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 三月五日。午後二時を過ぎた昼間に、俺は、穿理を連れて散歩に出かけていた。
 近頃は大学が春休みに突入したという事もあり退屈な日々を過ごしている。今日は気温も高く穏やかな天候だった。突発的にこのような行動を起こしたのも、春の趣に魅了されてしまったからだろう。
 俺の隣を歩く桐生穿理という女の子は、いつも通り眠たげな表情をしている。昨晩は夜遅くに外出をしたらしく、自宅に帰ったのは深夜一時頃らしい。
「それにしても、昨日は夜遅くにどこに行ってたんだ? 近頃は物騒な事件が続いてるんだから、夜の外出は控えた方がいいぞ」
「……うるさいわね。私も二十歳なんだから、夜に出かけたって良いでしょ」
 拗ねたように目を背ける穿理。
「それに、あの不可解な事件はもう続かないわ」
「え、何でそんな事が分かるんだ?」
 素朴な疑問を問うと、「……勘よ」と一言返してきた。
「勘か。まあ、穿理の勘は結構な確率で的中するからな。それを信じるよ」
 納得して肯く。
 それからというもの、何故か穿理は無言状態になってしまった。無愛想な表情を維持したまま、俺と顔を合わせずに前を向いて歩く。
 そんな彼女の在り方は今に始まった事ではない。こういう時の穿理は、クールを気取っていても心の中で何かしらの事柄を考え続けている。そして、こちらも一時、無言になると――
「――ねえ、葵。何かから逃避をしたくなった事ってある?」
 と、彼女から話しかけてくるのだ。一人で考えても結論に達していない時の彼女は必ず人に意見を尋ねる。それが彼女の良い所であり、意地っ張りな所でもある。
 穿理の質問は、まるで自分自身に問いかけているように思えた。
 俺は数秒間思案して、自分の考えを述べた。
「……そうだな。逃避なんて感情は人間なら誰もが用いているモノだし、誰もが一度は抱いた事がある経験だ。不特定の『何か』から逃げ出したい。こんな現実と向き合いたくない。そう思う事は誰だってあるだろうしな。でも、逃避という行為に走って物事が良い方向に転がるなんて事はないと思うぞ。どんなに苦しくても、どんなに辛い境遇に陥っても、俺達は前を向いていかなくちゃならないんだ。地に足を着いて、まっすぐにな」
 本心からの言葉だったつもりなのだが、自分で言って少しだけ恥ずかしい気分になる。俺って、こんなに格好つけだったっけな?
「――地に足を着いて、ね」
 呟く穿理は、薄く、静かに笑っていた。それは彼女が滅多に見せない、今の感情を表現した笑顔だった。
 同じ歩幅で歩く俺達は、やはり無言で散歩を続けた。
こうも会話がないと居た堪れない気分に陥るものだけど、全然そんな事はなかった。
 寧ろ、穿理が同じ歩幅で歩いてくれているのが稀有な事態なのだ。いつもは一緒に歩いていても、すぐに先を行ってしまう彼女が歩幅を合わせてくれている。
 ……穿理の中でどんな心境変化が起こったのかは知らないけど、今日は充実した散歩が出来そうだな、なんて思えた。

 第二章-reika tatibana- 了

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