1Cr Drudgery―白黒徒花―

04.#A757A8 Th群咲の魔女―Verse 11

磔刑の少女。

 生まれたままの無垢な姿で吊された清らかな裸身であれば、それはある種の芸術のようにも見えるのかもしれない。

 そうだったらどれだけよかっただろうか。

 少女の身体は傷だらけで、どろどろとした粘液に塗れ、純潔はすでに奪われた。無垢なんかじゃなくて、ただ無惨でしかない。

 細すぎる身体には不釣り合いなほどに大きく膨らんだ腹部。その内に宿すものは一体なんなのだろうか?

 俺達は、見慣れた少女の変わり果てた姿に、ただ呆然としていた。

 殴打されたのか右の頬は腫れ、左目の上には瘤ができている。唇の端からは一筋の血が垂れていた。

 全身に切り傷や青痣も目立つ。

 ……なんで、どうして、こいつがここにいる?

 なんで、こいつがこんな目に遭っている?

 決まっている。全ては俺達のせいだ。

 俺達の失敗が招いた結果だ。

 目には光もなく、力なく項垂れている。

「勇者様? お気に入り頂けたでしょうか?」

 トリエラの愉悦に満ちた声が俺達の耳へと忍び込む。不快極まりない声に俺は歯噛みする。

 クソ……ふざけやがって……!

 きっとトリエラは俺達と看板娘が親しいことを知っていた。だからこそ見せしめとしてこいつを生け捕りにして、自分の魔物に陵辱させやがったんだ……。

 悪趣味にも程があんだろ……!

「素晴らしいでしょう? 魔物の卵をこの子の胎内に植え付けて差し上げたのよ? 卵はこの子から生命力を吸い上げて、急速に成長していくのよ?」

 トリエラは上機嫌に笑い声を上げる。無邪気な子供のような屈託のない笑い声だ。

 残虐な行為とはおよそ不釣り合いな振る舞いに、背筋がゾクリと鋭く震えた。

 一体、何が楽しくてそんなことをしてるっていうんだ……。

 狂ってやがる、何から何まで……。

「下衆が……! その愉悦に何の意味がある……!」

 クロームが憎悪を込めて毒づく。途端、クロームが上空に展開していた剣達が一斉に震え、トリエラへと放たれた。

 幾百もの銀の閃きがトリエラへと殺到する。それを目前にして尚、トリエラは不敵に微笑んでいた。

 左手で逃げようとするベラクレート卿の襟首を掴み強引に引き寄せ、右手を剣の群れへと掲げる。

「群咲け――紫蝶」

 短い言葉に呼応し、トリエラの足下から紫色の光がぶわりと湧き上がる。

 光? 違うな……あれは蝶か。

 この屋敷に下手人として引き渡された際、応接間にトリエラが現れた時のことを思い出す。やはりあれも、こいつの魔術の一種なのだろう。

 無数の蝶はトリエラの前面を覆うように集まり、羽ばたく度に紫光を放つ鱗粉をバラ撒いている。

 蝶の群れによって築かれた壁に、クロームの放った剣が豪雨のように突き刺さった。

 同時に光が弾ける。

 剣と蝶がぶつかり合う度に閃光が目に突き刺さり、眩い光は暗いエントランスホールを真っ白に染め上げる。

 あまりにも強すぎる光に俺達は目を覆い隠していた。直視していたら視覚が完全にイカれてしまいそうだ。

 目をぎゅっと瞼で覆い、手で光を遮ってもなお、目に襲いかかる光の圧力。網膜が焼かれるような苦しみ。

 放つべき剣も尽き果て、閃光が止むのを待って、俺達は目を開き、トリエラがいた場所へと目をやった。

「ふふふ、バカの一つ覚えのように、同じことばかり――冗長ね」

 今までと同様、やはりトリエラは艶然と微笑んでいた。どれだけ苛烈な攻撃を与えても尚、未だにあの女の身体に傷一つつけることさえできてなどいない。

 側にいるベラクレート卿も無傷だ。どうやら先程の蝶は本当に壁としての役割を果たしていたらしい。

 伝説級の剣を遮る蝶――もう意味が分からねぇな。

 何にしても確かにトリエラの言うとおりだった。これはあまりにも冗長だ。

 今ここでトリエラに対して、如何なるアクションを取っても無意味だ。対策を講じなければ、あの女の魔術を破ることは不可能だろう。

「何故このようなことをするっ!? 何の意味があって村を蹂躙するっ!? 答えろ!」

 クロームが怒鳴り声を上げる。ホール全体に声が響き渡り、残響だけが虚しく尾を引いた。

 トリエラはふふふと不敵に笑い、剣の雨を受けて壊れかけている欄干の肘をついて頬杖をかく。

「なぁぜ? なんの意味? あらあら、勇者様ともあろうお方がなんて愚かな問いをなさるのでしょうね。うふふ」

 柔らかい微笑みだというのに、どうしてか威圧感を覚える。こいつが纏っている雰囲気ってのはどこまでも異質だな……。

「簡単なことですわ。私は、私達は、ただ私達の望みを叶えるために行動し、私達という存在はその行いによってこそ定義される。私達はただ、私達の望みのままに、私達であり続け、私達は私達という概念を確固たるものにする。私達が私達である限り、私達は私達として行動し、私達の行い全てが私達として累積する。だから私達は私達を私達として私達の意志として続ける。ただ、それだけのこと」

「哲学の話はしてねぇんだ。なんでこの村を滅茶苦茶にした? 何が目的だ」

 付き合いきれねぇ。俺の投げた問いに、トリエラはため息を吐き出し、煙管を喫した。

「別に。この村がたまたまそこにあったからそうしただけよ。まあ、目的らしい目的といえば、単に材料調達とでも言うべきかしらね」

「材料?」

 プラナが眉根を寄せ訝しげにトリエラを睨む。それを蔑むようにトリエラはプラナを見下ろしていた。

「あらあら? 察しが悪いわね。魂の蒐集よ、分かるかしら? タマシイ」

 言って、トリエラは俺達に見えるように前方へ広げた左手を伸ばす。何もないはずの左手、いや事実何もなかったその掌に上に、柔らかな白い光が浮かび上がった。

 小さな、球状の光だ。

 真っ白な輝きは幻想的で、つい惹き込まれてしまいそうになる。目を離そうとしても離せない引力。どうしてもその光を見ていたくなる。

 この感覚はなんだ?

 あの光は何だ……?

「エーテル……?」

 クロームが小さく呟く。

「そう、エーテルよ。ただし超高濃度、超高純度の厳選されたエーテルの集合体、ね」

「そんな……! まさか、本当に……!」

 俺達の背後でプラナが引き攣った声を上げる。振り向けば、愕然と目を見開いたプラナが杖を握り締めていた。

「え? プラナ? どうしたの……?」

 心配そうに問いかけるセシウに、プラナは小さく頭を振った。

「信じられない……どうしてそんなことが……。あ、貴女は……! 貴様は、それで何をしようというの!?」

 プラナが珍しく声を張り上げる。プラナにしては随分と低い、恫喝するような声だった。赤い瞳はトリエラを容赦なく睨み付け、砕けてしまいそうな程に強く歯を噛み締めている。

 ここまでプラナが感情を露わにするのは滅多にないことだ。どんなに怒っても、普段は決して慇懃な態度を崩さないというのに。

 一体何がこいつをここまで昂ぶらせている?

「さっきから、何故なの、何なの、何の意味なの、と質問ばかりですわね。お馬鹿さんのお相手は疲れますわね、全く……」

「今すぐ解放しなさい! 自分がやっていることの意味が分からないわけではないでしょうっ! 貴様はどこまで人々の尊厳を踏み躙るつもりなの!」

 セシウの脇を抜け、勇ましい足取りでプラナは俺達の先頭へと歩み出る。いつもの穏やかなものではなく、どかどかとした乱暴な歩き方だ。

 杖を握り締める手にはずっと力が籠もっており、その背中は震えていた。

 きっと恐怖なんかじゃなくて怒りに震えてるんだろう。

「ね、ねえ、プラナ……? 一体、どういうことなの?」

「俺達にはよく分からない。説明してくれ」

 セシウとクロームの問いかけに勢いよく振り返ったプラナは二人に対して鋭い視線を向ける。今にも見た者を切り裂いてしまいそうなほどに鋭利な目だった。

 こんな威圧的な目もできたんだな……。

「あれは――魂そのものですよ」

 しかし零れ落ちた声は存外落ち着いたもので、弱々しい。低い声のままではあれど今にも消え入ってしまいそうなほどだ。

「奴はこの村の人々の魂を集めていたんです。それがどういう意味か分かりますか?」

 ……魂、だって?

 村人の魂があれだっていうのか?

 確かにエーテルは魂の元素とも言われているものだ。

 そんなの知識としては当然のことだったけど、魂という物質そのものをこうやって目の当たりにしても、なんか不思議な感じがする。

 実感が持てない。

 あれが魂っていうものなのか……?

 なんとなく魂っていうのは目に見えないものっていうイメージがあるせいなのかね。

 どうにも理解が追いつかない。

「そんなにヤバいのか?」

 俺はプラナに問いかける。ここまでプラナが取り乱すんだ。相当ヤバい代物に決まっているんだろうが、聞かずにはいられない。

 しかし俺の予想に反して、プラナは首を横に振った。

「……魂そのものに危険性はありません。非常に高濃度、高密度、高純度という点では優秀な材料と言えば材料ですが、それそのものに危険性はありません……ですが……」

「なんだよ?」

「魂が捕らえられているということがどういうことだか分かりますか? この村の人々は天に召されることもなく、死の苦しみから解放されることもなく、ずっと生き続けているんです。肉体は死んでも、魂はまだ苦痛と共に生きている。そういうことなんですよ……」

 ……そういうことか……。

 なるほどな……。

 肉体は死んだ。二度と生き返ることはない。

 本来なら魂もエーテルへと分解され、魂としての情報を失い、真っ新な状態となって生命の円環(キュベレイキクロス)へと還るはずだというのに、トリエラは魂が分解される前に回収し保存してしまっている。

 あそこにはまだ生命としての意識が宿っている。死ぬこともできず、苦痛から解放されることもない。

 ……容赦なく殺しておいて、楽になることも赦さないっていうのかよ……。

 瓦礫に埋もれ、俺達の前で死んでいったあの少女だって、未だ苦しみ続けている……。

 ふざけんなよ……クソ……。

「底の底まで腐りきった奴だな。最早かける情けも釣り合わん。貴様が息をしている。それ自体が私の信義に反する。貴様の凶行も生命も、ここで尽き果てろ」

「あぁら、勇ましいわね。でも、まだ余興は始まったばかりよ」

 くすりと笑い、トリエラは煙管の雁首で天井に吊るされた看板娘を指し示す。

 まだ意識は戻っていないようだ。身動ぎ一つしてなどいない。

「うふふ、純粋だった少女が穢れた様は美しい、そう思わないかしら?」

「テメェの趣味嗜好に興味はねぇよ、変態が」

 これまでにあいつがやってきた所業のせいもあって、俺の言葉からは飾りも冗句も一切なくなっていた。

 正直、こいつ相手に言葉を選ぶような気にはなれない。貶める言葉を考えるのも面倒だ。罵詈雑言を投げかけるよりも殴った方が早い。

 トリエラは気分を害した様子もなくくすくすと笑みを絶やさない。ご満悦かよ、この有様が。

「あらあら、残念ね。まあ、いいよしとしましょう。みんなでご覧になりましょうよ。感動的な、新たな生の誕生というものを」

「付き合いきれるか、下種の催しなどに」

 クロームが俺の脇を抜け、看板娘に向かって跳躍する。いや、それは最早飛翔と呼ぶべき動き。翼なくして、勇者は確かに羽ばたくように看板娘へと向かっていた。

 自身への危機を素早く察し、触手が動き出す。のろのろとした緩慢な動きで、粘液を滴らせ絡み合わせる様はなんとも不快だ。

 触手の表面の内、色素の薄い部分、おそらく裏側と思われる部分には吸盤らしきものがあり、その中心には小さな穴が空いている。どうやらあの部分から粘液は出ているようだ。

 その穴から本体の触手よりも細い、無数の触手が飛び出す。一つの穴から三つ、本体より細いといえど十分に太い触手だ。

「うえ……気持ち悪ッ!」

 俺の隣でセシウが一歩下がる。そういやこいつ、昔から虫とかそういうのダメだったよな。タコとかイカも苦手なくらいだし、こういうのはなおさら気持ち悪いだろうな。

 穴から出てきた触手は本体と違い動きが速く、クロームへと突進していく。

 最初の一本をクロームは容赦なく切り裂き、さらに二本三本と向かってくる触手を切断する。切った触手を蹴って、高度を維持し、迎撃しきれない突進も上手く躱し、即座に反撃に転じていく。とんでもねぇ芸当だな……。

 真っ正面から向かってくる触手を構えた剣で受け止め、綺麗に二枚におろし、矢継ぎ早に向かってくる触手を踏み台にしてさらに跳躍し、クロームは看板娘との距離を一気に詰める。それでもまだ少女には届かない。

 下方から密かに距離を詰めていた触手の群れが、クロームへと襲いかかる。

「クローム! 下だ!」

 俺の張り上げた声に気付いたクロームは足下に剣を精製し、即座に触手へと放つ。飛び上がるようにクロームへと突っ込んだ触手はその全てが剣に仕留められ、緑色の鮮血らしきものを振り撒きながら堕ちていく。

 さらにクロームは足下に剣を精製し、刀身を蹴ってさらに跳躍する。

 跳躍した先にさらなる剣を作り出し、もう一度跳躍。跳ぶ向きを僅かにずらし触手の攻撃をやり過ごし、脇を通り抜けていく触手を瞬きの間もなく輪切りにする。

 さらに新たな剣の足場を形成し、クロームは大きく飛び上がる。

 剣を逆手に持ち変え、両手で柄を握り締め、クロームは看板娘を捕らえる触手の本体へと急降下していく。

「うおおおおおおっ!」

 クロームが吠える。魂を震わせているかのような力強い咆哮と共に、勇者は触手本体へ深々と剣を突き立てながら着地する。

 奇声がホール全体に響き渡り、俺達の耳を劈く。触手の悲鳴か? どっから声出してやがんだよ、一体……。

 身体をくねらせのたうち回る触手の上で、クロームは振り落とされまいと突き刺した剣にしがみついている。右手で剣を握り締めたまま、左手をついと上げると、その手中に長大な片刃の剣が精製される。人の身の丈と同程度の刀身、両手で持つことを前提とした長い柄、刀身は女性の腰よりも幅がある。

 およそクロームの細腕では振るうことも困難に思える大剣だというのに、クロームは指先で弄ぶように平然とくるくると回してみせる。

 紙製だったら納得もいくが、どういうわけか鋼鉄でできている。

 クロームは大剣を軽々と振り上げ、力の限り振り下ろす。足下を薙ぎ払うような斬撃、重量と腕力の重なった大剣の一撃は容易く触手を斬り落とす。

 さらなる奇声に俺達は耳を塞ぐ。それでも尚脳を揺さぶるような絶叫に俺は顔を顰める。

 騒がしいったらねぇよ、クソ……!

 暴れる触手を蹴って、剣を引き抜きながら飛翔したクロームは反撃とばかりに殺到する触手の群れを両手の剣で次々と切断していく。神速の太刀筋を誇る細身の銀剣と、圧倒的な攻撃力を誇る鈍色の大剣――その二つの剣を的確に使い分け、状況に対応するクロームの技術力には感服せざるを得ない。

 やっぱりあいつは戦いの天才なんだろうな。俺がどんなに努力したって追いつける気がしない。まあ、そんなのセシウやプラナを含めてそうなんだけどさ。同じことをセシウやプラナだって思っているんだろう。

 あいつの才能はそれくらい圧倒的だ。そんな化け物染みた才能を持ってる奴が血反吐を吐くような努力をしちまったら、そりゃ勝ち目なんてあるわけねぇよな。

 ヒュンと風を切り裂くような音だけを残し、細身の銀剣が軟体動物のように動き回り、触手をあっという間に切り刻む。

 ゴウッと風が唸るような音を轟かせ、鈍色の大剣が雷のように撃ち落とされ、触手が鮮血と肉片を弾けさせる。

 襲いかかる触手全てを切断し、破砕し、クロームは看板娘の目の前の太い触手へと着地する――はずだった。