1Cr Drudgery―白黒徒花―

04.#A757A8 Th群咲の魔女―Verse 13

「クロームッ」

「そんなに大声を出さなくても分かっている」

 触手に四肢を締め上げられ身動き一つできない状況で吊されているというのにクロームの表情は普段通りの仏頂面である。どこか偉そうに俺を見下している節さえあった。

 なんで余裕そうなんだろ、こいつ。

「偉そうにしててもカッコつかねぇぞ?」

「別に? 偉そうにしているわけではない。焦っていないだけだ」

「はぁ?」

「お前ならそれなりのことはしでかすと思っていたからな」

 なんだよ、それ。

 調子いい野郎だな。

 その上あんま期待されていたような気にもなれない。多分違うんだろう。

「とりあえず、デュランダルをこちらに投げろ」

「はぁ? お前両手塞がってんだろ」

「いいから」

 ……キャッチできなくてもしらねぇぞ。

「受け取りに失敗した場合はお前の投げ方が悪いと思ってくれて構わない。もしもの時は安心して世界に詫びろ」

「プレッシャー……かけんじゃ、ねぇよ!」

 文句でリズムを取りながら剣を力一杯クロームへと投げつける。くるくると回転しながら剣はクロームへと飛んでいくが、クロームの両手は未だ締め上げられたまま動くことさえできない。

「デュランダルッ!」

 クロームが愛剣に呼びかける。その声に呼応するようにデュランダルは全体に白い仄かな光を帯び、クロームの左手に吸い寄せられるかのように方向を転換した。

 勇者の手に、そうあるのが必然なのだと世界が証明するように聖剣が舞い戻る。最もよく知っているであろう感触を確かめるように力強く剣を握り締めたクロームの眼が白銀の光を仄かに放った。

 瞬間、無数の銀色の細い線が俺の視界へと刻まれる。行き交う銀糸に音はなく、気付いた時にはそこに残影だけがあった。

 何か、と考える間もなく、俺の身体は浮遊感に包まれ、すぐさまそれが落下へと変わる。胃が浮き上がるような冷たい感触に背筋が凍り付いた。

 他の三人が触手から解放され、落ちていくのを視認して状況を把握する。周りには触手だったものだと思われる細切れの肉片もある。

 クロームが瞬きの間に全てを斬り刻んだのだ。

 足の底が引き攣るような感覚を覚えながら落ちていくその最中、クロームは手中にナイフを精製していた。先端で傘が開くように返しを四方に広げた剣身がナイフにしては少しばかり長いものだ。

 クロームは落下しながらも、看板娘を縛る触手の本体へと正確にナイフを投擲する。空を裂いて、斜め上方に放たれたナイフは直線を歪めることなく、真っ直ぐ触手へと突き刺さった。

 撥ねる緑色の鮮血。とはいえ、所詮はナイフ――触手は痛くも痒くもないようで、呻くことさえしていない。

 一体何を考えている? 僅かばかりの訝りの答えもすぐに提示された。

 クロームの手から銀色の鎖が伸びている。その鎖の逆端は触手に深々と突き刺さり、返しによってがっちりと固定されたナイフの柄に繋がっていた。

 クロームの《旧い剣》はただの剣ばかりを無尽蔵に創り出すものではない。現存していたものであり、そこに“切る”という概念が付与されるものであれば、いくらでも再現できる。

 こんな少し変わり種の武器も再現できるわけだ。

 下降によって鎖が限界まで引き延ばされ軋みを上げ、クロームの身体だけが俺達から離れ、ナイフを中点とした円上を振り子のように渡り始める。

 まるでジャングルに住む野生児が蔓で谷を渡るようだ。クロームの身体は地面ギリギリを滑るようにして、下から触手の裏側へと回り込んでいった。

 下を向けば地面はすぐ目前である。俺は意識を自分に集中させる。大丈夫だ。これくらいの高度からの落下ならまだなんとかできるはずだ。

 一応セシウから教えられている。

 運動面で不安の残るプラナのことも、セシウがすでに抱え上げるようにしているので問題はないだろう。

 俺は俺のことをまずなんとかしよう。床は目前だ。下手を打てば死んでもおかしくない高さだ。せいぜいそうならないように頑張ろう。

 唾を飲み込み、息を止める。床に着地する瞬間、頭の方へエネルギーを伝達していくようなイメージで、身体の下部から順番に折り曲げていく。足首に鈍い痛みを感じたが、問題はないだろう。それでも勢いは殺しきれず、俺の身体は前に傾き、転がり込むように地面へと倒れてしまう。

 なんとも情けない。着地一つ満足にできないとは……。

 それでも、まあ、体中に落下の衝撃を分散させ、なんとか身体にかかる負担を出来うる限り減らすことはできた。俺の中では及第点かな。

 勇者一行としては落第間違いなしだが……。

「情けない……」

 上からぼそりと声が聞こえる。バカにするようでも、笑うようでもないその声は、あまりにも無感情で冷たいものであった。仰向けに倒れたまま、俺は頭上に向ける。

 プラナを横に抱きかかえたセシウが、俺を蔑むような目で見下していた。

「……うっせぇな」

「さっきまではちょっと格好よかったのに、やっぱりガンマはガンマだね」

「うっせぇっつぅの!」

 上げた両脚を振り下ろし、背中の力で起き上がった俺は、そんな全く以て理性的ではない上に、効力もない言葉を返してしまう。

「いいだろ? 着地はできたじゃねぇか! 文句あんのかよ!?」

「いや、べぇつにぃ」

 プラナを床に下ろしたセシウは大仰に両手を広げて、嫌味ったらしく唇の両端を吊り上げてみせる。

 反抗はできても反論することができないから辛いな。どう見ても俺が情けないのは事実だし。

 ふと、上空で耳を劈くような甲高い奇声が鳴り響き、俺達は素早く顔を上げた。その直後、俺の眼はずたずたに斬り裂かれ、緑色の体液を振り撒きながら悶え苦しむ触手を見ていた。

「何?」

 セシウの小さな疑問の声に、俺は苦笑を漏らす。

「そんなの決まってんよ」

 やった奴なんて一人しかいないだろう。今まさに絡まりつく触手を斬り裂き看板娘を救い出したクロームしかしない。

 デュランダルを鞘に納めたクロームはぐったりと力ない少女の肢体を抱え上げ、何の躊躇もなく触手から飛び降りた。ふわりと空へと舞い上がった身体は、その後すぐに俺達目掛けて急降下してくる。

 クロームの銀色の髪が、看板娘の亜麻色の髪が風にふわりと揺れる。

 後ろでずたずたに斬り裂かれた触手が絶命し、真っ白な光の粒子へと分解されていく。所詮は召喚獣。活動限界を超えれば、亡骸も残さずに消えていく定めだ。

 雪のように舞い散り消えていくエーテルの中、クロームはまるで羽でも生えているんじゃなかろうか、と疑わずにはいられないほど軽やかな動作で俺達の目の前に着地した。音さえも軽やかな着地だ。靴の踵が床を叩く、小気味いい音しかしなかった。

 一体どういう身体の構造してるんだろうね、こいつら。

「クローム! ナイスファイト!」

 真っ先に駆け寄ったセシウがクロームへと親指を突き立てる。クロームも本当ならなんらかの返しをしたかったんだろうが、生憎今は両手が塞がっている。せめてもの返しに、本当に微かな笑みを見せるだけだった。正直言って、あまりにも変化が僅かすぎて、顔を見慣れていない奴だったら気付かないくらい地味だ。

 クロームは膝を折ってしゃがみ込み、そっと床の上に看板娘を横たえる。

「本来なら何かを下に敷いてやりたいのだが、今はしょうがない」

 そう言いながら、クロームはジャケットを脱ぎ、少女の裸体を隠すように優しい手つきで服をかけてやる。

「ありがとな、クローム」

 俺は特に考えもなくそんな言葉を口にしてしまう。看板娘を救ってくれたことに対する、俺なりの心からの感謝の言葉だった。

 クロームを信じてよかった。俺が信じた通り、クロームはやり遂げてくれた。

 感謝をしないわけにはいかなかった。

 しかし、立ち上がったクロームは俺を見て、眼をぱちくりとさせやがった。何だよ、その意味が分からなそうな顔は。

「なんでお前が礼を言うんだ」

「いや……まあ、そりゃあ……」

 そうだけどよ……。

「礼を言うのは俺の方だ。助かったぞ、ガンマ」

 ……はいはい、そりゃあ悪うござんした、ね……?

 今度は俺が眼をぱちくりさせる番だった。

「あ? 今なんて言った!?」

「阿呆も阿呆なりにやる時はやるものだな」

 すぐに背中を向けて歩いて行くクロームに聞き返しても、嫌味だけが返ってくる。

「そうじゃねぇだろ!? なんか言ったよな!?」

「何も言ってないわけがないだろう。愚図め」

 ひらひらと振り返りもせずにクロームは手をひらひらと振る。

 ……んだよ、クッソ……。油断しててちゃんと聞いてなかったぞ……。

 気になるじゃねぇか。

 俺に背を向けたクロームはプラナの元へと向かっていた。そういやプラナの奴、さっきから一言も話してねぇな。どうしたんだ?

「プラナ、あの子に宿った卵を処理する方法は分かるか?」

 クロームがゆっくりと問いかける。

 そうだな。看板娘を触手から解放することはできたけど、まだこいつの胎内には魔物の卵が植え付けられたままだ。

 これをどうにかしなければ、救ったことにはならない。

 とはいえ一番の難関だった触手からの解放はできたんだ。こっから先はなんとかなるだろう。

 でも――プラナは俯いたまま何も答えようとしなかった。

「……プ、プラナ……? どうしたの?」

 不安になってセシウが問いかける。その声はすでに震えていて、頼りがない。

 ……嫌な予感が胸を縛り付ける。咽喉が詰まるような感触。事実を知ってしまうことを恐れ、俺の両手は震えていた。

 強く握り締めても、手は震えを止めてくれない。

「ね、ねぇ……プラナ……? 助けられるんだよね!?」

 プラナは答えない。いや、違う。きっと答えられないんだ。

 俺達に真実を突き付けることを躊躇ってしまっているんだ。

 どうして?

 決まっている。その真実が俺達に残酷なものだからだ。

 助けられないっていうのか? ここまでやっておいて?

 俺達のすぐ側に少女はいるっていうのに。邪魔する奴なんて誰もいないっていうのに。

 それでも救えないっていうのかよ……?

 おかしいだろ……そんなの……!

「おい、プラナ。黙っていても俺達は何も分からない。それがどんなものでも、俺達に教えてくれないか? どういうことなんだ?」

「ごめんなさい……」

 クロームの説得にプラナは俯いたまま、虫の羽音のような掠れた声で謝罪だけを口にする。その言葉もすでに涙で濡れていた。何かあるとすぐに縋り付くように抱き締める杖がないからだろう。プラナは自分の身体を掻き抱くように肩へと指を食い込ませていた。

「すみません……赦して、ください……」

「謝っていても分からないんだ。頼む、話してくれ」

 押し殺したような声でクロームはさらにプラナへ説明を促す。それがプラナにとってどれだけ辛いことなのか、俺達には分かりきっていた。

 だけど、それでも、知らなければいけない。

「ト、トリエラは……あの子の生命力を吸い上げて、卵が孵化すると言いました……」

 プラナが途切れてしまいそうな声でゆっくりと話し始める。

「もしそれが本当だったのであれば、いくらでも助け出す術はあります。胎内の魔物だけを殺す手段なんていくらでもあるんです。宿主の身体を傷つける必要さえありません……」

「じゃ、じゃあ、それをすれば……!」

「それができないんですよっ!」

 セシウの言葉を遮り、プラナが引き裂けてしまいそうなほどに痛々しい声で叫ぶ。それはどこまでも悲しく、残酷で、凄惨な否定だった。

「私だってできるのなら、そうしたいんですよ。そうするつもりでした……。でも……それができないんですよ」

 プラナの纏うローブの肩口に赤いシミができていた。指先に沿うようにできたそれは鮮血なんだろう。プラナの立てた爪がローブを裂き、肉にまで食い込んでいた。しかも相当深く肉を抉ってるようだ。

 それでもプラナはやめようとしなかった。ただ凍えるように震え、頭を振っていた。

 それはきっと痛みにではなく、悲しみによるものなんだろう。

「他の生物に卵を植え付ける習性がある魔物というのは、本来そうしなければ卵が孵化しないからなんです。自分の身に抱えておくと外敵に対する自衛ができないから、比較的安全な生物に卵を植え付けるんですよ。人間は優良な宿主なんです。例え卵を育てるために生命力を吸い上げても、宿主を害すモノというものが少なく、体力がなくてもそれなりに生きていくことはできますから」

 なるほどな。確かに理に適っている。

 野生の世界では、身重になればそれだけで生存が難しくなる。誰かが守ってくれればいいが、雄が必ず守りきってくれるとも限らない。安全圏にいる生物に預けた方が確実に子孫は残せるだろう。

 人間は確かにひ弱な奴でもそれなりに生き残れる場所だ。よっぽどの不運がない限り、死ぬことなんてない。ただしそれは低い確率でしかなく、弱者でも贅沢を言わなければ生存できてしまう。

 これを狙わない手はないな。

 頭がよろしいことで。

「でも、彼女に植え付けられてる卵はそうじゃないんです。元々、卵としてひり出されるものです。後は温めでもしておけば、勝手に生まれるようなものです。つまりそこに必要なエネルギーは詰まってるんですよ。それをあの魔女は植え付けたんです」

「……それが、どうしてできないということに繋がるんだ?」

 それなら同じ手順を踏めば、卵を取り除くことができるんじゃないのか?

「今、この子の身体はとても危険な状態です。生命力が著しく低下している。おそらくあの魔女が事前に何かを施したのでしょう。生きているのが奇跡とも言える状況です……。それでも生きている。何故だか分かりますか?」

 ……俺達は首を横に振る。

 俺達には到底分からない。分かるはずもない。

 プラナはゆっくりと息を吐き出し、話を再開する。

「卵の持っている魔力の影響でこの子は治癒力が高まり、ギリギリの状態を保つことができているんです。だからなんとか生きている。卵のお陰で生かされている」

 ……卵が少女から力を得ているのではなく、少女が卵から力を得ている?

 じゃあ、それってつまり――

「逆に言えば、卵なくして、もうこの子は生きられない……そういうことなんです」

 俺もクロームもセシウも、何も言えなかった。何かを言えるはずもなかった。もう十分すぎるほど純然たる事実が俺達の前には横たわっている。それを否定することができないし、神でもない俺達にはねじ曲げる手段だってない。

 クロームもセシウも理解が早かった。これはそういうものだと受け容れざるを得ないことを知っていた。

 俺だってそんなこと分かりきっている。でも模索せずにはいられない。

 考えることをやめたくなかった。

「今までもいろんなケースがあった。でもどれにだってそれに対応する対策があった。こういうケースにだけ相対するものがねぇってのはおかしいんじゃねぇのか?」

 そうだ。

 今までだって。困難に見られた問題にも打開策があった。プラナの魔術によって切り抜けられた場面は多い。

 今回だってプラナは前例のない魔術に対しての対抗魔術を不完全ではあるが、短時間で編み出してくれた。いくらだって手はあるはずだ。

 今からだって遅くはない。

「……そうですね。確かに方法はあります。近年では儀式級ではありますが、魔術のみでの摘出手術が生み出されていますし、その理論を元にした個人で使える手法もあります。少々手荒ではありますが」

「じゃあ、なんでそれをやらねぇんだよっ!」

 俺は衝動的に怒鳴り声を上げていた。プラナが何も悪くないことなんて知っている。むしろよくやってくれているし、こんな辛いことを懇切丁寧に俺達に教えてくれてまでいる。

 それでも怒鳴らずにはいられなかった。

 これほどまでの不条理に対して、俺は心を何としても持ち上げなければいけなかった。負の感情であったとしても、感情を高ぶらせておかなければ、そのまま俺はどこまでも沈み込んで絶望してしまいそうだったから。

「ガンマ、考えてみろ。プラナはこの短時間で、どれほどの魔術を使ってきた?」

「……クソッ!」

 クロームの言葉に俺はいよいよ絶望してしまいそうになった。

 そうだ。もうこいつには魔力なんてほとんど残っていない。どれだけ脳の回路を、肉体を、精神を酷使してきたと思っているんだ。

 俺を治療した段階でも限界だったのに、プラナはそれでも魔力を身体の芯から搾り出し、なんとか俺達を助けてくれていたんだ。

 まただ。また手が届かないっていうのか?

 時間が、魔力が、力が、それらがあれば、また違ったというのに。どうして全てが俺達の手をすり抜けていく? どうして気付いた時には全てが手遅れになっているんだ?

 クソ……!

 頭を使え……!

 何を絶望しかけているんだ、俺は!

 まだだ……まだ手はあるかもしれない……!

 考えろ……!

 思考を止めるな。考え続けろ。神経回路が焼き切れるまで思考をするんだ。

 頭をフル回転させろ……!

 諦めるわけにはいかない。諦めたくない。やっと繋がると思った命を前に、何もできないまま終わるなんて嫌だ。

 俺には考えることしかできねぇだろうが。それさえ出来なくってどうするんだよ……!

 頼むよ……なんか、ねぇのかよ……手段は……。

 どれだけ方法を考えても、結局は何かが足りない。時間が足りない。もっと早く救えていれば違ったのかもしれない。もっとプラナの魔力に余力があれば違ったのかもしれない。

 もっと、俺達に力があったのなら……。

 そんな考え自体がすでに手遅れであることは自分でも分かっている。でも、そう思わずにはいられないだろ……こんなの……。