1Cr Drudgery―白黒徒花―

04.#A757A8 Th群咲の魔女―Verse 9

「うおらああああ!」

 背後から聞き慣れた雄叫び。途端、首筋から指の感触が消える。

 振り返ると、拳を振り抜きながら顔を歪めるセシウの姿があった。腰の痛みが大分酷いようだ。激しい運動をするだけで激痛が走っているのだろう。

「うぎぎ……いったぁ……!」

 そのまま腰を押さえてしゃがみ込むセシウ。

「無茶しやがって……でも助かったわ、サンクス」

「うぃーっす……ちょっと戦力には期待せんでねぇ……」

 痛みを堪えながらあははと気弱に笑って、セシウは俺にひらひらと手を振る。

 まあ、あんまり無理はさせられんな。

 出現したトリエラをクロームが素早く迎撃する。神速の一太刀を羅宇で受け止め、トリエラは後ろへと飛び下がる。

 ふわりとドレスが風を孕んで膨らむ。

 その腹部に……傷が……ない?

 着地する寸前のトリエラの横合いから、今度は火球が闇を吸い込みながら飛来する。トリエラは長い髪を棚引かせながら炎の方へと顔を向け――

 その姿が消失する。

 火球は虚しく床に衝突し、小規模の爆発を起こす。身体へと叩きつけられる熱風を帯びた爆音に俺は顔を顰めた。

 火の粉が舞うその場所にはもうトリエラの面影はない。

 さらに別の場所で鋭い金属音。視線を巡らせば、クロームとトリエラが剣と羅宇を噛み合わせていた。

 相変わらずトリエラは指の間に煙管を挟んでいるだけ。どうしてそれで鍔迫り合いができるのか分からない。

 セシウ同様に魔術で強化でもしているのだろうか?

 クロームが剣を傾け、トリエラの羅宇を下へと流す。トリエラは素早く煙管を引き戻し、さらにクロームへと振るう。剣と煙管がぶつかり合い、二人の間で火花が散る。さらに一合二合三合――何度も何度も火の徒花が咲き誇り散っていく。

 おいおい……クロームの舞うような剣技と渡り合うなんてどういうことだよ?

 遅れてやってきたプラナも、援護をすることができない。クロームとトリエラの距離が近すぎる。下手に魔術を放てば、クロームまで巻き込んでしまうことになる。

 もう何合目かも分からない、剣と煙管の打ち合い。クロームは素早く剣を引きながら身体を回転させ、勢いをのせて蹴りを放つ。

 申し分のない不意打ちだ。普通の相手だったら、多少のダメージも期待できたはずだ。

 それでもクロームの脚は虚空を貫いた。

 大した動揺を見せることもなく、クロームは反転。背後に現れたトリエラに剣を振るう。

 トリエラは先程と同様軽やかな動作でふわりと剣を避ける。トリエラと剣の距離は紙一重。それでもトリエラの顔に恐怖はなく、艶然と微笑んでいる。

 ……余裕なんだろうな、あいつからすれば。

 しかし、この状況に於いてクロームはぎらぎらとした眼でにやりと嗤っていた。

「動きが単調だな」

 言って、クロームは右手に構えた剣を天井へと掲げた。

「伝説よ、今へと還れ。降り注げ、白銀(シロガネ)の時雨よ」

 短く、謳うようにクロームは呟く。

 途端、トリエラの上空に大量の剣が出現した。瞬きもせぬ間に、閃光を伴ってそれは再現された。

 幾百もの伝説級の剣の群衆。その一振り一振りが世界で語り継がれる伝説を背負った名剣だ。行方も杳として知れぬままとなった伝説の象徴は、今この場所へと還ってきた。

 普段は省略している詠唱を行ったことで、精度も速度も数量も圧倒的だ。

 頭上に浮遊し、天井を覆う銀の群れの切っ先は全てトリエラへと向けられている。

 トリエラが微かに後ろへと下がると、その都度剣の向きは修正される。

【旧き剣(アカシックブレイド)】はなんとも羨ましいことに全自動の追跡が可能だ。放たれた後は直線的な移動しかできないが、それまでは相手がどんなに素早く動き回ろうと、切っ先は綺麗に対象から離れない。

 蛇竜を倒した時がいい例だ。どんなに逃げ回ろうと、決して逃れることなんてできない。

 天井を覆う剣を見上げ、トリエラはうっすらと笑みを浮かべる。

「ふふ、伝説の無駄遣いね」

 呟いたトリエラへと向けて、二条の剣が降ってくる。トリエラは即応し、背後へと飛び下がることで剣の矢を避けた。床へと突き刺さる、意匠の凝らされた二振りの剣。

「ムダかどうか、貴様の身を以て知るがいい」

 唸るように、それでも抑揚のない声で吐き捨て、クロームは愛剣の剣先をトリエラへと突き付けた。

「怖い怖い。本当に怖いわ。泣いてしまいそうなほどに」

 くすりと微笑んだ瞬間、トリエラの姿はまた前触れもなく消え失せた。

 ムダなのは、どっちだ。

 どんなに速く逃げ回っても【旧き剣(アカシックブレイド)】は決して逃がしてなどくれない。

 どんなにトリックかは知らないが、頭上を覆い尽くす剣がお前の居場所を教えてくれる。そう考えながら、俺は天井を見上げて息を呑んだ。

「は……?」

 剣の切っ先は全てが全て、それぞれに異なる方向を向いていた。

 どうなってんだ……。

 おかしい。

 例え【旧き剣】の補足範囲外に逃げても、剣は一定の方向を向いたまま停止する。こんな乱雑とすることは今までなかった。

 しかも剣の切っ先は未だに微かに動いている。それぞれの剣は、何かを追っている。

 どういうことだ?

 対象がトリエラという個体だけである以上、別々の方向を向くわけがない。また剣が未だに方向修正を行い続けている以上、そこにトリエラがいなければおかしい。

 ……クロームもこの事態は予想外だったらしく、剣を見上げたまま硬直している。

 剣がその軌道を大きく修正していく。ばらばらに向かっていた剣が細かく動き回り、やがて一箇所へと集約していく。

 俺達より僅かに離れた場所に全ての剣が向けられた時、そこにはくすくすと笑うトリエラの姿があった。

 クロームは即座に頭上に広げた剣の四振りをトリエラへと飛ばす。その場から今までと同じように、トリエラの姿が消える。

 すぐさま剣に視線を移すと、やはり剣の切っ先の向きはバラけている。それぞれが素早く動き回り、また同じ場所へと集まった。

 視線を示す先に向ければ、やはりというべきか、そこにはトリエラの姿があった。

 一体、【旧き剣(アカシックブレイド)】は何を追っているんだ?

「ま、まさか……そんな……」

 ふと、プラナが小さな悲鳴を上げる。口元を手で覆い、フードの下から覗く片目は見開かれていた。

 まるで目の前の現実を認めたくないように、トリエラの姿を凝視したまま震えている。

「……自分自身を、エーテルに分解したっていうの?」

「あらあら、ようやくお気付きになったの? おバカさんにしては上出来ですわ」

 にっこりとトリエラは微笑んでみせる。

「ど、どうして……そんなことができるというのです……。人間がするようなことじゃ……!」

 わなわなと唇を震わせながら、プラナは呆然とした声で呟く。

 なんだ……?

 どうしてプラナはそんなに驚いている? いや恐がっているのか?

 どっちにしても解せない。タネが分かった手品なんて何も恐れることはないだろうに。

 なんでプラナはそんなに怯えているんだ?

「あらあら可哀想に。生まれたての子鹿のようだわ。そのような弱さで勇者一行ですの? うふふ」

 頬に手を当て、トリエラはくすくすと笑う。

 全貌が全く分からない。どういうことなんだよ、一体。

 この二人以外、置いてけぼりになってしまっている。

「おい! プラナ! どういうことだ!」

「か……彼女は……自分の身体をエーテルに分解して……空間を移動しています……!」

 震えた声でプラナは声を絞り出す。

 でも、それはもう分かっている。

「だからなんだってんだよ?」

「分からないんですか!? 一度エーテルに分解された以上、その意識は死んでしまうんですよ!? 例え、再構成された存在が同一の身体、記憶、精神、魂を維持していても、それはもう別の存在なんです! 主観は死んでしまうんです……。本人の中では、何度も死んでいるも同然なんです……!」

 ……つまり、なんだ?

 もし俺が同じことをした場合、そこで俺の意識というものは死亡するのか? そして新しく再構成された俺という意識が、継続した思考を繰り返すというわけか。

 傍から見れば何も変わらない。何一つとして変化など分からない。

 ただ、俺個人の主観だけが消え失せるということか。

 ……だとしたら、あいつは何回死んでいる? 何度も何度も死んで、それでも新しく構成された自分が自分という存在を継続させる……。

「こ、こんなこと……普通の人間がするようなことではありません! あまりにも……狂っている……!」

「何をそんなに恐れているのです? 別に私の主観が途切れたところで、新しく再構成された私の意識は、私として継続する。それならそれでいいじゃありませんの? うふふ、なんて弱いのでしょうね、魔術師様」

 当然のことのように、トリエラは言う。こいつには、主観の死なんてどうでもいいのか?

 狂っている。

 自分自身の意識は死ぬ。新しい自分は確かに今までと変わらず振る舞うかもしれないが、それでももう今の自分は完全に消滅する。

 今まで自分がいた場所には自分とは違う自分が居座り、今まで自分が得た物全てをそいつが奪っていってしまう。

 それをどうして許容できるんだ?

 俺ならごめんだ、そんなこと。

 とてもじゃないが、そんなことはできない。

 なるほど、こいつは確かに狂ってる。

 そんなものを平然と多用できる精神が理解できない。

「ふん、主観の死すら恐れないか。ならば、その命、贖罪に捧げても構わんな……」

 ふと呟き、クロームが疾駆する。地を蹴った身体は世界を縮め、トリエラとの間にあった距離を一瞬にして翔破する。

 目に止まらぬ肉薄――一閃の煌めきがトリエラの身体を切り裂いた。

 いや、もう、その場所にトリエラはいない……。

 また一つ、あいつの主観が死んだ。

 そんなこと、あいつにはどうでもいいことなんだろう。

「勘違いしないで頂戴。別に私は、命がいらないわけではないわ。私は、私という存在を継続させることができればそれでいいの」

 トリエラの声が聞こえる。剣を振り抜いたばかりで体勢を整えきれていないクロームの背後に、少女は再構成されていた。

 俺は即座に銃を構え、トリエラへと発砲していた。トリエラは一瞬にして分解され、その場から完全に消え失せる。

 次いでプラナが詠唱を省略して魔術を高速で発動させる。現れたばかりのトリエラ目がけて真空の太刀が突風を伴って放たれる。再構成されたばかりのトリエラは再び自身を分解し、移動する。真空の太刀は目標を失っても尚駆け抜け、足場に転がる死体を切り刻みながら、壁へと衝突する。猛獣が引き裂いたような深い傷跡だけが虚しく壁に刻まれた。

 クロームは上空に展開した剣を操り、トリエラが再構成される度にいくつかの剣を放つが、それら全ても少女には当たらない。

「気を付けて下さい! 彼女は自身の身体を再構成する時に、肉体の損傷も再生しています! 一撃で止めを刺さなければ意味がありません!」

「はぁ!? じゃあ、どうしろっていうんだよ!」

 捉えられない上に一撃で仕留めなきゃ意味がないなんて、そんなのどう考えても不条理だろう。

 どうかしているとしか思えない……。

 一体どうやったらこいつを殺すことができる……? 考えろ……考えるんだ。

「ガンマ……私があの子を動きを封じれば……」

「バカなこと考えんな。それに、あいつは例え動きを封じてもすぐに逃げ出せる。意味がねぇ」

 俺があいつの首を絞めている時でさえそうだった。どう考えたって無理だ。

「じゃあ、どうやって……」

「だから! 今それを考えてんだよ!」

 俺の突然の怒鳴り声に、びくんとセシウの肩が撥ねる。

 考えが巧く纏まらず、つい感情的になってしまった。

 自分の前髪をくしゃりと握り、俺はため息を吐き出す。

「悪ぃ……今考えてる……手はあるはずだ……必ず、どこかに……」

 今もクロームとプラナが分解と再構成を繰り返すトリエラに翻弄されながらも何とか戦ってくれている。

 なんとか探し出さなければならない。

 あいつを倒しきる作戦を……。

 どこかに穴があるはずだ。必ず欠点があるはずなんだ。

 なければおかしい……。

 完全なんてあってたまるものか。

 考えろ、考えろ、考えろ。