給湯室でコーヒーを淹れて(インスタントだが)事務室に戻ると、鷹塔さんはチェアに座ったまま部屋を副流煙で汚す行為に耽っていた。スチール製の灰皿には煙草の吸殻が三つ増えている。どうやら、俺がコーヒーを淹れていた五分足らずの時間に三本も吸い終わっていたようだ。
「鷹塔さんって、ヘビースモーカーなんですか?」
首を傾げながら、思わずそんなことを尋ねてしまう。
「一日に何本以上吸ったらヘビースモーカーになるかなど定義付けられないが、まあそうなんだろうな。煙草は二十歳になった誕生日の午前零時五分くらいから吸い始めた。これほど気を落ち着かせてくれる抑制剤はない」
……抑制剤って、鷹塔さんは何か
鷹塔さん専用のデスクにコーヒーカップを置いて、俺は自分のカップを持ったままソファーに座り直した。
「よし、では会話を始めるか」
と前置きして、鷹塔さんは早速コーヒーを一口喉に通す。
「葵くん。『裏家系』という単語を聞いたことはあるか?」
「……裏家系、ですか? いえ、俺は初めて耳にします」
「じゃあ、『裏家系』という単語を君なりに解釈してくれ。当てずっぽうではなく、真剣に考えた結論だ」
そう言われた俺は少し顔を伏せ、思考を走らせた。
裏っていうのは表の対に位置する言葉だ。昔親父から、表は『光』、裏は『闇』と教えられたこともある。
光は「正しい」とされ、闇は「誤り」でもあるとも聞いたな。これは「正」と「負」にも結びつけることができるし、「善」と「悪」とも解釈のできる言葉だ。
そう定義として成立されていて、尚且つこのタイミングで尋ねられたということは――
「……非日常に属する家系ってことですか?」
俺は結論付けてそう言った。鷹塔さんは「正解だ」と笑みを浮かべながら両手を叩く。
「古より、日常世界を守護する役目を担った家系。日常から外れ、非日常の世界でこそ存在意義を見い出せる家系とも言うな。『裏家系』にも二種類があるんだ。妖魔、邪霊を滅する【退魔家系】。この家系の中では『工藤』、『
対し、その家系が独自による概念の探求を行い、他の家系には真似のできない唯一無二の探求成果を子孫に残す【探求家系】がある。こちらは【退魔家系】のような戦闘に特化した家系ではなく、あくまで自分達が生み出した探求成果を残すことを優先する。【探求家系】は世界にもそれなりに数があり、日本での有名所では『
「――桐生って、もしかして……」
「あぁ。たまたま姓が同一なわけじゃなく、桐生穿理は『裏家系である桐生家』で生まれた人間だ」
鷹塔さんははっきりと、そう口にした。
「桐生家はおよそ八百年前から、人間の持つ『負の感情』という概念を探求してきた家系でな。最初の探求成果として『
――『負極』。その概念が、穿理と深い関係性を持っていると鷹塔さんは言う。
「負極というのはな、『負を極める為の「モノ」』なんだ。ここで言う『モノ』というのは、『人格』、『性格』『嗜好』を強制的に『誤』った方向へと変化させてしまうという意味だ。君は一年前の桐生穿理をコミュニケーション能力が欠落していると言ったが、それは違う。桐生家が欠落するように細工を仕掛けて産んだだけなんだ」
そこまで聞いて、俺は絶句した。
人間として生まれたのに、家族の手によって会話に齟齬が生じるように細工を施された。
そう考えると、穿理はいつ自殺してもおかしくない境遇に立たされているのと同一だ。
いや、そんなことより、穿理はこのことを知っているのだろうか? ……いや、知っていたら普通でいられる筈がない。俺だったら自殺するかもしれない。
俺は瞬く間に桐生家の人達に怒りを感じるようになった。実の子供にそんな細工をしてまで探求成果を残したいなんて馬鹿げている。それは最早、人間のすることじゃない。
穿理の尊厳を蔑ろにして、穿理の心を苦しめて……だから、一年前にあんなことになったんじゃないか。
「……馬鹿野郎」
苛立ちが治まらず、俺は無意識の内にそう吐き出していた。
◆
鷹塔さんの話によると、桐生家は負邪という思念――集合無意識とも言うらしい――を一個体の
「桐生家は負邪という概念を明確化させたにも拘らず、その上を目指した。まあ、考えてみれば当然の向上心と言えるな。探求家系は探求を行い続けることに存在意義がある。負邪を解明して、さらなる探求意欲が湧いたんだろう。そして、それから四百年。桐生家はあろうことか、負極という概念までこの世界に確立させてしまった。俺の所属している魔術団体でも一時期話題になったな。もしや【
「……極界ってなんですか?」
負邪や負極という単語の意味をまだまともに理解できていないのに、また新たな単語が出たことに多少の頭痛を覚える。
鷹塔さんは煙草を吹かしながら、至って真面目に返答をくれた。
「あぁ、極界というのはな、有り体に言えば【世界の根源】……いや、君にしてみれば有り体の例えでも理解は難しい、か」
苦笑しながら、鷹塔さんは「ふむ」と短くなった煙草を灰皿でもみ消した。
「――そうだな。葵くん、この世界を創ったのは『何』だと思う?」
いきなり話が飛躍した。が、鷹塔さんは真剣な口調で問いかけている。おそらく、この質問は極界という単語と関わりがあるのだろう。
「……ありきたりな答えですけど、神様……ですか?」
「根拠もない論は好きじゃないが、良い線を行ってるぞ。では、ここではまず神が世界を創ったと過程して話を進めていこう。
俺達魔術師は、神と呼ばれる絶対的存在を『創造者』と呼んでいる。現代の魔術師の中には、魔術を生み出したのは創造者である、などと定義している莫迦もいてな。まあ、創造者が世界を創ったからこそ、魔術は生まれたという解釈なんだろう。
創造者は世界を創った。宇宙を創り、地球という惑星を創り大地を、河川を創った。動物を創り、人間を創った。これがこの世界で認められている説であり、君でも知っている説だ。魔術師の類では、この人間を創る過程において種類を分けたという説を研究しているヤツもいる。ここで言う人間の種類、それが何か分かるか、葵くん?」
「はい。男性と女性、ですよね?」
「そうだ。人類最古の男性と女性であるアダムとイヴが説として成立している。ここで関わってくる男性と女性。陰陽においては男が『陽性』、女が『陰性』とされる。他にも男性は『光』、『正』とされ、女性は『闇』、『負』とされているな。
こう考えると、男性と女性はその本質が全てにおいて対極だろう? 何も人間に例えなくとも、動物、植物にも雄と雌がある。対極に当て嵌まらない生き物など世界には存在しない。対極から外れたモノはガランドウであり、ただの虚無的な不在だ」
そして、対極が在ってこそ世界は正しく成立すると鷹塔さんは一度言葉を止めた。
「世界は対極によって成立している。なら、対極が世界を象っている可能性もあるのではないか? という暴論まで唱えだす魔術師が俺の身内にいてな。魔術師達はその説を否定してきたんだが、その仮設を裏付ける証拠が近代で浮かび上がってきた。それが極界だ。
極界というのは、対極に当て嵌まる『正』と『負』のどちらかが基板となり根幹とされている世界だ。世界を導く方向性が最初から定まっている世界、とも言うな。前者が【正の極界】、後者は【負の極界】と呼称されている。この現実世界がどちらの世界に位置づけされているか……まあ、そんなことは神にしか分からないんだろう。だが、この【極界の説】を唱えた魔術師は、この世界が【負の極界】であると断言したんだ」
鷹塔さんは少しだけ顔を険しくさせ、そう言った。なぜか小さく舌を打っている辺り、何かに憤っているような感じさえ窺えた。
「――この世界が【正の極界】か【負の極界】かは置いておき、極界との連動――つまり世界を導く方向性を識ることのできる人間を桐生家は作り出した。それが――」
負極という概念を内包した少女――桐生穿理だと鷹塔さんは結論付けた。