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 御堂(みどう)彼方(かなた)は童心を忘れない少年だ。それは十七歳という、いわゆる反抗期の時期においても違(たが)いなく、彼は通っている高校においても純心すぎる性格として有名であった。
 趣味は多種多様なペットを飼うこと。小動物、爬虫類、魚類――その他もあるが、彼は子供の頃から動物という存在に心を奪われていた。動物に依存していた、とも言えるだろう。
 動物と共に生きると小学校に通っていた頃、大真面目に言い放って莫迦にされたあの時のことは、未だ鮮明に記憶している。彼方はあの同級生たちの蔑みの笑みを忘れたことはない。
 彼は童心という概念に縛られたが故、動物と共に生きるというその頃の存在理由を自覚していた。
 一年前。学校の帰り道で捨てられた犬を見つけ、深夜になるまでその犬の相手をしたことがあった。道行く人々からすれば彼方を不気味に思ったことだろう。
 彼は犬に延々と話しかけていた。
 それが彼方の自己満足であり、童心に縛られたが故の行動であることを彼は知らない。

『動物と話がしたいかい?』

 突然の声は、彼方の心の奥底を覗いたような問いだった。
 彼方は慌てて振り向いた。
 そこにいたのは、自分より少し年上と窺える青年だった。

『動物と話がしたいかい?』

 青年は二度、全く同じ抑揚で言葉を繰り返した。
 それは質問とはいえず、強制的な肯定とも取れた。事実、彼方はその問いに頷くことしかできなかった。――否、彼方は童心に縛られたが故、人を疑う心を持ち得ていなかったのだ。

『それにしても……君、凄いね。自覚はないだろうけど、君は心界を認識しているようだ。「無自覚」と「認識」は互いに相反し、決して交わることはない概念だ。なるほど、つまり君は、「童心」と「自我」の二つの心を持っている、というわけだね。覚醒にはうってつけの人間だ』

 そして、その青年はもう一度彼方に問うた。

『動物と話したくないかい? 動物の心を知りたくないかい?』

 彼方は縋るように青年に抱きつき、何度も言った。
 ――知りたい。知りたい話したい知りたい話したい知りたい話したい知りたい話したい知りたい話したい知りたい話したい知りたい。
 何度繰り返しただろうか。自分がどれほど狂った言動をしているのか反芻せず、彼方は涙を流し、嗚咽を漏らしながら青年に縋った。
 なぜなら、自分はそれを識る為に生まれてきたと知っていたのだから。

 ◇

 そうして、御堂彼方は動物の心を知った。
 その後は、『自我』と『同化した童心』を巧みに使い分けて、一般世界で生きていた。『異常である事を隠蔽し、外的意識を妨げることのできる異常者』として生きていたのだ。
 しかし、その生き方が直に崩壊することを彼は知らない。

 ……

 今日もいつも通り、あの人の指示通りに行動を起こした。
 時刻は深夜二時。今日は月さえも見えない宵闇の刻であった。
『彼女』が次元を渡って連れてきた生きている被害者を殺したのは、紛れもない御堂彼方であった。
 なるほど、この方法ならば近所に悲鳴が聞こえることはない。納得しながら、彼方は腕に粘り着いた濃厚な赤を舌で味わった。
 彼方の腕は、端的に言えば異常なカタチをしていた。
 被害者の血液が付着している右手首から下が、人間の持つカタチとは言えなかったのだ。
「うーん……ここ最近は大鳥類の喙を連想して形状を変態させたんだけど、飽きてきたかなぁ。もっと他の形状も試してみたいよ」
 手首から下、それは例えると古代西洋の槍だ。これで穿たれた部位は、なるほどこの街で騒がれている『異常な事件』の被害者と同じ末路を辿ることだろう。
「君はどう思う? ライオンみたいに喰った方が格好良いかなぁ」
 彼方は傍らに開いている半径一メートルほどの次元の穴――その内部にいる少女に話しかける。
 次元の穴の内部はただ黒い。あの人の話によると、この少女はもう一つの世界に渡ることも可能だそうだ。
「……死体なんか見たくない。怖いもん」
 次元の穴からそんな声が届く。震えた声だった。
「そっか。それにしても、君っていつもその穴の中にいるよね。なんで?」
「地面が怖いから」
「ふーん。よく分からないけど、暗い場所ばかりにいたら心まで暗くなっちゃうよ」
「それでも、地面に降りるよりはマシ」
 どうやら、少女は頑なにこちらの世界に降りる気はないらしい。
「ま、君がそれでいいなら何も言わないけど、ね。君の協力があってこそ、僕も動物の心を識ることができるんだ。君には感謝してるよ」
「……彼方くん。勘違いしてない?」
「なにが?」
「動物の心を識ることができたって言うけど、それ、呑まれてるだけだよ」
「……?」
 少女の言っていることはよく解らなかった。自分は間違いなく動物の心を知れた。それは正しい事実だ。
 いや。
 それを事実だと錯覚しているほどに、彼の自我は呑まれ始めているというだけの話だった。

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