1Cr Drudgery―白黒徒花―

04.#A757A8 Th群咲の魔女―Verse 8

「うふふ、乱暴な殿方ですこと。堪え性がないというのは考え物ですわね」

 背後から冷たい声が耳を這う。背筋に冷たいものが駆け上がり、俺達四人は一斉に振り返っていた。

 振り返り際に銃を引き抜き、相手を視界に収めるよりも早く弾丸を放った。

 ホールに反響する銃声。しかしその弾丸はモノクロのタイルの上で虚しく撥ねた。

 ちょうど、トリエラの足下のタイルに弾痕が深々と刻まれる。それを見て、トリエラは艶然と微笑んでいる。黒い手袋で覆われた指先に挟んだ煙管を上機嫌に弄ぶ。

「ダメですわ。全然なっておりませんわ。本当に、ダメ。マナーも戦い方もなっておりません。底が割れますことよ?」

 ……なんで……こいつは俺達の背後にいる? さっきまで階段の上にいたはずだというのに……どうやって?

 俺の横合いを真紅の一閃が駆け抜ける。雄叫びと共に疾走したセシウは拳を振りかぶり、トリエラの顔面へと拳を叩き込ん――

 拳は虚しく空を裂き、蹈鞴を踏んだセシウはそのまま勢い余って地面を転がってしまう。

「うぐっ!」

 ばさり、と傘の開く音。気付けば、レースのあしらわれた黒い日傘を差したトリエラはセシウのすぐ側で上品に膝を揃えて折り、床に倒れたセシウの顔を覗き込んでいた。

 にっこりと、少女は優しく微笑む。

「あらあら、お嬢さん、そんなところで寝ていては、身体を痛くしますわよ? 貴方には地獄の腐った土がお似合いですわ」

「くっ!」

 セシウが倒れた状態のまま撥ねるように足を振り上げ、トリエラの顎に一発お見舞いしてやろうとするが、それも無駄な抵抗。トリエラはいつの間にかセシウの背後に立っていた。

 おいおい、どうなってんだ?

 速いとか、そういうレベルじゃねぇ……。確かに視界に収めているはずだというのに、次の瞬間には消えている。

 どういうトリックだよ、こりゃ……。

 今度は白銀の一閃。数条の銀の閃きが頭上からトリエラへと殺到する。クロームが精製した剣だ。

 素早く反応したセシウは身体を転がして剣の雨から逃れる。

 しかしそれらの剣さえもタイルに突き立てられるだけで、その場所にはもうトリエラがいない。

 そう思った矢先には背後で甲高い金属音が響く。急いで振り返ると、煙管の羅宇でクロームの振り抜いた剣を簡単に受け止めるトリエラの姿があった。片手で日傘を差したまま、指先に挟んだだけの煙管で、鉄さえもバターのように切り裂くクロームの太刀を防いでいる。

 馬鹿げてる……。

 俺の視界の端でプラナが杖を振る。先端の三日月を模した飾りに嵌められた水晶が紅い鱗粉を撒き散らし、灼熱の炎を放つ。火の元素を用いた第五魔術、か。

「死に晒せッ!」

 透き通った愛らしい声でそんな危なっかしい言葉を叫んだプラナの杖から人の頭程度の大きさの火球が三つ放たれ、トリエラへと襲いかかる。巻き込まれないためにクロームは素早く背後へと飛び下がった。

 トリエラはくすりと嗤い、黒い日傘をくるりと回す。

 次の瞬間には飛来した火球がトリエラへと直撃する。爆音の三重奏が俺達の耳を劈く。

 湧き上がる橙色の光が。闇に隠された死体の姿を俺達の視界へと映し出した。

 プラナの放った炎は容赦なくトリエラを燃やし尽くしたはずだ。確かに今のは直撃だった。

 ……事実、魔術はトリエラに当たったのだろう。

 それは間違いない。

 じゃあ、タイルの上で燃え盛る炎が酸素を喰らう音に紛れて聞こえてくる、紫煙を吐き出す音はなんなのだろうか?

「新しい煙草に火を点けるには、程度のいい火力ですわね」

 炎を取り囲むように立った俺達四人に戦慄が走る。

 おいおい。おいおい……どうなってんだ。

 揺らめく炎の向こう、気丈に微笑むトリエラの姿を俺たちは見出してしまった。

 火傷も一切の傷もなく、炎を避けるようなこともせずそこに立っている。煤の一つも被っちゃいねぇ。

 差している日傘のレースだけが僅かに燃えている。

「まさか……あの短時間で傘の硬度を上げた?」

「ヘカテー学院では、そんなことも教えていないのかしら? 魔術師様」

 くすりと首を傾げて、トリエラは笑う。

 これは何かの夢か? 幻か?

 天下の勇者一行が四人がかりで、少女一人に太刀打ちできないなんてどうかしてるとしか思えない。

「なめるなっ!」

 プラナが叫ぶ。瞬間、杖の水晶が緑色の燐光を放ち、突如として烈風が吹き荒れる。俺達の髪掻き乱し、服の裾を弄んだ一陣の風は真空の太刀を伴い、トリエラへと襲いかかる。床を舐める炎の火勢を強めた風は灼熱の颱風となってトリエラへと襲いかかる。

「組成がゆるゆるだわ。再提出ね」

 微笑みを湛えたまま冷たく、見下すように言い捨て、紫苑の髪をふわりと揺らしたトリエラは煙管を軽く横に振るった。途端、烈火と烈風が反転し、今度は俺達へと襲いかかる。

「なっ!」

 愕然とする俺の身体がふわりと浮かぶ。そう感じた時にはすでに俺のことをセシウが担いだまま、走っていた。その隣にはプラナを抱きかかえて併走するクロームの姿。

 そして背後には炎の顎と風の爪。プラナが放った魔術そのものが俺達へと向かってくる。いや、そうじゃない。プラナの魔術をさらに強化したものだ。

 風に後押しされる炎は疾く、火勢も遙かに強まっている。振り切れないと判断したセシウが右側へと飛ぶ。対してクロームは左側へと軌道を逸らし走り抜ける。

 分断された……!

 セシウはそのまま俺を抱きかかえるような体勢となり、背中からタイルに衝突する。耳元でセシウの呻く声が聞こえる。

 床の上でセシウの身体が撥ね、俺の身体が空中へと投げ出される。俺は受け身を取ることもできずに左肩から床へと墜落し息が詰まる。身体は止まりきれずにモノクロタイルの床をほんの僅かな距離を滑ってようやく止まってくれた。

 旋風を纏った炎の獣は俺達の脇を抜け、転がる死体を貪りながら真っ直ぐに駆け抜けていき、やがてエントランスホールの終端である壁へと轟音と共に衝突した。炎が弾け、一瞬視界が橙色に染まる。まるで内臓を撒き散らすように火の粉を散らし、天井へと舞い上がる炎。

 熱風が頬を叩き、呼吸をするだけで咽喉が焼ける。肌をちりちりと熱気が舐めていた。

 雪のように舞う火の粉の中、俺は燃え盛る炎に照らされて橙色の光沢を帯びたモノクロタイルに手をついて、ふらふらと立ち上がる。

 セシウも腰を押さえながら立ち上がろうとしているが、動きは鈍い。身動きする度に顰められる顔が、全てを物語っている。

 俺を庇うようにして背中から落下したからな……。そりゃ痛めてもおかしくない。

 全く、余計な無茶ばかりしやがって。

「セシウ、戦えるか?」

「うん、だいじょ……ッ……!」

 強気に笑おうとしたセシウの唇の端から苦痛が漏れ、顔を歪めて腰を押さえる。

 ……ちょっと、まずいかもしんねぇな……。

 クロームとプラナは大丈夫だろうか。二人の影を探して、俺はホール内を見回す。

 炎に照らされて浮き彫りになった死体ばかりが目に付いた。炎の強い光は俺達の周りは照らしてくれるが、それ以外の場所の闇をさらに強めてしまっている。

 まずいな。夜目が利かなくなりそうだ。

 黒い闇に目を凝らす。見えないものをなんとか視ようとする。

 ふと、俺は闇の中に白銀の煌めきを見た。

 ――クロームか?

「セシウ、行けるか?」

「行けると、思う」

「珍しく気弱だな」

 曖昧な返事に俺は微かに笑う。

 らしくない。

「そりゃ……自信は持てないよ、こんな状況じゃ」

 何気ないセシウの言葉の続きに、俺の顔はほんの少しだけ引き釣る。

 ――ああ、そうか

 こいつも今回の一件で、この取り返しのつかない失敗が招いてしまった惨劇で、大事なものを失ってしまったのか。

 それは無謀さ、大胆さ、勇敢さ。こいつは自分の考えを信じきれなくなっている。だから考えるよりも先に猪突猛進することもできず、失敗した時のことを考えて躊躇してしまっているんだろう。

 そういうのを人は成長って言うんだろうな。

 そりゃ浅はかじゃないのはいいことだし、むしろ思慮深い方が人としては生き易い。他人だったのなら、俺はそれを成長と呼んだはずだ。

 失敗から学ぶのが人間だからな。

 でも、なんだかこいつが真っ直ぐ突っ走れなくなるっていうのは、同時にその純粋なひたむきさまで失ってしまうことのように思えて、どうにも歓迎できない。

 宝物が汚れてしまったような、大事なものを壊されてしまったような、そんな感覚。

 こいつにはいつまでも純粋に、真っ直ぐでいてほしかった。

 うだうだと考え込むより先に行動できる奴であってほしかった。

 考えるのは俺の役目だ。セシウにはやりたいようにやってもらいたかった。

 この惨劇は、それさえも奪ってしまうというんだろうか。

 そんなのあまりにも残酷じゃねぇかよ。

 目の前の現実が理不尽に思えて仕方なく、俺は唇に歯を立てていた。舌先に僅かな血の味が染み込む。

 妹と呼んだ女一人の純粋ささえも俺は守れちゃいねぇのか。こいつの心が惨劇に陵辱されてなお、俺は何もしてやれないのか。

 家族同然の存在だった。子供の頃から兄妹のようにいつも一緒だった。

 誰よりも多くの時間を共有した存在だった。

 家族であると、妹であると、自然にそう思っていた。

 だけど、違うんだろう。結局、俺とこいつは他人同士だし、家族でも、兄妹でもない。

 ただの一度も守ってやることのできていない俺が、家族だの兄だのの振りをしていることさえ、本当はおかしいことだ。

 身の程を知らないのはいつも俺だ。俺だけがいつも自分の立場を履き違えている。

 なんとも自分の姿は滑稽だな。

「ガンマッ!」

 ふと、セシウの声が耳朶を叩き、俺の意識は思考の海から急浮上した。ハッと弾かれるように顔を上げると、目の前には煙管を振りかぶったトリエラの姿が――と思った瞬間には視界から紫苑の髪の少女は消え失せており、一拍遅れてトリエラがいた場所に銀色の剣が突き刺さった。空しく空のみを裂いた細身の剣はエーテルに分解され、燐光を散らし消えていく。

「ガンマッ! ぼさっとするな!」

 クロームが叫ぶ。剣を携え、俺の方へと駆けてくる。俺の方? 違う――

 俺は背後へと体を反転させながら銃を構え、視界に霞のように映った残像へと引き金を引いた。

 耳を劈く銃声。銃口で火が爆ぜる。手に感じる反動。無理な体勢で強引に撃ったため、手首が僅かに軋んだ気がする。

「くぅっ……!」

 声が聞こえた。誰の? 俺の?

 違う。俺じゃない。

 目の前には両手で腹部を押さえて、身体を折ったトリエラの姿があった。端正な顔は苦痛に歪み、呪うような目で俺を睨み上げていた。

「そんな……見えなかった……!」

 腹部を押さえる両手の指の隙間から零れ落ちる赤い液体。止め処なく溢れて、指の隙間を滴っている。それは間違いなく鮮血。

 俺の銃弾は確かにこの女の腹部を撃ち抜いていた。この女に対して、ようやく一撃を与えることができた。

 そして目の前では腹部を押さえ、苦痛に顔を歪めるトリエラ。

 殺れ――

 誰かが言う。

 誰かが俺に命令口調で偉そうに怒鳴っている。

 誰だ?

 どうでもいい。

 それは俺が今最もするべきことなのだから。

 俺はゆっくりと一歩を踏み出す。確かめるようにさらにもう一歩踏み出す。

 少女の顔が近付く。痛みというものに慣れていないのか、額に脂汗を浮かべ動くこともできていない様子だ。

 人の痛みも知らず、村人に多くの苦しみを与えた。

 赦すわけにはいかない。赦せるはずがない。

 誰が赦しても俺はこいつを赦さない。

「な……何……?」

 少女の胸倉を掴み、俺はその矮躯を持ち上げる。羽でも生えているかのように軽い。少女の細い身体は簡単に持ち上がり、爪先も床から離れた。

 整った少女の唇から呻き声が絞り出される。熱を帯びたその吐息は肉感的で、少女とはあまりにも不釣り合いだった。

 そのまま俺は少女の首を締め上げる。緩く、それでも呼吸が儘ならないように確実に、気道を潰していく。

 簡単には殺さない。

 そう簡単に殺してなるものか。

 じっくりと嬲って、殺してやる……!

「うふ、ふ……なぁに? そんな、に……怖い顔を、して……。がっつく男は……趣味でありま、せんの……うぐぅっ!」

 尚、上品に構えようとする少女の首を強く絞め、言葉を強引に遮る。

「お高く止まってんじゃねぇよ」

 俺の声は驚くほどに低くて、まるで自分のものではないようだった。

 手に力が籠もる。

 力の調整ができない。ただ全力で、この女の首を絞めることしかできない。

 復讐の算段をどれだけ考えても結局はここに行き着く。力の限り殺すことしかできない。

 極まった憎悪とはただ殺すことしかさせない。それ以外の考えを遮断する。ただ憎むべき相手を殺すことしかできず、それ以外のことを考える余裕なんてありはしない。

 ――殺せ――殺れ――今すぐここで――

「てめぇは醜く泣き叫んで、惨めに死んでいくのがお似合いなんだよ……!」

 酸素を求めるように口を大きく開く少女の姿はまるで餌を求める魚のように醜くて、見ていて最高に気分がいい。小さな手を俺の手にかけて引き剥がそうとするが、特に邪魔にもなりゃしない。

 無様に抗う姿は生殺与奪を握った身としては何とも滑稽だ。

 足をばたつかせている。小さな足だ。細くてしなやかだ。ドレスから零れる白桃のような太股は何とも艶めかしい。

 たまに膝に爪先が当たるが、そんな痛みも気にならない。

 口から涎が零れる。滑らかな肌を滑った唾液は、そのまま細い首筋を伝って、俺の手にかかる。

 雪のように白かった頬は紅くなり、円らな瞳は充血し、涙に濡れている。

 気分がいい。

 情けない顔だなぁ、おい。醜くて、見苦しくて、この顔を衆目に晒してやりたいくらいだ。

 しかし、その瞬間、少女が涙でぼろぼろになった顔で、毅然と不敵に微笑んだのを、俺は見た。

 見ていたはずだった。

「――!」

 いない……?

 俺の手は空を掴んでいた。もうそこには少女の姿なんてない。

 何故だ?

 どうして?

 俺の手の中には確かにあの女の体温がある。感触だって残っている。

 だけど、それなのに、どうして誰もいない?

 どういうことだ……?

「あー、とても痛かったわ。とてもとても苦しかったわ。酷いですわ。淑女(レディ)にこのような仕打ちをなさるなんて」

 背後から、声が聞こえた。

 ぞくりと背筋が凍り付く。首筋には何か冷たい感触。

 指先が俺の首をなぞっているのが分かった。

「このような酷い行いをなさるような殿方は、醜く泣き叫んで、惨めに死んでいってもらわなければなりませんわね」

 くすくすとトリエラが笑う。

 あー……クソ……。ふざけやがって……。

 心の中で毒づく。結局、俺は遊ばれていただけかよ……。