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 翌日の午前十時。ベッドで微睡みの世界に浸っていた私を呼び起こしたのは、一本の電話だった。
『穿理。少し話したい事があるから事務所に来い。既に(あおい)も到着している。ではな――』
 電話の主――鷹塔(たかとう)(まつり)は、一方的に話を進め勝手に締め括った。
 だけど、そんな彼の行いは今に始まったことではない。自分勝手な鷹塔の性格には既に慣れてしまった。耐性が付いた、とも言うだろう。
 ともあれ、呼ばれた以上は出向かなければならない。もし無視でもしたら私の働き口が無くなってしまう。就職も進学もしていない私にとって、金銭面での援助をしてくれているのは紛れもない鷹塔なのだから。
 ジーパンと白色のネックシャツに着替え、二年前に貰った十字架のシルバーアクセを首に下げて自宅のアパートを後にした。

 鷹塔の住んでいる事務所は町の郊外にある。私の家からは丁度二キロくらいの距離だ。電車で向かうことも可能なのだが、私はどうしても電車というモノが好きになれなかった。人混み、揺れる車両。人の迷惑を顧みずに会話を行う他人。これらの要素の全てを私は嫌っているので、自然、昔から電車に乗用しなくなっていた。
 葵のヤツは私と対極の思考を用いているから気にしないのだろう。以前、「もう少し人の居る場所に慣れないか?」と言われたが、大きなお世話だった。
 という私情があり、現在、私は徒歩で事務所に向かっていた。二キロの距離などどうということはない。嫌悪しているモノに乗るよりかは幾分マシである。
 
 この町の郊外と呼ばれる地区は、少なからず片田舎という印象を抱かせる。郊外は田園地帯という語源とも連結している。その言葉通り田んぼや竹林が視界いっぱいに広がっていた。
 そんな自然溢れる風景の中に、周囲との調和を成していない事務所は構えてある。
 いや……何度見ても、これを事務所と呼ぶには無理がある。他人がこの建造物を初見すると、絶対に「イカれた人が建てた」と言うに違いないだろう。
 地上のどの位置から見ても二等辺三角形を象っていて、階層を上る毎に面積が狭くなる構造になっているのだ。建物の外見を端的に表すならば……ソフトクリームのクリームの部分。
 ……まぁ、この建物自体、空間と空間の狭間に形成した『実在しない建造物』――つまりは『魔術』とやらで創ったらしい。本人は「バベルの塔を意識して創った」と自慢げに話していた。理解の及ばない原理なんて解ろうとするだけ無駄だ、と悟った私は、いつしか気にはしなくなっていた。
 私は正面口の玄関の扉を開けて、内部に入った。

「あ、穿理。おはよう」
 二階の一室に入ると、ソファーに月宮(つきみや)(あおい)、窓際のデスクに鷹塔祭がいた。
 見ると、葵はいかにも眠たげな表情をしていた。意識が完全に覚醒していないかのような、呆とした表情。……おそらく、また鷹塔に仕事を手伝わされたのだろう。
 葵は白いカッターシャツに黒色のジャケット、紺色のジーパンといった身なりをしていた。彼は年賀ら年中、いつもこのセットを着服している。本人曰く、「服装を見せる相手は穿理と鷹塔さんくらいだから、気にしてもしょうがない」という事らしい。……そういう問題ではないと思うのだが。
 そんな彼は、二十一歳という年齢にそぐわぬ容姿をしている。身長こそ平均的なモノだが、白い肌と中性的な顔立ち、何より女性のように大きな瞳が、こいつを一層美男子として構成させていた。茶色の髪は肩に掛かるくらいの長さだ。彼の総髪は染めたという訳ではなく、ただ単に外国人と日本人の両親の間に生まれたから、という簡単な理由で片付いてしまう。……高校生の頃、その髪を黒髪にしろと教師から咎められていた光景も、今となっては良い思い出だ。
「遅かったじゃないか。鷹塔さんが待ちくたびれてるぞ」
 咎めるわけではなく、その口調からは疲労しているように思えた。抑揚のない、疲れきった感じである。
「じゃあ、コーヒーを淹れてくるよ。穿理は日本茶だったか。鷹塔さん、給湯室を借りますね」
「あぁ」
 デスクに座って新聞に目を通していた鷹塔が、短く返事をした。葵は少しおぼつかない足取りで奥の部屋――給湯室に向かう。
 新聞に目を通していた鷹塔は、葵の姿が見えなくなると視線を上げた。
「遅いぞ、穿理。お前が来るまでの時間、葵に次元空間の理論を延々と話していたこっちの身にもなれ」
 葵とは対照的に、責めるような言葉を送る鷹塔。
「鷹塔が一方的に喋ってたんでしょ。葵、疲れきってたじゃない」
「そりゃあな。昨晩も仕事の手伝いをしてもらっていたし、帰宅させてから二時間後に呼び出したんだ。疲れもするさ」
 まるで悪気のない、飄々とした表情で言う。……鬼か、お前は。
 黒色のスーツを身に纏った魔術師は、「それで――」と途端険しい目つきに変わった。
「今日のニュースを見たか?」
 端的且つ、それだけで理解しろと言わんばかりに、鷹塔は視線を投げてきた。
「見る必要はないわ。昨日確認はしてきたもの。鷹塔の言った通り、午前零時ジャストだった」
「ほう。実物を拝見したというわけか。感想を聞こう」
「……よく解らない現象だったわ。周辺のビルから堕ちたようには思えなかった。二車線道路の真ん中に落下だなんて、飛行機なんかから落ちないとあんな事は起こらないでしょうね」
 大体、あの現象が人の手によるモノだって事自体、疑わしい事だ。何もない上空から人が落下するなんて、日常世界ではありえない以前にあってはならない。
「だが、実際にお前は見たんだろ。ならば、その現象が現実世界で起こり得る事実だと証明されたわけだ」
「それは、そうだけど……」
「まぁ、つもる話は葵特製のコーヒーが出来た頃に話そう。ソファーにでも座ってろ」
 命令に近い促しに、私はひとつ嘆息して頷いた。

 ◇

 穿理と鷹塔さんが会話をしている最中、俺は給湯室でコーヒーを淹れていた。
 鷹塔さんは大のコーヒー好きだ。それは俺にも言える事で、二人でよくコーヒーについての話題をする。
 しかし、鷹塔さん本人はコーヒーを淹れるのが不得意である。ならば何故コーヒー好きになったのか、という疑問を抱く。
 端的に言えば、彼は俺と会うまでインスタントコーヒーしか飲んだことがなかったらしい。俺は親父の影響で中学の頃から豆から挽いたコーヒーを飲んでいたので、自然と豆から挽いたモノしか飲まなくなっていた。
 当初、その事を話した際、鷹塔さんは「なら、葵が淹れてくれ」と興味津々な様子で目を輝かせていた。俺としても、インスタントよりも豆から挽いたコーヒーを味わってほしかったで、彼の要望に応えた。
 それ以来、俺が事務所に訪れた時は必然的にコーヒーを淹れるという仕事がいつの間にか定着していた。それ自体に異論はなく、既に日課となってしまったこの作業を楽しんでいた。
 逆に、穿理はあまりコーヒーという飲料を好まないらしい。愛飲しているのは日本茶らしく、苦い飲み物は嫌いだそうだ。
 コーヒーには詳しくても、俺は日本茶を淹れたことがなかった。なので、給湯室の小型冷蔵庫に封入してあるペットボトルからコップに注いで穿理に渡している。
 そんな日本茶を好む桐生穿理という女の子は、高校時代からの付き合いだ。
 高校三年生の頃に同じクラスになり、新学期が始まって最初のホームルームで穿理が小声で自己紹介をした際。第一印象は変わった名前だな、というモノ。まぁ、それは俺の苗字にも言える事なのだが。
 腰まで届く黒髪は、まるで絹で出来ているかのような流麗さを感じさせた。
 鋭利な瞳は、しかしどこか哀しみが宿っているような漆黒色。
 身長は百五十センチ後半ほど。服の上からでも華奢な体つきをしているのが判る。
 そして、その頃、俺はひとつ不思議に思っていた事があった。
 穿理はクラスメートが話しかけても、返答こそするもののどこかおかしな感じだった。
 会話が成り立っていない、とでも言おうか。
 人間が行うコミュニケーション手段である『会話』が、彼女にはできなかったのだ。
 その会話には少なからず齟齬が生じ、穿理自身も困惑した様子であったことを覚えている。彼女は会話を嫌っている訳ではなく、ましてや他人を嫌っている訳でもなかった。
 ――拒絶も、孤立も、否定も。彼女自身は望んでいないように思えたのだ。
 そんな彼女を見るに耐えられなくなった俺は、いつしか、積極的に穿理に話しかけていた。
 会話に齟齬が生まれても、そんな事はどうでも良かった。
 ――ただ単に。女の子が苦しんでいる姿を見たくなかっただけなのだ。
「葵。そろそろ出来るか?」
 給湯室の外から、鷹塔さんの声が届いた。
 いつの間にか出来上がっていたコーヒーと、コップに入れた日本茶を持って、俺は給湯室を後にした。

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