1Cr Drudgery―白黒徒花―

04.#A757A8 Th群咲の魔女―Verse 12

 クロームの身体が突然バランスを崩し後ろへと傾く。粘液に足を滑らせたようだ。傾きかけた自分の身体を支えるために剣を触手へと突き立てようとするが、手首に細い触手が絡みつき締め上げられる。鈍色の大剣が手から離れ、円を描きながら落ちていく。

 抵抗する間もなく他の触手もクロームへと殺到し、手首を締め上げ、首に巻き付き、足を縛り付け、拘束していってしまう。

「クソッ!」

 隣でセシウが毒づいたかと思えば、次の瞬間には地を蹴って跳躍していた。まるで脚がバネでできているんじゃなかろうか、と思えるほどの跳躍力だ。

「おい! バカ! お前が行ってどうすんだ!」

「そう言われたって、黙って見過ごせるわけないじゃん!」

 迎えるようにセシウの跳んだ先へと立ちはだかる触手の群れがしなり、襲いかかってくる。セシウは先頭の触手を蹴って、さらに高度を上げていく。次から次へとやってくる触手を、申し合わせていたかのように足下へと追いやって、空を駆けるように突き進んでいく。それでもなお立ちはだかる触手へと、セシウは渾身の力で触手を叩き込む。

「砕け――えっ!?」

 セシウの豪腕は虚しく触手の上を滑る。

 当たり前だ。向こうは粘液が身体に纏わせている。クロームのような斬撃ならまだしも、セシウの打撃なんて通るはずもない。

 俺は手で目の周りを覆い、ため息を漏らす。

 あークソ……だから言ったのに……。

 指の隙間から様子を窺うと、セシウの身体もまたクローム同様拘束され、虚空に吊し上げられていた。

 セシウの剛力なら抜け出されるかも、と期待もしたが、暴れるたびにさらなる触手が絡みついて、余計に拘束を強めてしまっていた。

 ……まずいな……。

 うちの前衛が見事に封じられてしまった。

「が、ガンマ……これは、もしかして……まずいのではないでしょうか?」

「もしかしなくてもまずいだろ、おい」

 プラナが顔を引き攣らせている。この状況は本当にまずい。

 俺もプラナも前衛の活躍あってこその役回りだ。二人がいねぇんじゃ、まともに戦うことさえできねぇぞ。

「あらあら、勇者一行というのはこの程度の力なのかしら? 残ったのは、雑魚とお馬鹿さんだけじゃありませんの。うふふ、なんとも呆気ない」

 トリエラの上機嫌な声がホールに響き渡る。

 クソ、言い返しようがねぇ。

「何を偉そうに……!」

 プラナが杖を振るう。先端の宝玉が翡翠の輝きを放ち、記録された魔導陣を読み込み、風の元素を集約させて神速の太刀を触手の群れへと放つ。

 無数の鎌鼬が鋭利な音を鳴らしながら、触手どもを切り裂く寸前、紫色の蝶が数頭割り込んでくる。

「――群咲け」

 風の爪牙が蝶達を切り裂いた瞬間、眩い閃光が俺達の視界を覆う。光が止み、目を開けばそこには蝶も風もなく、ただ触手が先程と変わらない姿でそこにあった。

 先程、クロームが放った剣の雨を防いだのと同じものだろうか? だとすると、あの蝶に触れただけで攻撃は無力化されていることになる。

 邪魔くせぇな。

「ふふ、詠唱も行っていない魔術など大した脅威でもありませんわ」

「ふざけたことを抜かすなっ!」

 プラナが声を荒げ、さらに杖を振るう。杖から真紅の煌めきが迸り、火球が触手目がけて放たれる。矢継ぎ早に翡翠、真紅、真紅、翡翠、翡翠、真紅と宝玉の光が次々と転じていく。

 一心不乱に放たれた、無数の火と風の魔術。しかしその全てがどこからともなくふわりと現れた蝶によって阻まれ、閃光となって消えていく。

 ダメだ。

 プラナはここまでの間に魔術を使いすぎている。最早詠唱を行うほどの余裕もないし、その体力も残されていない。

 今のプラナではトリエラには勝てない。

 事実、今の魔術の連発は相当堪えたらしく、プラナは杖に寄りかかるようにして立っているような状態だ。息も荒れている。

 普段はこれくらいどうってこともないはずだというのに。それほど無理をしていたのだろう。

「もう終わり? 情けないわね」

 くすくすと笑うトリエラに応じるように、今までじっとしていた触手達が動き出す。鞭のようにしなり、俺達へと突っ込んでくる。

 逃げるか? いや、プラナを連れて逃げるのは不可能だ……。

「ざっけんじゃねぇよ!」

 つい毒づいてしまう。誰にというわけでもなくこの事態に。

 なんで俺がこんな役回りなんだよ!

 冗談じゃねぇ! よりによって俺かよ!

 一人残ったのがクロームやセシウだったら勝機もあっただろうに。俺が抵抗するなんて正気の沙汰ですらねぇよ!

 そうは言っても投げ出すわけにもいかず、俺は銃を構え、精一杯触手に対して迎撃を計る。

 がむしゃらに引き金を引き、銃弾を触手に向かって撃てども、効果なんて一切あったもんじゃねぇ。確かに銃弾は触手の表皮を穿ったが、怯ませることさえできない。

 真っ向から突っ込んでくる触手をどうすることもできず、俺は地面を転がるようにその場所から逃げる。

 条件反射のようなものだった。それが過ちだった。

「キャッ――」

 背後から短い悲鳴。

 迂闊――! 俺の後ろにはプラナがいたのだ。あの状態では大して逃げることもできずに触手に捕まってしまっただろう。振り返った頃にはすでにプラナは全身を触手に縛り上げられていた。

 俺は踵を返してプラナへと駆け寄ろうとするが、鎌首を擡げた触手が待ち構えていることに気付き即座に方向転換して走り出す。

「ふふふ、無様ね。逃げ回ることしかできないなんて。まるで虫のようだわ」

「うっせぇなクソ! 余計なお世話だ!」

 走りながらもトリエラの嘲笑に噛み付くが、どう見たって負け犬の遠吠えだ。情けないにもほどがある。

 触手は相変わらず俺の後を追ってきているし、どうすっかね……。

 プラナとセシウもクロームの両側まで吊り上げられ、見事に晒し物と化している。

 クロームの《旧い剣(アカシックブレイド)》やプラナの魔術による援護も期待したが、よくよく周囲を窺えば、床にクロームの愛剣デュランダルとプラナの杖であるセレネが転がっている。

 ……これじゃあ援護も望めねぇな……。

 走りながら思考を巡らす。

 今や戦えるのは俺だけ。三人の活躍は期待できない状況。

 どうする?

 どうにかできるのか?

 俺が? 俺だけで?

 最高に笑える冗句だな、おい。

 勇者一行最弱の俺が、四人がかりでも傷一つつけられない魔女を出し抜けだって?

 面白くもなんともねぇ。

 ただ滑稽なだけじゃねぇか。

 本来だったらいの一番に逃げたい心境だっつぅのに。どういうわけか頭は勝機を探っている。

 救わなければならない。あの少女だけでも。

 見過ごせるわけがねぇだろ。あの純粋な少女の心がただ踏み躙られるだけなんて。

 俺は大きく円を描くようにして曲がり、触手を後ろに引き摺ったまま中心を目指す。

 やらなければならない。

 なんとかしなければならない。

 ただ、俺にどうこう出来るわけもねぇ。

 この状況を変えられるのは勇者だけだろう。俺はそのきっかけを作るより他ない。

 全てを、クロームの可能性に賭けよう。

 前方の空から細い触手が俺目がけて降ってくる。俺は前へと転がり込むようにして、その突撃の下を抜け、一回転した足の裏が地に触れると同時に立ち上がり、さらに走り続ける。姿勢が僅かに前傾し足がもつれかけたが、なんとか体勢を立て直すことはできた。

 止まったら後ろの触手に捕まることになる。ここで俺まで捕まったら完全に詰んでしまう。

 ホールの中心目がけてひたすらに走り続ける。こちとら一歩間違ったら死んでいたような重症を負った身だ。プラナの治癒魔術でなんとかある程度傷は癒えたが、それでもダメージは残ってる。

 正直、走ってるだけでも辛い。

 脇腹にはナイフを刺されたような痛みだってあるし、煙草でさんざん痛めつけてる肺は悲鳴を上げている。

 呼吸が掠れる。とてつもなく息苦しい。

 足だって感覚が薄れてきており、ちょっと間違えれば転倒してしまいそうだ。

 それでも止まるわけにはいかなかった。

 いつもの俺なら音を上げているだろう状態だっていうのに、俺の身体は走ることをやめない。

 なんだよ、やればできるじゃねぇか、俺。

 普段根性ないだけだけどさ。

 ホールの中心、床の上に煌めく銀色の輝きを目指して突っ走る。床に転がったクロームの愛剣デュランダルが主の手に還るのを今か今かとじっと待っていた。

 勇者の反撃に、伝説の一ページに、伝説の武器は欠かすことのできない要素だろうよ。

 お前がいなきゃ始まらねぇよな。

 走りながら俺は掬い上げるように剣を拾い、そのまま地についた右脚を軸に半回転する。目の前には俺目がけて突進してくる四本の触手。

 剣の柄を両手で握り締める。細身な上に、クロームが軽々しく振るってるから誤解してしまうが、やはり剣は剣、両手にずっしりとした重みがのしかかる。

 それは殺人器としての罪の重みか、勇者の伝説の象徴としての重みか、俺には分からない。

 英雄伝説が正当化された殺人記録であるというのなら、その重みは表裏一体であり区別などつけようがないのかもしれない。

 俺に答えを見出すことはできない。ただ、この剣が俺達の命運を決める要素である以上、例え重みがどちらのものであろうと上等だ。それくらいの重みがあってこそのものだろう。

 俺の唇の両端はどうしてか吊り上がっていた。自然と、意識することもなく、俺は大胆不敵な笑みを浮かべている。不思議な感覚だ。

 この高々一振りの剣という要素を手に入れたことで、俺は自信を持ってしまっている。この剣をクロームが握れば、どうにかこうにかできてしまうような確信さえ持ってしまっている。

 迷うこともなく、俺は向かい来る触手へと駆け出していた。

「うおらああああ!」

 似合わない雄叫びを上げて、直線的に突っ込んでくる触手の先端に剣を突き刺す。突進してきていた触手は俺が力を入れる必要もなく真っ二つに引き裂かれていく。緑色の鮮血が飛び散る。俺の視界の両端には触手の断面図が通り過ぎていく。

 剣を振るって鮮血を払い、さらに触手を力ずくでぶった切る。お世辞にも綺麗な太刀筋とは言えないが、それでも十分すぎるほどの効果だ。

 動体視力には自信がある。敵の動きを見極めて避けることならそれ相応にできる。なら、避けた後に横合いから剣を振り下ろせばそれだけでも戦える。

 幸い、触手の攻撃は直線的だ。見切ることはできる。

 触手をやり過ごして両手で構えた剣を力一杯に振り下ろし、即座に襲ってくる別の触手を横に跳んで避ける。

 一息つくこともせず、俺は剣を渾身の力でフルスイングして触手を切り裂く。

 触手の頭側が勢いのままに吹っ飛んでいき無様に地面を転がる。

 次いで俺目掛けて鞭のように振り下ろされた触手を飛び下がって紙一重で避けきる。触手が先程まで俺がいた場所に叩きつけられ、大理石の床が破砕される。飛び散る破片の一つが俺の頬を引き裂いたが、今は関係ない。今となっちゃこれしきの痛みなんてどうってこともない。

 着地して間もない俺は床を蹴って走り出し、触手へと踏みつける。そのまま躊躇せずに走り続け、俺はクロームやセシウの見様見真似で細長い足場を突き進んだ。

 よく滑る足場だ。

 踏み込んだ右足が滑る前に左足を地に着け、その左足が滑るよりも早く右足で踏み込めばいい。言うなら簡単なことだ。

 現実的にやるのは辛いけどな。

 それでも必死にその動きを真似るしかない。歩幅は短めでもできるだけ早く次の足を前に出していく。

 有り難いことに急な傾斜もないお陰で走り続けることは十分にできた。同じような細い触手に飛び移るなんて芸当はできないからな、俺には……。

 看板娘の姿が目前に迫った頃、俺の両隣に触手が並ぶ。今にも俺に絡みつこうと様子を窺っているようだ。まともに関わっている暇はない。とはいえ、応戦するほどの余裕なんて俺にはない。

 正々堂々なんてことが一番嫌いな俺は、触手を蹴っ飛ばして跳躍する。全身のバネをフル動員した跳躍で看板娘との距離を一気に詰め、すぐ側の触手本体へと着地する。足が僅かに滑るが、即座に両手を触手につき、無様な獣のように触手の表面へとしがみつく。

 格好は悪いが、まあ俺にしちゃ及第点だろう。

「あんたやれば出来んじゃん! いつもそんくらい頑張れよっ!」

「お前は肝心な時に役立たずだな」

「うっさいわっ!」

 触手に捕まったまま褒めてるんだか貶してるんだかよく分からないことを言ってくるセシウを適当にあしらう。今は相手をしてる場合じゃない。空中で吊されたままじたばたと暴れるセシウのことを視界から追いやり、俺は看板娘へと向かい合う。

「待ってろ……今助けてやる……」

 本当だったら今すぐこの場所から解放してやりたいくらいだが、それは俺の仕事じゃない。

 まずはクロームを解放しなければならない。この剣を持つべきは俺じゃなくクロームだ。クロームこそが少女を救済するべき人物だ。