ただの人間なんだ。どいつもこいつも、人間なんだ。

 できるわけがねぇ。

 神様だって助けてくれやしねぇ。

「ゆーしゃさま……ありがと、う……あり……とう……」

 そうやって少女はゆっくりと目を閉じた。

 虚空を見ていた瞳を閉じ、安心しきった顔のまま眠るようにゆっくりと少女は――

 プラナの両手に灯っていた光が消える。それはつまり施術する意味がないということで、考えるまでもなく少女は息絶えたのだろう。

 プラナは、沈痛な顔で俺達に対して首を振るようなお決まりの動作さえすることがなかった。そんなことをする必要もない。みんなが分かっていた。

 だからだろう。セシウは俺に撓垂れかかるようにして、俺の腕にしがみついていた。腕に顔を押しつけ、肩を震わせていた。

 服越しに熱い息を感じる。濡れた感触に泣いていることは分かった。きっと鼻水も大量に付着してることだろう。

 お気に入りの服なんだけど文句は言うまい。

 俺はそっと、怯えるような手つきでセシウの頭に手を置いた。置いたと思う。すごく曖昧な触り方をしてしまった。それが俺にとっての限界。

 それ以上を行ってしまえば、何かもう戻れなくなる気がした。

 クロームはずっと少女の手を握っていた。そのままずっと動かなかった。まるで時が止まってしまったかのように、ただその場にしゃがみ込み少女の安らかな寝顔を見つめていた。

 セシウの嗚咽だけが俺に時の流れを伝える。

 村人が全員死んだ。

 そんな事実は分かりきっていた。もう随分と昔に理解していた気がする。

 だけど、こうやって、見覚えのある少女の哀れな死に様を目の当たりにしてしまうと、どこか自分の中で制限をかけていた理解という行為とは比べものにならないほど、何の誤魔化しも効かない事実が心を貫く。

 これが看板娘じゃなくてよかった、と思ってしまう自分がいた。あれほどまでに慣れ親しんだ娘が、こうやって死んでいく様を目の当たりにしたら、きっと俺はどこかがイカれてしまったと思う。

 今でさえこれほどまでに胸が痛む。

 膿んだ傷口をフォークで抉られるような痛みがずっと胸の奥底にある。

 できるなら叫びたかった。そこに何かの意味があるわけじゃないが、とりあえず叫び声を上げてしまいたかった。

 やりきれない感情には当然行き場もなくて、俺の中で感情の許容量はすでに限界へ達していた。

 逃げるわけでもなくただ事実を受け止め、すがりつくように泣いているセシウに視線を落とす。

 こいつみたいに泣ける純粋さが、ほしかった。

 どれだけそうしていたんだろう。

 クロームはしゃらしゃらと埃被った少女の前髪を指先で撫でて、ゆっくりと立ち上がった。

「行くぞ」

 たったそれだけの言葉を、クロームは紡ぐ。

 振り返ることもなく、俺達に背中を向けたまま、まるで自分に言い聞かせるように。

 立ち止まっている場合じゃないことは分かっている。例えどんなに苦しくても俺達は進み続けなければならない。

 何せクロームは勇者で、俺達はその仲間なのだ。

 この現実から、逃げることは決して赦されない。

 まるで罪科を清算するために働き続ける咎人のようんだ。

「行くって、どこに?」

「決まっている。ベラクレートの屋敷だ」

 ……まあ、そうなるわな。

 むしろ、それ以外に行くべきところはない。

 この惨劇にベラクレート卿は必ず絡んでいる。問題はあいつが《魔族(アクチノイド)》と協力関係にあるのか、それとも利用されているだけなのか、という点だ。

 協力関係にあるのなら上手く立ち回って《魔族(アクチノイド)》の居場所を聞き出せるかもしれない。しかし、騙されていた場合、有力な情報は聞き出せないだろう。

 お抱えの魔術師にも引っかかる点がいくつかある。上手いこと、事態が動いてくれるといいが……。

 どちらにせよ行くしかないんだろうな、俺達は。

 それ以外にするべきことがない。

 そうする他に、勇者一行らしく振る舞う手立てもなかった。