「さて、葵特製のコーヒーが味わえたところで、本題に入るか」
コーヒーを飲み干した鷹塔さんは、満足げな表情を浮かべ、話し始める。
先ほどまで座っていたソファーは穿理が占有してしまったので、仕方なしに壁に腰掛けることにした。
「本題って、この町で起きている不可解な事件のことですか?」
鷹塔さんが話題にするのは、決まってそういう話だと思っての言葉だ。
鷹塔さんはあぁ、と軽く首肯した。
不可解な事件――。それは、二月の下旬から始まった、オフィス街で人間が空から落ちてくるというなんとも無気味な現象だ。いや、この説明自体では、飛び降り自殺なども類に入ってしまうので、訂正する。
ぶっちゃけて言うと、何もない空から二車線道路の真ん中に落下してくるらしいのだ。俺も鷹塔さんと一緒に現場付近に行ったけど、現場の上には何もなかった。その頃は夜だったから、在ったの黒雲と少数の星々くらいだった。
被害者の三人は、この町に住んでいる人達である。既に身元も割れていて、彼ら三人に関係性も接点も皆無ということらしい。
そんな事件が二週間で三人も相次いだものだから、この頃のオフィス街に立ち入る者は限りなく減少しているらしい。
「葵。今回、何もない中空から人が落下してくる現象をどのように解釈する?」
と、鷹塔さんは突然の質問を投げかけてきた。その問いが今回の事件に関するモノだと理解した俺は、真面目に思考を回らせてみたりする。
何もない中空という事は、足場が無い場所からの落下だろう。飛行機なんかから落ちらのならある程度納得がいくけれど――いや、飛行機という足場があったから、落下が可能になったんだ。ならば、この微妙な回答は矛盾していることになる。
――何もない中空。それは元々、足場というモノが存在しないということだ。その、人間という物体を支えてくれる地面が皆無な場所が、きっとそれに当てはまるのだろう。
なら、それを逆に考えると。
「……当てずっぽうですが、落下を行った場所は元々無くて、それで落ちてきたって事ですか?」
本当に思った事を口にしたのだが、鷹塔さんは「まあ、一般人の回答としては、良い線だ」と遠回りに褒めてくれた。
「中空、虚空、絶無の足場。こんな場所に存在していられるモノとするなら、それは人間ではなく飛行機や雲だな。人間は重力により、どうしても足場がないと存在していられない。足場がない場所に居たとしても、辿る道は必然的に死だ。逆に言うならば、死を辿りたいのなら足場のない場所に行けば良い。葵、今回の事件の被害者はな、この解と共通しているんだ」
「はぁ。……って事は、被害者は最初から自殺をしたかったんですか?」
それにしたって、自殺を行う人間が、何故二車線道路の真ん中に落ちるのか。それがよく解らなかった。
「でも、二車線道路の真ん中に落ちる理由はないと思うわ。そんな事をするより、ビルの屋上から落ちた方が現実的じゃない」
と、突然会話に割り込んできた穿理は、どこか怒っているような様子だった。
「そうだな。現実的であり、かつ現実でありえる『普通の事件』として扱うとするならば穿理の意見が正しい。だが、今回の事件はもはや現実味が皆無だろう? それが意味するのは非現実の扉が開かれたって事だ。
先ほど俺が述べた部分――死を辿るなら足場のない場所に行けば良いというのは、一般人が自殺を行う際に考える事じゃない。一般人が自殺を行うならば、穿理の言った通りビルの屋上からでも飛び降りればいいだけの話だ。二車線道路の真ん中に落下など、一般人に行える領域から逸脱している」
――一般人に行える行動ではない。そう言った鷹塔さんは、おもむろな動作で煙草を口に咥えた。
「えっと、じゃあ自殺を行った人達は、鷹塔さんのような非日常側の人間だったんですか?」
「馬鹿野郎。非日常に生きる人間が、自身の死を大っぴらにする理由がないだろ。葵、非日常に生きる人間の死というのはな、同じく非日常に生きる人間にしか明かさないものなんだ。日常世界で明確な死を表す。それは、日常世界に生きる観測者の記憶に刻み込まれるという事だ。非日常側の人間の代表としては魔術師が挙げられるが、もし日常世界での死を記録されると、俺達という存在が世界に認知されてしまう事と同一だ。現代において、俺のような魔術師が日常世界で死んだという事実が公表された例があったか?」
「……まあ、聞いた事はありませんね」
頬をポリポリと掻きながら返答する。確かに、魔術師という人達が現代で知れ渡ってしまったら、それは大事件だと思う。
そんな類に属する鷹塔さんは、「脱線した話を戻すが――」と、百円ライターで煙草に火を点した。
「一般人が行える領域から逸している。だというのに現実世界での死を明らかにさせている。しかしこの場合、どちらか一方が正しい在り方でないとならないんだ」
「在り方なんて関係ないでしょ。死んでしまった以上、その在り方は消滅してしまってるんだから」
鷹塔さんの主張を非難するように、怒気を籠めたように言葉を発する穿理。……というか、穿理はさっきから何に対して怒っているのだろうか?
「そりゃあな。死してしまった者には、用いていた在り方は既に不在しているも同然だ。だが、俺が言っているのは被害者に対する在り方ではなく、現象に対する在り方だ。
一般人が実行出来る領域から逸している。これが正しいのなら、被害者は自然と非日常に属する存在だ。
対して現実世界での死を明らかにしている。こちらが正しいとするなら、非日常には属さない人間の行動だと判断できる。
完全に矛盾しているだろう? どちらかが正しいというのに、どちらも正しいとはいえない。しかし、現実にこのような現象が起きてしまった以上、どちらかが正しく在らなければならない。考えるとキリがない矛盾の極限現象さ、今回の事件は」
濃厚な紫煙を吐き出しながら、鷹塔さんは椅子にもたれ掛かる。それを言うなら、この二年間で起こった二つの事件も矛盾した出来事だったと思うのだが。
だけど、人間心理や物事に対する様々な論理に詳しい鷹塔さんを以ってしても、今回の事件は難解であるらしい。……そんな彼が解けない矛盾を俺達に聞かせたところで、解けるわけがないと思う。
「話は終わり? なら、三階のベッドを借りるわ。まだ寝たりないから」
不意に立ち上がった穿理は、確かに眠そうな様子だった。昨日、夜遅くまで起きていたのだろうか。
三階は八畳ほどのベッドルームになっている。以前、一度だけそのベッドで眠ったことがあったが、言い様のない不快感に陥った。
「別に構わんが、周辺にあるモノには触るなよ。起動させてしまったら大事だからな」
そう。たぶん俺が不快感に襲われたのは、周辺に置かれてある無気味な小道具のせいだ。憶測ではあるが、あれは魔術に関係している品物なのだろう。前にあの小道具に関して訊いてみたのだが、「知らない方が身の為だぞ」と返された以上、今でも知る勇気が持てないでいた。
穿理は静かな足取りで部屋をあとにした。バタン、という扉の閉まる音が鳴ると、鷹塔さんは「葵、コーヒーのおかわりを頼む」と空になったカップを投げ渡した。……危ないですって。