1Cr Drudgery―白黒徒花―

04.#A757A8 Th群咲の魔女―Verse 7

 ベラクレートの屋敷へと向かう最中、いくつか覚えのある場所に立ち寄ったが状況は惨憺たるものだった。この状況で無惨ではない景色を探すことの方がバカげているんだろうけどさ。

 酒場にも立ち寄ろうと思ったのだが。それはプラナによって制された。考えてみりゃ、あそこのすぐ側に大魔導陣は設置されていた。最悪、魔界に飲まれた可能性もある。

 確認してみたい気持ちはあったけど、さすがにいつ新たな魔物が湧き出すかも分からない場所に向かうのは無謀だと判断し諦めた。この調子だと宿も絶望的だろう。

 あの子の花環も今となっては枯れ果てたはずだ。

 俺達は普通に活動できているけれど、魔界の大気が含む高濃度のエーテルは人間にとってかなりの毒物である。一般に障気と呼ばれるものだ。

 三時間もいりゃ簡単に死ぬことになる。

 植物だって例外じゃない。今頃朽ち果てているのがオチだろう。

 そういった意味でも、村人が生存している可能性は絶望的な数値だった。

 俺は二時間ほど、気を失っていたらしい。プラナ曰く、一歩間違えば死んでいたほどの重傷だったらしいので、よくそれだけの時間で起きられて、また今こうやって活動できるな、とさえ思う。

 プラナの才能には感謝してもしきれない。その力を少しでもあの少女に向けられたのなら、何か違っていたのだろう。

 今となってはどうしようもない仮定だな。

 クロームとプラナは俺が気絶している間に、魔界から現れた魔物を討伐していたらしい。クロームは最も身体への負荷と戦闘力が釣り合った、【旧き剣(アカシックブレイド)】の八小節解放の状態で戦い続け、プラナも魔術を駆使して村中を奔走していたそうだ。それでも村人を助けきることはできなかった。

 たくさんの村人が目の前で死んでいったらしい。

 当たり前だ。どんなに二人が卓越した戦闘能力を持っていたところで所詮は人間が二人。村人全員に覆い被さるようにやってきた厄災全てを振り払うことなんてできやしない。

 魔術が発動してしまった時点でこの結果は当然だと言える。

 それでもクロームは村にいる魔物のほとんどをすでに狩っていた。俺が倒したあの獅子は、残り僅かな魔物で一匹であったというわけだ。

 魔術が発動した当初には、村中を魔物が闊歩していたそうだ。

 それをたった二人でここまで殺してみせた。本当にこいつらは化け物じみた力を持っていやがる。

 先頭を歩くクロームの背中を見つめる。

 今あいつの胸の中に去来している感情はなんなんだろう。

 ふと、そんなことを考える。

 後悔? 自責? 憤怒? 憎悪? 悲哀? 無力感? 虚無感?

 今あいつの背中からそれを読み取ることはできない。ただぴんと伸びて、弱さを欠片も見せない背中がある。

 俺とクロームの間を並んで歩く、セシウとプラナの様子を窺う。セシウはすでに憔悴しきっていて足取りが頼りない。そりゃそうだ。こんな短時間の間にこいつが経験した苦しみは計り知れない。辛いに決まっている。むしろ立ち止まらずにいることを俺は賞賛したいくらいだ。プラナもプラナで魔術を多用したためか疲弊の色が見える。ただでさえ白い顔色は蒼白に近く、ただ歩いているだけなのに息が荒れている。魔術が身体にかける負担はそれほどまでに大きいのだろう。

 全員が追い詰められていた。精神的にも、肉体的にも、限界が近かった。

 辛うじて俺達を支えているのは、使命感と意地でしかなくて、一番の拠り所たる使命感なんてのは最早ハリボテ同然だ。守るべき者などここにはもういないし、果たすべきことを果たせてもいない。

 俺達は失敗した。失敗したのだ。

 その事実から目を背けて、ベラクレート卿に問い質すという勇者一行の格好をつける行動を見つけて、そこに縋るしかない。

 あまりにも危うい均衡だった。

 なまじ有能で失敗のなかった連中だ。今までの旅では全てが丸く収まってきていた。ただ必死に、懸命に戦えば、成功というものがやってきてくれていた。だからこそ、今回の大失敗は三人の心に重くのしかかっているはずだ。

 失敗ばかりの俺でさえかなりきているものがある。こいつらはそれ以上の苦しみを味わっているんだろう。

 ふと、俺の視界の端で何か黒い影がちらつく。誰か生きている奴がいると思って視線を向けた瞬間には、黒い影が俺達へと駆けてきていた。

 魔物だった。

 猿のような、でもそれよりもよっぽど獰猛な形相をした、魔物だった。

 地面を蹴って俺達との距離を詰めた猿は、そのままクロームへと飛び掛かり――

 飛来した銀色の剣に頭部を突き刺され、絶命した。

 クロームは顔一つ動かしていない。ただ歩くという行為を続けながら片手を振って、再現した剣を魔物へと飛ばしただけだ。

 特に何かを言うこともなく、クロームは歩き続ける。セシウとプラナは何も言えない。一番後ろを歩く俺も、言えるわけがない。

 ただ、その背を追う以外に何もできなかった。

 額を割られ絶命した猿の顔が俺達を嘲笑っているように思えた。




 ベラクレートの屋敷の敷地内は思いの外静かだった。広大な庭が広がるその空間の中で、耳が痛くなるほどの静寂を纏い、森厳と佇んでいる。まあ、庭って言っても、今や息づいていたはずの植物たちは全て枯れ果て、更地同然なわけだが。

 紫色の霧に包まれたそこはまるで魔城のようで、本当に魔王を討伐しに来た勇者みたいだな、なんていう逃避的な思考さえ浮かんだ。

 クロームは歩調を早めることも、緩めることもなかった。逸りも躊躇もなく、正面からベラクレート卿の屋敷へと進んでいく。

 足下に散乱していた村人の亡骸がいつの間にか兵士の亡骸へと変わる。上半身と下半身を引き千切られた兵士、頭部だけを持っていかれた兵士、最早四肢の一部しか残っていないものもあったし、血溜まりに鎧だけが倒れ込んでいるものもあった。きっと、溶かされたかね。

 こいつらも、まさか、自分達が被害に遭うとは思っていなかったんだろう。当然のようにベラクレート卿を信じ、使命を果たそうとしていたはずだ。

 こいつらの心がどうであれ、間違いなく連中も被害者なんだろう。

 加害者は、どいつなんだろうな。

 ふと、上空から奇声が聞こえ、弾かれるように素早く顔を上げると、そこには俺達目がけて急降下してくる怪鳥の姿が――次の瞬間には無数の剣を四方八方からブッ刺され、血飛沫を上げる肉塊だけがあった。

 これもまたクロームのやったことだろう。

 力を失い地上に墜ちる怪鳥を振り返ることもなく、クロームは未だに進み続けている。

 まずいな……。

 クロームの奴、相当キレてる。

 感覚が鋭敏になりすぎだ。それじゃ長くは保たないだろう。

 かといって何か忠告すれば先程の猿や怪鳥と同じ末路を今度は俺が辿ることになりそうだ。

 ここで調和が乱れるのはまずい……。

 黙ってるのが一番なのかね、結局。

 そんなことを考えている間に俺達は屋敷の前にまで到達していた。クロームは立ち止まらずに鞘から剣を引き抜き、豪奢な扉に向かって振るう。神速の太刀筋を目で追うことは叶わず、次々と扉に刻まれる直線だけが剣を振るっているという事実を伝える。気付いた時にはクロームの剣は腰の鞘にあり、そのまま呼吸を整えることもなくクロームは扉を蹴り飛ばした。

 無数の断片へと寸断された扉は呆気なく瓦解し、俺達に目配せをすることもなく、クロームは屋敷の中へと踏み行っていた。

 ……こりゃ、誰にも止められねぇな……。

 さあて、悪魔城への入城だ。一体どう出てくるだろうか。

 なにせここは敵陣の真っ只中。何が仕掛けられていてもおかしくない。

 俺は神経を研ぎ澄ませ、周囲を警戒する。

 正面玄関を蹴破った先には、エントランスホールが広がっていた。下手人としてここに突き出された時は、シャンデリアの輝きに照らされて眩しいくらいだったのに、今は一切の光もなく廃墟のような様相を呈していた。

 目視ではあまり状況が分からないとはいえ、内装はすでに記憶している。広いホールには二列に整列した円柱が並び、足下には黒と白のタイルが規則正しく交互に敷き詰められている。

 両側には各部屋と通じる扉が並び、最奥には一際大きな扉がある。その扉を囲むように緩やかな弧を描いた階段が二つ、吹き抜けの二階へと伸びている。

 見たものはなんでも記憶しちまうのは俺の癖だ。一回来ただけでも、間取りは意識せずとも記憶できる。

 そういう風になっちまってるからな。習慣のせいで。

 閉め切られていたのだろうか。濃厚な血の臭いが鼻を衝いた。最早嗅ぎ慣れてしまった臭いだった。

 ……ここも、外と同じような状況らしい。いやになるね、全く。

 クロームがエントランスホールを進んでいくと、ぴちゃりという濡れた音が耳を舐めた。どうやら血溜まりを踏んだようだ。

 大した反応もせずにクロームはエントランスホールを進む。セシウやプラナも、最早大きな反応は見せなかった。反応する余裕もないんだろう。

 俺も三人の後ろを付いていくと、少しずつホールの全容が見えてきた。開けた空間の中には無数の死体が放り出されていた。暗くて、全てを数えることはできないが、目に入る範囲でも相当の数だ。燕尾服や給仕服などから察するにほとんどベラクレート卿の使用人だろう。

 魔物達に襲われて、命からがら逃げてきてエントランスホールで殺された、といったところか。

 全く、本当に分別ってのがねぇな。そんな奴に仕えていたこいつらが哀れでならない。

 クロームが何の反応を示さなかったのも分かる。こんな場所じゃ死体や血溜まりを避けて通るのは無理だ。どいつもこいつも鮮血をブチ撒けて死んでいる。

 わざわざ避けて通るのもさぞ面倒だろう。

「あらあら、これはこれは」

 俺達がホールの中程まで至ったちょうどその時、ホール全体に聞き覚えのある声が反響する。

 子供が背伸びをしているような大人ぶった声――トリエラ……ベラクレート卿お抱えの魔術師。この村に魔導陣を仕掛けた張本人。

 やっぱり生きていやがったか。

《魔族(アクチノイド)》に騙され、自らのその魔術の犠牲となったのならまだよかったのにな。

 残念ながらこちらのクロームさんは絶賛マジギレ中だ。最悪、トリエラが《魔族(アクチノイド)》と密接な繋がりを持っていなくても、ぶち殺されかねない。

 魔物の餌食になっていた方が、まだ同情を引いたな。

 ホールの最奥にある一際大きな扉の上、弧を描いた階段を昇った先にある踊り場に、前触れもなく光が灯る。

 シュボッという短く力強い発火音を伴って、踊り場の両側に紫色の炎が現れた。

 なんだ、あの炎は?

 目を細めて炎を見つめると、それは人を包帯で余すところ無くくるんだ燭台だった。油でも染み込ませているのだろうか。頭部は勢いよく燃え、包帯から零れた髪はあっという間に焼け落ちていく。

 趣味の悪い燭台を両側に飾り、トリエラは踊り場の欄干の上に腰かけていた。虚空に投げ出した白い足を組み、艶めかしい太股を見せつけながら、煙管を咥えるその姿は応接間で出会ったあの時となんら変わっていない。周囲には三頭の蝶が舞い、羽ばたく度に菫色の鱗粉を振り撒いている。

 なんなんだ、あの鱗粉は? やたら強い輝きを放っている。

 紫色の炎に照らされたその顔は艶然とした笑みを湛えており、どこか上機嫌のようにさえ見えた。

「ご機嫌麗しゅう、勇者御一行様。まだ生きておられたのですね。今日はもう遅いですから、早々にあの世へお帰り願えませんでしょうか?」

 どこまでも丁寧で気品溢れる口調で、トリエラはそんなことを言う。

 クソ……やっぱり、こいつも黒幕の一人か。利用されてるってわけじゃあなさそうだ。

 全然取り乱した様子がない。この事態は分かりきっていたことらしい。

 憎悪が込み上げてくる。今すぐあの女をあの階段から引き摺り下ろしぶち殺してやりたい。

 出来る限りの苦しみを味わわせ、女として生まれたことを後悔させ、自分がしでかした行為の罪深さを自覚させ、さんざん謝罪の言葉を言わせた後に、可能な限り時間をかけて殴り殺してやりたい。

 どす黒い感情が溢れ出してくる。

 あらゆる痛めつけ方を考えている自分がいる。そんな非人道的な方法が絶え間なく浮かぶ、自分の脳みそに僅かばかりの嫌悪感さえ抱くほどだ。

 なんならしばらく苦痛の中を生き存えさせて、相手の快楽なんて考えず暴力的な強姦を繰り返し、身ごもった子供を腹から引きずり出し、食わせてやるのもいい。

 きっと気分がいいだろう。

 何としても、あの女が泣き叫ぶ顔を引き出してやりたい。絶望のどん底に叩き落として、その端整な顔立ちを苦痛や悲しみや惨めさや恥じらいや後悔や悔恨でぐしゃぐしゃに歪ませ、何よりも惨くて惨めで薄汚れた死を与えてやりたかった。

 それでも、今は手を出すわけにはいかない。《魔族(アクチノイド)》の情報を可能な限り聞き出してからだ。

 まあ、話さないなら、気の向くままに拷問でもしてやればいい。それはそれで愉快なことになりそうだ。

 人間としての尊厳を散々踏み躙り、俺のどす黒い感情の捌け口として使い倒し、無惨に殺してやる。

 想像しただけでも、嗤いが込み上げてくる。俺は吊り上がりそうになる唇の端を必死に抑え込んで、トリエラを睥睨する。

 他の三人もまた、同じようにあいつを睨み付けているだろう。

「あらあら、なんて怖いお顔でしょうこと。育ちの悪さが滲み出ておりますわよ? うふふ、挨拶もできないのですか?」

「黙れ、小娘。ベラクレートを出せ」

 クロームが低い声で唸るように言う。クロームらしからぬ感情任せの口調だった。

 無理もない。

 ベラクレートどもはクロームの逆鱗に触れてしまった。普段なら、この状態のクロームからは三十キロメートル以上距離を取っていたいと思うほどだ。

 最早、クロームはこいつらに対して容赦しないことだろう。

 だが、トリエラはくすくすと子供のように愛らしく笑うだけだ。その仕草さえ気に障る。

 目を抉ってやりたい。口を引き裂いてやりたい。頬を削いでやりたい。その顔に硫酸をぶっかけてやりたかった。

「何をそんなに怒っているのです? たかだか村一つ消えただけのこと。瑣末ですわ、実に瑣末ですわ」

 くすくすとトリエラは悪戯っぽく、それでも上品に幼い笑みを零す。どうにも釣り合わない仕草だ。やんちゃな子供の意地悪い態度と、育ちのいい令嬢の上品な振る舞いが混在していて、言動を把握しづらい。先読みできない相手は苦手だ。

 クロームは鞘に納めたばかりの剣に手をかけ、鯉口を緩めた。

 基本を確かめるように、ゆったりとした動作、その厳粛さに俺は息が詰まる。

 今、あの女はわざわざ自分の命を縮めている。ご苦労なことだ。

「貴様、瑣末と言ったか」

 低く唸るような声は、ぼそりと零れたように転がり墜ちたというのに、広いエントランスホールにずっしりと反響する。

 クロームの声は、本当によく通る。

 民衆を先導する者には必要な要素だ。

「増長だな。生かす価値もない」

 冷たく言い放ち、クロームが剣を抜く。トリエラの唇の両端が吊り上がり、爬虫類のような気持ち悪い笑みを浮かべたのを俺は見逃さない。クロームの剣先が煌めき、切っ先が遠方のトリエラへと向けられる。

 刹那、トリエラの斜め上方に閃光。

 瞬きに気付いた時にはすでに遅く、この世に蘇った大剣がトリエラの心臓目がけて放たれていた。

 容赦ない一撃は確かにトリエラの心臓を貫き、その細い身を背後の扉へと縫い付けたことだろう。

 トリエラがいた場所へ木端微塵に破壊された扉の破片が降り注ぎ、あの女の姿を視認することはできない。

 それでも、逃げることはできなかったはずだ。そんな余裕などなかったはずだ。

 だというのにどうにも引っかかる。あいつが最後に見せた気味の悪い爬虫類染みた笑みが頭から離れない。

 何故、あいつは最後に笑った? 最後? 最期じゃなくて?

 どっちだ?

 きっとトリエラは心臓に大剣を深々と突き刺され、あの向こう側に倒れているはずだ。