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 マンションの屋上に着いた三人は、状況を確認する。
「方角からして、裁我はK大付属総合病院に向かった。目的は、おそらく湊だ」
 その推測に、カインと千雨は同意見だった。
「俺は病院に向かう。詠唱を連続使用すれば、二分程度で着く事が可能だ。
 カインと千雨は、さっき教えた廃ビルに向かえ。あの場所から、強大な魔力反応が感じる。おそらく、性質変換された鬼人だ」
「オッケー」
「了解ッス」
 二人が承諾すると、鏡夜は病院の方角に向き、
「SPEED UP」
 その意味の通り、鏡夜は一瞬で姿を消した。
「さて、ボク達も行くよ」
「はいッス」
 病院とは逆方向にある廃ビルに向かって、二人は高く跳躍した。

 景色が高速で流れていく。
 空気抵抗を無にした移動は、繁華街の上を通っても、一般人の視覚力では認識できない。
 しかしそれでも、鏡夜は移動速度が遅いと感じた。
 今、移動している間に、どれだけの人間が殺されているかと思うと気が狂いそうになる。
 そして、それ以上に。
(湊――)
 彼女がくれた言葉。
 それを無にしてしまうのは嫌だったから。
 彼女がいないと、自分は駄目になってしまうから。
 ――だから。
「絶対に、生かす」
 
 ◆

 鏡夜の全てを知った湊は、数分間黙り込み、顔を俯かせた状態でいた。
 その表情からは、絶望以外感じられなかった。
 だけど、鏡夜はこう思う。
 彼女と対等になる為には、こうするしかなかった、と。
 嫌われるかもしれない。二度と近づくな、なんて言われるかもしれない。
 だけど、彼女には聞いてほしかった。
 自分を、知ってほしかった。
 自己満足なのかもしれない。だけど、それでもいい。
 彼女を知ってしまったが故の、必然の行動だと鏡夜は思う。
 
 それ程までに、千堂鏡夜は遠近湊に惹かれていたのだから。

「……千堂くん」 
 およそ十分間の沈黙を、湊の小さな呟きが破った。
 俯いていた顔を上げ、鏡夜と向き直る。
 そこに、迷いはない。
 在るのは、真実を知りたがっている顔だけだった。
「千堂は、これからも殺していくの?」
「…………」
「千堂くんは、本当に殺すことを望んでいるの?」
「……俺は」
 核心を突かれ、鏡夜は少し目を逸らす。だが、それが未だ迷っているという決定的な証拠だった。
 ……理不尽に生まれ、理不尽に生きて――そして、理不尽に死んでいく。
 そんな生き方を、自分は、本当に望んでいるのだろうか?
 今までは、心界を認識したせいだ、という一言で済ますことができた。
 ――だけど、これから先は、そうはいかない。
 自分は、答えを見出したからこそ、彼女に会いに来たのだから。
 ここで迷ってしまったら、それこそ自分は滑稽だ。
 殺すことでしか、存在を証明できない。
 殺すことでしか、生の実感を得られない。
 だけどこの少女と出逢って、一週間だけの付き合いでも自分は変わることができたから。
 それなら、これから先、まだ可能性は残っているのかもしれない。
「俺は……」
 本能が告げる。
 本当の気持ちを。
 嘘偽りのない気持ちを。
 ――彼女に伝えろ、と。
 視線を戻す。
 そして、口を開いた。

「俺は、殺したくない」

 存在を否定するけど。
「俺は、普通になりたい」
 自分には、そんな事を言う権利はないけど。
「俺は、お前と一緒にいたい」
 そんなくだらない事よりも、彼女と共に在りたかった。
 ――瞳から、涙を流した。
 これで、後戻りはできない。
 これで、全てを失った。
 でも、そうまでして、普通になりたかったから。
 そうまでして、そちら側に行きたかったから。
 鏡夜の出した『答え』に、湊は笑顔で彼の頭を優しく撫でた。
「――泣くことはないよ。千堂くんは、異常なんかじゃないんだから」
 掌は、温かい。彼女の温もりは、今の鏡夜にとって必要なものだった。
「何度も殺めてきたとしても、千堂くんは泣くことができるんだから。それを間違いだと解っているんだから。それが、何よりの証だよ。――それにね、千堂くんの涙が見られて、喜んでいる自分がいるんだ。……今、気づいた。千堂くんは、私と一緒だってことに。
 夢くらい、見てもいいんだよ? 私達は、夢を見るために生まれてきたんだから」
 ……一緒。という言葉に、鏡夜は溢れ出す涙で顔を歪める。
 これで彼女と対等になれたのだと思うと、さらに涙が溢れてきた。
 それほど、彼は嬉しかったのだ。
 夢なんて、叶わないと思っていた。
 夢なんて、幻想だと思っていた。
 だけど。昔、彼女と邂逅した時に教わった、あの言葉を思い出す。

『キョウヤ、夢を見なさい』
 
 自分には無価値だと思っていた言葉。
 だけど、その言葉だけは覚えていた。
 鬼人を殺した後、いつもその言葉を告げていた。
 あの言葉は、自分自身に向かって言っていたことなのだと、今の彼は思う。
 鬼人には、『何も無い』から。
 だから、それを自分に重ね合わせていたのかもしれない。
 それに気づかせてくれたのは、一週間限りの付き合いで終わった少女だった。
「じゃあ、気分を入れ替えようか!」
 突然、湊はテンションを上げて、温かな笑みを浮かべた。
「私達、これから名前で呼び合おうよ」
「名前……?」
 腕で涙を拭い、鏡夜は聞き返す。
「私は、鏡夜くんって呼ぶから、私のことは湊でいいよ」
「……別にいいが」
「……もしかして、不満があるの?」
 頬を膨らませる湊。だけど、そんな彼女も、彼女らしいと鏡夜は思い、苦笑する。
「わかった。今後はそう呼ばせてもらう」
「うん!」
 彼女はこれ以上とない満面の笑顔を見せた。
 
 ◆

 鏡夜が病院に着いた頃には、事は既に遅かった。
 ロビーは人間の死体で埋め尽くされている。鼻腔を突く死の異臭が充満する中、鏡夜は一言だけ呟いた。
「すまない」
 自分があと少し早く着いていれば、こんな大事にはならなかったのだろうか……。
 しかし、今そんな事を考えても仕方がない。この者達への哀れみは覚えなかった。
 鏡夜が哀れんだ対象は、ここまで墜ちてしまった『遠近翔』だけなのだから。

 ◆

 消灯された部屋で布団に包まり、湊は『二人』の事をずっと考えていた。
 遠近翔は、自分と同じ『封殺者』だと、千堂鏡夜は言った。
 鏡夜は、全てを語った。
 封殺者の存在意義。鬼人を殺す為だけに生き、死んで逝くという絶対的な運命。
(義兄さんも、苦しんでたんだ……)
 六年前の遠近翔は、現在の千堂鏡夜と少なからず似通った部分があった。
 孤独という苦痛を背負って生きていたところも、日常に行くことが不可能だと考えていたところも。
 そして、日常に行きたいと想っていた本心さえも。
 鏡夜は本心を聞かせてくれた。ならば、遠近翔の本心も聞きたかった。
 遠近翔と再会した時、何故、畏怖を覚えてしまったのだろうかと自己嫌悪してしまう。
 ……湊は、六年前を思い出す。
 遠近家に引き取られた時の彼は、少なからず、家族と距離を置いていた。
 それは、鏡夜が語った言葉に当てはまる。

『「日常」に生まれた人間と「非日常」に生まれた人間では、考える事も、想っている事も、在り方さえも異なっている』

 今なら理解できる。あの雨の日、遠近翔が吐露していた言葉の意味が――理解できる。
 日常に行きたいと願っていても、過去に自身の在り方が決定してしまったが故に、最終的には家族になる事を拒んでしまった。
(――でも、まだ遅くない)
 鏡夜の話によると、遠近翔はまだこの町に滞在しているらしい。
 自分はまだ満足に動けない状態だが、鏡夜は遠近翔の探索を了承してくれた。
 近い内に、また会えるのだろうか……。
 でも、会えた時には、ちゃんと向き合って話をしようと、湊は心に決めていた。
 そう思うと、湊の心は弾んだ。
 だから、高揚感があるのだ。

「なに笑ってんだよ」

 ……不意に、そんな感情を抑えた声が聞こえた。
 湊はベッドから身を起こす。
「なにが嬉しいんだよ……!」
『彼』は、湊が笑っているだけで、それが罪だと思った。
「なんで、そんなに幸せそうなんだよッ!」
『彼』は、ついには感情を吐き出した。
「翔、義兄さん……」
『彼』は、湊のベッドに歩み寄り、唐突に首を絞めた。
「あっ……かはっ……!」
 彼女は目を見開いて、目に涙を浮かべた。
 口元から唾液が垂れる。その苦しんでいる表情を見た『彼』は、どくんっと鼓動が早まった感覚を覚えた。
『彼』はさらに握力を籠める。圧迫し、圧迫し、圧迫する。
 だが、その前に。
 ヒュンッ
 首を絞めている側の『彼』の首元に、手刀を突きつけられた。
「……鏡夜、くん……」
 彼女の涙で滲んだ瞳に映ったのは、いつも通りの、無表情の顔だった。
『彼』は握力を緩め、首から手を放した。
 湊は極度に首を圧迫されたことにより、気を失った。
 しかし、彼にとって、そんな事はもうどうでも良かった。
 口元が吊り上がる。
 心臓が早鐘を打ち始める。
「……オレの思った通りだ……!」
 歓喜の――それでいて、高揚による震えた声で、『彼』は呟く。
「やっぱり、お前はこちら側の人間なんだ。そうだよなあ?」
『彼』の背後には、憎悪を込めた貌をして佇んでいる千堂鏡夜がいた。

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